第26話 早く、あなたのために歌いたい。
私の笑顔に、ジオウが動じていた。
「どうして……どうして、お前が……」
「どうしてとおっしゃられても……全部あなたのおかげですよ? あなたが私のことを捨てたことがきっかけで、アイドル活動を始めることになりました。そしてあなたが私のことを捨てたおかげで、私は素敵な夫と出会うことができたのです」
そう――私の幸せは、すべてジオウのおかげ。
嫌みに聞こえるかな? だから誰よりもかわいく笑ってみせるの。
「だから、あなたにはとても感謝してますわ。ジオウ様」
「それなら――」
すると、膝をついたジオウが私の両手を掴んでくる。
「僕と、よりを戻しましょう!」
「えっ?」
「これは愛の試練だったのです! そう、僕らこそが真実の愛で結ばれた
「えっと……」
本名が『サラーティカ』と知りながら、偽名の『カティナ』と呼ぶの?
あまりの展開にそんなとんちんかんなことを考えながら、思わず目を丸くする。
素の反応に戻せば、ジオウがゆるりと動いだ。
「あぁ、そうか……やはりお前は愚かだから、一度痛い目を見ないとわからないのですね」
そして取り出すのは、小型のナイフ。
ランタンの明かりに照らされて、淡く光った切っ先が私へと向けられた。
「さぁ、早く僕を選べよ。選んでくださいよおおおっ‼」
自分で唾を呑んだ音が大きく聞こえる。だけど、それは私だけ。
私の固い表情は、ジオウの逆鱗に触れたらしい。
「この、アバズレがあああああっ‼」
ナイフが振り下ろされる、その寸前。
「サラーティカっ!」
正真正銘、本当の私の名前が呼ばれた瞬間、ジオウが横に吹き飛んでいった。唾と共に醜いうめき声を発して。壁にドスンとぶつかって崩れていく。どうやら回し蹴りを食らったらしいとわかったのは……片足をあげた水色の美青年が私を見下ろしていたからだ。
「きみも調子に乗って挑発するな。俺が間に合わなかったらどうなると思っていたんだ……まぁ俺もあまりのきみの美しさに、思わず陰から見惚れていたんだが」
「エヴァン、さま……?」
「頼むからこれ以上可愛くならないでくれ。俺の心臓がもたない」
足を下ろしたエヴァン様が、ランタンに明かりの下で耳を赤く染めている。
――助けに、きてくれた……。
それは素直に嬉しいのだけど……私の頭の処理が追い付かない。
エヴァン様が、陰で見ていた?
つまり、今までの話を聞いていたということ?
だったら――私がカティナの正体であると、聞かれてしまったということ⁉
「奥様、こっち!」
「ヨシュアさん!」
どうやらおひとりでなかったようで、階段をヨシュアさんが押さえてくれているらしい。
これは……言い逃れもできないだろう。
手も足も震える。どうしよう。私が調子に乗りすぎたせいだ。
私は自ら、自分の幸せを壊して――……
「これからライブだろう? サラーティカは教会へ。きみを待っている人がたくさんいる」
「エヴァン様、私は――」
言い訳を口にしようとするけれど、何も言葉が出てこない。
私はずっと、エヴァン様にウソを吐いていた。裏切りだ。
それなのに、今が幸せだなんて……私こそ、ただの自惚れだったのに。
それなのに、エヴァン様の声は優しかった。
「きみがカティナの正体であると知っていた――むしろわかった上で婚約を申し入れたんだ」
私は怖くて、彼の顔を見ることができない。
だけど、エヴァン様は私を引き上げてくれる。
「なんで、私がアイドルだと……」
「わからないはずがないだろう? 死に際で、ずっと俺のために歌ってくれていた少女の歌声を……聞き違えるはずがない」
――死に際?
――私が、エヴァン様の治療をしたことを……?
「俺の方こそ、ずっとウソを吐いていてすまなかった」
記憶を手繰り寄せようとするも、その前に「話はあとだ」と回れ右をさせられてしまう。
「俺もこの場を片付けたら、必ずライブに行く。だから会場で待っていてくれ」
振り返るようにエヴァン様を見上げれば。
彼はとても無邪気な顔をしていた。
「今日のライブも楽しみだ」
そして、「さぁ、行け」と背中を押されて。ヨシュア様の手に引かれて、私は地下牢から逃げる。最後に見たエヴァン様は、その手に青い炎を掲げていた。
ヨシュアさんの馬の後ろに乗せられて、私は協会へと駆けていく。
彼はいつも通りの呑気さだった。
「今日はよりいい歌が歌えそうですね」
その言葉が出るということは、彼も私がアイドルの正体だって知っていたということ。
それでも、こうして助けに来てくれて。
明るい声で、そう言ってくれるということは。
「はい」
私の心配は杞憂だった……ということでいいのかな。
アイドルな私も。地味な私も。
ありのままの私を、受け入れてもらえていたってことでいいのかな。
あぁ、早く歌いたい。
それをエヴァン様に聞いてもらいたい。
私の今の『
◆
「他愛ないな」
地下の鎮圧は簡単だった。主犯のジオウ自体の戦力は紙に等しかったし、他も戦場の名将たちに比べたらなんてことない。ここ数年で、ずいぶん平和な世の中になったものだ。
――だったら、俺の命にも価値があったというものだ。
異能とも呼ばれた青い炎で家族すら殺したこどもが、ひたすら死に場所を探して駆けずり回った十代。そんな俺が、今もこうしてアイドルの……妻の晴れ舞台であるライブが観たいがために必死に目先の小悪党を成敗している。
「早く行かないと」
俺は懐中時計を見る。
今から行けば、ギリギリ開始時間には間に合うはずだ。最前列はとっくに埋まっているだろうが……こう、今こそ侯爵という権力でなんとかならないものか。いや、ダメだろうな。それこそ妻に軽蔑される可能性がある行為は避けるべきだ。
まだまだ新婚。結婚してから三か月は経過したと思うが、未だ新婚旅行も……寝室も共にしたことはない。最初に『俺を愛する必要はない』なんて格好つけてしまったが……今からでも撤回できないだろうか。実はガチファンなので娶りましたなんて軽蔑されるかもしれないと取り繕っておいて、自分でハードルを上げるなんてバカだな。ど阿呆だな。
「そんなことよりライブ――」
腹が熱かった。あっという間に抜かれるものの、俺の腹に刃が突き刺さっていたらしい。その部分に触れればぬめりとした感触。見下ろせば服がじわじわと赤黒く染まっていく。
振り返れば、この場にそぐわないドレスの少女が血で汚れた剣を持っていた。
「なに、あの溺愛。聞いていないんだけど」
その冷酷な目には見覚えがあった。
結婚式や公爵主催のダンスパーティーでもあった、サラーティカの義妹。
レナラ=フィランディアが、そっと姉に向けていたのと同じ冷酷な瞳で、俺を睨みつけていた。
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