第19話 最強に強くてかわいい女の子


 ――イシュテルに、もう会えない……?


 二度と協会に戻らないと言われた。私とも会いたくないと言われた。


 ――どうして? 

 ――私、嫌われるようなことしちゃったの?


 あまりにショックで、どうやって宿まで戻ってきたのか覚えていない。

 ただおぼろげに、ヨシュアさんに「明日には旦那様が迎えに来るから、今日はゆっくり休んでください」と言われたことだけ覚えている。


 もう窓の外は真っ暗だった。サイドテーブルに置かれたお茶もすっかり冷えてしまっている。


 ――本当にこのままイシュテルに会えないの?


 目からポロポロと涙がこぼれていくる。


 イシュテルとは、聖女の研修で初めて出会った。

 何をやってもボロボロだった私に、唯一目を掛けてくれた優等生のイシュテル。


 イシュテルのおかげでなんとか研修にも食い下がることができて。

 研修も終盤に差し掛かったある日、イシュテルが顔を見せながら聞いてきたのだ。


『あたし、こんな見た目だけど怖くないの?』

『痛そうだなぁとは思うけど……もう痛くないの?』


 その火傷を自ら趣味でつけたと言われたら、さすがにちょっと引いたと思うけれど。

 そんな特別な趣向を持っているような子だとも思わなかったし、だとしたら何かの事故や事件の後遺症に決まっている。


 なので私が疑問を返し重ねれば、


『ぜーんぜん痛くないっ』


 イシュテルはとても可愛い顔で笑って。

 そこから自然と仲良くなったイシュテルは、今ではなくてはならない親友になっていたのに。


「こんな、お別れもできないなんで」


 どうしても納得ができない。

 というか、本当にこれがイシュテルの意向?


 私の知る限り……あの子だったら、不満があれば直接口に出すだろうし、礼には欠かさない子だったはずだ。少なくとも支部長に直接話さず退職するようなことするはずがない。


 ――だったら、何か問題に巻き込まれているとか?


 どちらであっても……どうしてもこのまま帰ることなんてできないよ!


「よし」


 私は眼鏡を外す。

 そして、端に置いてもらっていたトランクを開いた。


 洋服などの下に隠してるそれを取り出す。

 その長い桃色のカツラを掲げて、私は固唾を呑んだ。


「いつ迎えに行くの? 今でしょ」



 演じよう。

 最強に強くてかわいい、勇気ある女の子を――



 ――ヨシュアさん、ごめんなさい。


 私はこっそりひとりで宿を出る。

 向かう先はもちろんイシュテルの実家だ。いつもはイシュテルにかけてもらっている拡声の奇跡を自分でかける。


 彼女みたいにいくつも同時行使なんてできないけど、これだけだったら、なんとか。


 私は少し冷たい夜風に桃色の髪を靡かせて、大きく息を吸う。

 今日は月がきれいがだった。最高のスポットライトだ。


 舞台もない。観客もいない。スタッフもいない。初めての野外ライブ。

 メイクだって最低限の道具で自分で行った。もちろんいつもほど目の大きさは変わってくれなかったけれど、適度なまつげの重みが私に勇気をくれる。


 ――届け!


 これは、こないだ発表したばかりの新曲だ。

 精霊ルナ様が、初めて恋に落ちた時の歌。叶わない恋を愛おしいと抱きしめる歌。


 ――届け!


 だけどイシュテル、こうも聴こえないかな?

 大切で、尊敬できて、だけどずっと私の前を走っているような。


 そんな最愛の親友に向けて『大好き』と叫ぶ、そんな歌にも聴こえないかな?


 ――届けっ‼


「カティナだ……」

「まじで、なんで」

「おい、アイドル聖女が歌ってるぞ!」


 気が付けば、まわりに人が集まり始めている。

 酔っ払いの集団のようだけど……こんな夜の町はずれで、まさか人がいたなんて⁉


「ねぇ、君。ほんもののカティナ~?」


 歌っている途中、グイッと肩を引かれてしまう。

 遠目では「おいアイドルだぞ~」と人を呼びに行く人までいた。


 ――どうしよう⁉


 このままじゃ、大騒ぎになってしまう。


 ――カティナが偽物だってバレちゃう⁉


 髪の毛がひっぱられる。もう歌うどころじゃない。このままではカツラが取れてしまう⁉


 ――もしそれがヨシュアさんやエヴァン様に伝わったら……⁉


 そんな時だった。澄んだ声の綺麗な歌声が聞こえた。

 彼女が歌うのは、私が今歌っていた曲。私とは違い、もう少し声が低くて、だけど力強い歌声は……月光を背に、塀の上に器用に立つローブのフードを被った少女が歌っているようだ。


 それと同時に、私をひっぱっていた手が外れる。ドサッとした音に振り返った時には、その酔っ払いたちが全員、いびきを掻いて眠り始めていた。


 ――これは、間違いなく……。


 こんな大勢をきれいに眠らせる奇跡が使える天才を、私は一人しか知らない。

 私が顔をあげると、歌声が止まる。


 フードの下で彼女は口角を上げていた。


「マネージャーの許可なくライブを開くなんて、勝手がすぎるんじゃないの?」

「イシュテル!」


 彼女が飛び降りた拍子にフードが外れる。

 本物の長い桃色の髪を靡かせて、イシュテルは私に抱き付いてきた。


「なに慣れないことしてんの?」

「迎えに来たよ。一緒に帰ろう?」

「あーもう、本当にあたしのサラは可愛いなぁ!」


 ――そんなこと言ってくれるの、イシュテルだけだよ。


 私はイシュテルを抱きしめ返す。

 よかった……やっぱりイシュテルも帰りたいって思ってくれていたんだ。

 嫌われたんじゃなくて、本当に良かった。


 安心感に思わず涙ぐんでいると、イシュテルが少し離れる。

 そして、少し寂しそうな顔をして、こう言った。


「帰る前に……一緒に母親に会ってもらえる?」

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