第18話 夜のお誘い


 そんな素敵な休暇を過ごした次のルナの日。


「イシュテルが、戻ってない……?」


 とても落胆している支部長からそう聞かされ、私は不安を隠せなかった。

 たとえ帰って来れない用事ができたとしても、イシュテルならきちんと連絡を入れてきそうなものである。だってこのコンドル支部は彼女にとって第二の家なのだ。


 そんな彼女の第二の父であろう支部長も、ぼんやりとそろばんを机の上でガラガラと走らせている。あまり多く語らない人だけど、イシュテルが心配なんだろうな。ただ収入減に気落ちしているだけではない……と思いたいな。


 ぎりぎりまで待っても、イシュテルからは連絡すらなかった。

 なので、その日もライブは急遽中止。支部長が集まってくれたお客さんたちに返金と謝罪をしている中、私はこっそりと屋敷へと戻る。


「奥様、ずいぶん早いお帰りですね?」

「うん……色々とあってね」

「それなら……今日は豪勢にしちゃいましょうか! 柑橘をたくさん仕入れたので、お風呂にもいれちゃいましょう!」


 あからさまに、侍女のカレンさんに気を遣われちゃった。

 きっと今日はエヴァン様も気落ちして帰ってくるのだろう。だから私は自分を慰めることも兼ねて、エヴァン様をお酒にでも誘ってみようかな。次はいつライブをするかわからないのだから、喉を気にする必要もないよね……。


 少しすっきりとするお湯に浸かりながら、私はカレンさんに相談してみる。


「私からお酒に誘うのって……どう思う?」

「ものすご~~く、いいと思います!」


 そうと決まればと、カレンさんはいつもより豪華なネグリジェを用意してくれたけど……いや、あの……そういうつもりじゃないんです。こんなスケスケの服でそういうお誘いをしたわけじゃなくて……⁉


「奥様はお部屋でお待ちくださいね! お膳立てはわたしたちがしておきますからっ!」


 と、やたら気合を入れて走り去ってしまった。どことなく屋敷全体がソワソワしている気がする。これは……あの……皆さんから期待されちゃっているのでは?


 私はクローゼットから厚手のカーデガンを自分で取り出して、ひとりベッドに座る。


 ――なんか大事になっちゃった……。


 お屋敷全体が歓迎ムードなことは、とてもいいことなのかもしれないけれど。


 なんだか悪い気持ちになる。毎週一回、私は使用人さんたちと朝の打ち練に参加させていただいているのだ。私本人が、そのコール対象のカティナなのに。私はとても大きな隠し事をしているのに。


 このまま婚姻を続けていれば、いつか本当に世継ぎを求められる日もくるだろう。

 

 ――ねぇ、イシュテル。

 ――本当に……私はこのままこのお屋敷にいていいのかな……。


 そんなことを考えていると、廊下の方がバタバタとし始める。


 ――いよいよ、エヴァン様が帰ってきちゃった……?


 ドキドキしながら言い訳をどうしようか考えていると、扉がバンッと開かれた。


「どうした、何があったんだ⁉」

「えっ?」


 慌てたエヴァン様の後ろで、ヨシュアさんとカレンさんが「違う!」「もう少し情緒と色気⁉」と必死にエヴァン様を引き留めようとしていた。だけど、仮にも戦場を荒らした氷炎の貴公子。その体幹は二人がどんなに引っ張ろうがブレることがない。


 そんな様子に、私は呆然とするしかできなかった。


「きみが酒を飲みたいだなんて……誰に何をされたんだ? 安心して言ってみろ。俺が必ずそいつを燃やし尽してやる‼」


 ――それ、全然安心できないやつじゃないですか⁉


 思わず「物騒ですよ⁉」と叫べば、初めでエヴァン様がしゅんとした。


「だから……今まで必死に抑えていたのに……」


 これは……あれかな。こないだもおっしゃっていたけど、私に物騒な武人と思われたくなくて、必死に取り繕ってくれていたのかな。


 私の前では、スマートな貴公子であれるように。


 ――それって、まるでアイドルみたい。


 もちろん演じる内容は違うけれど、なぜか私は親近感を覚える。

 アイドルを演じるのは、少し楽しくて、けっこうツラいんだよね。


 だから、私は素直に告げた。


「友人が……実家に帰ったきり戻ってこないんです」


 久方ぶりに実家から連絡がきた友人が故郷に戻ったこと。二週間で戻ってくるはずが、連絡もなく戻ってこないから心配していること。


 ゆっくりとそれを話せば、エヴァン様は安堵したようにため息を吐いて、ドスンと私の隣に座ってくる。


「それなら近々、その近くに視察に行く予定がある。一緒に来るか?」


 その申し出に、私は目を見開いた。


 ――私の方から、イシュテルに会いに行く?


 すると、エヴァン様が不思議そうな顔をする。


「なんだ、他に予定でもあるのか?」

「あ、いえ……そのような考え、思いつきもしなかったので」


 自分から動こうだなんて、考えもつかなかった。

 私は、言われたこと以外をしたらいけないような、そんな気がしていて……。


「決まりだな」


 そう立ち上がったエヴァン様が、ぽんと私の頭を撫でる。


「ところで、そんな薄着で寒くないのか? 風邪ひくぞ?」


 その心配に、ヨシュアさんとカレンさんが「デリカシーがないっ!」と文句を叫ぶ。「なぜ?」と心底わからないといったエヴァン様に、私は思わず声をあげて笑ってしまった。




 そして、その数日後。

 私は約束通り、エヴァン様の視察とやらに同行させてもらった。


「それじゃあ護衛にヨシュアを置いていくから。こう見えて普通の騎士より強いし体力もあるから、なんでもこき使ってやれ」

「だてに打ちの訓練を重ねてないですからね~」


 いくらなんでも、アイドル応援の訓練で騎士より強くなることはないと思うのだけど……。


 それでもイシュテルの実家の近くの町に下ろしてもらって、エヴァン様はもう少し先の視察先へ赴くのだという。


 エヴァン様に別れを告げて、用意していただいた宿に荷物を置いて。


 私はさっそくイシュテルの実家へと訪れた。白い漆喰が美しい豪邸である。

 玄関先でイシュテルの友人かつ協会の同僚であることを告げれば、彼女の兄だというやけににこやかな人物にに告げられた。


「イシュテルは二度と協会へは戻りません。あなたにも会いたくないと言っています。どうかお引き取りを」

 

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