第9話 私は本番に強い女
ダンスパーティー当日はあっという間にやってきた。
あれからトール叔父様にも三回くらい来てもらい、なんとか社交ダンスの形は身に付けた私。こういう時、伝説の舞台監督からの『ダイジョーブ☆』の太鼓判が何よりありがたい。
「しかし仮にも爵位持ちの娘なら、今までダンスを踊る機会などあったんじゃないのか?」
「大丈夫……いつもより見られない。いつもより見られない」
あとトール叔父様が言うには、ダンスパーティーの場合はライブに比べて、観客からの注目度がかなり低いとのこと。そりゃそうだ。ライブは私だけをお金払ってきてもらっているけれど、ダンスパーティーは大勢のうちの一組だもの。それに見学に対価を頂戴しているわけでもなし、別に楽しませる必要もないのだ。それだけでグッとプレッシャーは下がるものだ、が。
……
恐る恐る視線を上げれば、正装を身に纏った貴公子が不思議そうな顔で私を見下ろしている。
ものすごい大豪邸の深緑の絨毯の上で、エスコートしてくれている旦那様の話を聞いてないとか、なんたる不敬な妻なんだ⁉
そんな自己嫌悪で泣きたくなるのをグッと堪えて、私はなんとかエヴァン様の話を思い出す。
「……昔の婚約者に、お前とは踊りたくないと言われてまして」
「そいつが運動音痴なのではなく?」
「たしかに運動が得意ではない方でしたが……地味な私が踊っても邪魔なだけだからダンスホールに出るなと言われて」
ダンスホールは華やかな女性のための場所であると。
地味で根暗な私が躍ったとて、会場が狭くなり他の人たちの迷惑になるだけだからと。
だから一緒にパーティーに出たことも数えるほどしかない。
私とはただの政略結婚。いつか子供さえ産んでくれればいい。それ以外は何もしなくていいですよ――と、優しい顔で、まるで私のためであるかのように話していた婚約者。
……と、そんなことを思い出すとますます暗くなってしまう。
だから「つまらない話をすみません」と苦笑してみせれば、エヴァン様はまた別の質問を重ねてきた。
「メガネを外さなくて良かったのか?」
「見えなくなってしまいますので」
もちろん、これはウソである。
たしかにメガネは婚約者から『辛気臭い顔が隠れるからいい』と勧められて、ずっと着けていたものだから、今となったら外してもいいのだけど……今は別の理由で外せない。
――アイドル聖女・カティナが私だってバレたらどうする⁉
それでも、今日はとても綺麗なドレスを用意してもらっていた。
アイスブルーのチュールが軽やかな大人っぽいものだ。当然スカート部分の丈も足首まであり、無駄なリボンなどもほとんどない。髪も当然飴色の地毛で、レースのリボンを使って華やかにまとめてもらっている。
そうしている間に、あっというまの入場だ。
私たちは比較的若い部類に入るらしい。
――私……浮いてないかな?
不安になって、少しだけ旦那様の腕に乗せた手に力が入ってしまう。
すると、エヴァン様が強く私の腰を引き寄せてくれた。
「俺についてくるだけで大丈夫だ」
その時だった。見知った若いカップルと目が合ってしまう。
あれは……一番会いたくない相手だ。正直、結婚式の時も否応がなく顔を合わせたのだけど……ムッとした様子の義妹レナラのムッとした顔と、元婚約者ジオウ様のすかした笑みはたまに夢で見るくらい。
別に会場の全員と挨拶する必要はない。気が付かなかったことにして……と顔を背けるものの、「お姉さま!」とレナラが響く声で注目を集めてしまう。
エヴァン様の手前、この状況で無視するわけにもいかない。
「レナラ……それにジオウ様も。お二人はどうしてここへ?」
公爵様からのお呼ばれに、わざわざまだ独立もしていない未婚の彼らがいるのもおかしい。
それを尋ねてみれば、ジオウ様が眼鏡をくいっと上げていた。
「お義父様が風邪を引かれてしまったとのことで、名代として呼ばれてだけですよ。お前は未だそのくらいの察しもつかないのですね。相変わらず可愛い頭をしている」
誉め言葉でない『可愛い』を、私は何度彼から受け取ってきたことだろう。
「しかし、なかなかお会いになれなくてレナラ寂しいですわ! もっと帰ってきてくれたらいいのに~」
思わず俯いていると、レナラが「お義兄さま?」とエヴァン様を見上げていた。
明らかに、その『帰ってきて』はエヴァン様に向けてだね。
結婚式の時、『ずるい』とお父様に話していたことを私は知っているもの。恐ろしい噂以上の美形に、怖さより羨ましさが勝ったんだよね。
そのためジオウ様ともあまり上手く行っていない話を、時々イシュテルから聞いているけども。
私が願うことは、早くこの時間が終わることだけ。
下を向いて唇を噛み締めていると、強く手を引かれる。
その相手はもちろん、エヴァン様だ。
「もうすぐダンスだな。真ん中に移動しておこう」
「え、エヴァン様……」
「さっさと一曲だけ踊ってお暇させていただこう。正直、俺はこのような場が好きではない」
……それはやっぱり、俯く私を慮ってのこと?
その期待で、胸が爆ぜる。
少し離れた場所には、恨めしそうなレナラと鼻で笑ったジオウ様。ジオウ様は、どうせ私が踊れるはずがないと思っているのだろう。惨めにエヴァン様の足を引っ張る姿を想像しているのだろうか。
……それは、嫌だな。
優しいエヴァン様に恥をかかせるのは嫌だ。
「……私は今、新婚生活を満喫している侯爵夫人、なんですよね?」
「どうした、緊張しているのか?」
「少しだけ――でも、大丈夫です」
音楽が、ダンス用のものへと切り替わる。
私はぼんやりと左薬指を見つめた。
そこには銀色のシンプルな指輪をつけている。エヴァン=タルバトス侯爵閣下との結婚指輪。そう――私も今は侯爵夫人。旦那様の隣で幸せそうに微笑んでいるのが、私の今の仕事。
今着ているドレスも、アイドル衣装とはまるで違う侯爵夫人のドレス――いや、衣装だ。
「私これでも、本番に強いんですよ?」
結婚指輪を合わせるように、彼に手を乗せて。
私は笑みを作る。これはウソの微笑み。
だけど恋する旦那様に向ける、幸せで完璧な笑み。
エヴァン様のダンスはとてもお上手だった。そんな派手な技を繰り広げるわけではないけれど、私が踊りやすいように慎重にエスコートしてくれている。
だから、私もとても計算しやすかった。
どうしたら、この氷のように澄んだチュールが綺麗に広がるのか。
どうしたら、この気品ある貴公子様の冷たくも凛々しい美貌が引き立つのか。
どうしたら、こんな旦那様を魅了する幸せな夢魔になれるのか。
表面で、横顔で、ドレスの空いた背中で、私の全てで演じる。
私は『氷炎の貴公子』に望まれて嫁いだ、完璧で幸せな奇跡の貴婦人。
それがサラーティカ=タルバトス。会場を夢中にさせる、あなただけの花嫁。
気が付いたら、会場が拍手に包まれていた。
いつのまにか、踊っていたのは私たちだけになっていたらしい。他の参加者たちは全員観客へと変わり、私たちのダンスに見惚れていた様子だ。
えーっと……大勢の観客の前でパフォーマンスすることは、慣れているといえば慣れているのだが。やりすぎた感は否めない?
思わず呆然としていると、エヴァン様が私をそっと抱擁してくる。
「よく務めた」
耳元で囁かれた色気のないその言葉が、何よりも嬉しくて。
誘導されるがままお辞儀をすれば、強い拍手と口笛まで贈られてしまう。
その中で、ひときわ高らかに拍手をしながら近づいてくる紳士がひとり。
その人のお顔は、私でも知っていた。
ランドール=フォン=ラルシエル閣下。
このパーティーの主催者であり、この国一の財力を持つ公爵様である。
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