第8話 すぐに用意しよう
社交ダンスの特別講師としてやってきた演劇界の生きる伝説・雷槌のトール=ベネツィアこと私の叔父様に驚きの声をあげたのは、その名声と親戚だからというだけではない。
――すでに週に一回、協会でダンスレッスンを受けてますが⁉
もちろんその時に習うのは、社交ダンスではなくアイドルの振り付け。
それを当然エヴァン様にバレるわけにはいかないので、余計な口を滑らせないように気を付けないと……私はモジモジしていると、エヴァン様は「ふむ」と顎に手を当てた。
「親戚筋なら、人見知りせずに済むと思ったんだが」
「あ、いえ……ひ、久々の再会で、嬉しすぎて……」
よりにもよって、どうしてこんな大物を。あれか、さすが『氷炎の貴公子』の異名を持つ侯爵様というやつなのかな。財政にも困ってないようだし、権力者な旦那様が今だけ恨めしい。
だけど幸い、そんな我が家の財政もひとえにエヴァン様の手腕によるものである。すなわち、御多忙の身なのだ。
「それでは、またあとで様子を見に来る」
と、紹介だけ済ませて、すぐに執務室に戻ってしまうエヴァン様。
扉が閉まった後、練習用に開けてもらった部屋に響くほどのため息を吐くと、トール叔父様が「アハハ」と笑い始める。
「アンタ、カチコチじゃな~い☆ そんなでアイドルのことバレずにやってけてんの?」
「あはは……いちおう、今のところは」
正直、いつも崖っぷちな気がするけれど。
私が力なく笑っていると、叔父様が「防音の結界張って~」と言ってくる。
「テンポ早くないですか?」
「新曲はどんどん増やしたほうがいいと思って☆」
少しでもレッスンの時間を設けたい方針に異論はない。私が結婚してから、格段にその時間は減ってしまっているのだから。だけど、さすがにこのような形はエヴァン様の好意を台無しにしてしまうのでは。
その懸念が顔に出ていたのだろう。トール叔父様がバチンと片目を閉じてくる。
「ダイジョーブ☆ 今回のダンスはきちんと社交ダンスの動きも取りにいれているから。そっちの抜かりもないわよ?」
そういうだけあって、今回は緩急のある曲のようだ。アップテンポで始まったかと思いきや、サビは優雅で華やかなメロディが続くらしい。今までの曲に比べたら、比較的大人っぽいようにも聴こえる。……元は精霊を讃える詩歌なんだけどね。相変わらず素晴らしい風来の吟遊詩人の編曲センスである。私にできるかわからないけれど、もしもできたら、ウケそうだ!
固く眼差しを向ければ、叔父様が両手を叩く。
「それじゃあ始めましょうかっ」
普段は気軽で明るいトール叔父様。
だけど雷槌の異名は伊達ではなく、レッスンとなるとめちゃくちゃ厳しい。
「ほら、また背筋が曲がってる! そこはもっと胸を張って! こう、大きく!」
「はいっ!」
返事はワンテンポたりとも遅れてはいけない。
そうしたら雷槌の如き怒声が降ってくることを、私はこの身をもって知っている。
「笑顔が固い! そんなツラで世界中の男を虜にできると思ってんの⁉」
レッスン中であれ、常に目の前に観客がいることを想定すべし。
それも長年舞台に携わってきたトール=ベネツィアがこの数か月間で私に叩き込んでくれたこと。
「ほら、そこはもっと妖艶に! ダンスの相手を魅了するような、夢魔の気持ちで!」
――だけど、妖艶さを教わるのは初めてですが⁉
地味で根暗で愛嬌も面白さも欠片もない(もしかしたらそこまで言われてないかもしれない)と婚約者に捨てられた私に、妖艶さを求められても⁉
「だから色気が足りないって言っているデショーがああああっ!」
何回も雷槌を落とされながらも、レッスンを続けること数時間。
さすがに汗を掻いてきてしまった。
どうせこの眼鏡は伊達である。鼻で滑ってきた眼鏡を取ってしまおうと柄に手をかけた時――ひたっ、と目が合ってしまった。
ちょうどドアのところにいたのは、『氷炎の貴公子』ことエヴァン様。
お仕事を……していたのでは?
「あれから三時間も経っているから様子を見に来たが、俺のことは気にするな。続けてくれ」
「あの……いつから、そこに?」
「Bメロの初めからだな」
うわぁ~ん。かなり前だ~!
集中し始めたら周りが見えなくなるのは私の悪い癖だけど……気が付いてたなら言ってよ、トール叔父様……と縋るような目を向ければ、叔父様も気づいていなかったようで「テヘ☆」と小さく舌を出していた。だけどすぐエヴァン様に向かってヘラヘラと笑う。
「すみませんねぇ。ちょーっと飽きてきちゃったようだから、気分転換にと思って~」
「別に構わん。カティカとサラーティカは年も近いからな。真似したくなるのも自然だろう」
わぁーい、なんて度量の大きな旦那様。そして心なしか嬉しそうですね……。
そりゃあ年も近いに決まってますとも。なんなら同い年です。だって同一人物だもの。
私が心の中で泣いていると、エヴァン様は淡々と提案してくる。
「なんなら模擬観客も二十人程度ならすぐ用意できるが?」
「それこの屋敷の使用人さんたちですよね⁉」
なんて恥の上塗りをさせるおつもりなんですか⁉
てか、痛いですから。アイドルに扮して歌って踊る夫人とか痛いだけですから⁉
まぁ、そのアイドル本人が私なんですけどねえええええ⁉
だけど、エヴァン様は「どうして驚くんだ」と言わんばかりに無表情を貫いていた。
「使用人を労うことも、夫人の大事な仕事だぞ?」
いや……それを言われてしまったら、そうなのかもしれませんが……。
えぇ、皆さんも全力で
でもそれを実行する時は、おそらくこの世の終わりだと思うので。
「もう少し練習をしてからにさせてください……」
私がなんとか絞りだした返答に、トール叔父様が大笑いしていた。
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