第7話 ラスボスですか?


 しかし、私は舐めていた。筋肉痛は遅れてやってくる。

 常に腰を落とし、腕を振り続ける。そんな三十分を続けた結果、今朝は腕と腰と太もものあまりの痛さに、私は翌朝まったくベッドから起き上がれなかったのだ。


「ごめんなさい……年寄りみたいなこと言って……」

「あはは~。初めてやった時わたし私も似たようなものでしたよ~」


 そう笑いながら腰に湿布薬を貼ってくれるのは専属侍女のカレンさんだ。私の同年代で、執事ヨシュアさんの妹らしい。そっくりな明るい緑髪を編み込んだ彼女もまた、とても明るい方である。


「だからうちの新人はみんなが通る道ですね。この洗礼を受けることがタルバトス家の一員になる儀式みたいな」

「でも……まだ四か月くらいでしょ?」


 アイドル聖女カティナが爆誕して、まだ四か月。

 洗礼とか儀式とか言うにはまだ浅い歴史だと思って尋ねてみれば、カレンさんは恥ずかしそうに笑っていた。


「今のはわたしの願望も入ってます。そういうの、続いたらいいなぁって」


 あっ、その考えは私も好き。

 でも同意を言葉にするのは憚れる。私みたいな十日くらいの新参者に仲間意識もたれても……かえって立場が上になってしまっている手前、気を遣わせちゃうだけだよね。


 だから腰が痛いふりして枕にうずくまっていると、カレンさんは手当を続けながら話し続ける。


「旦那様がカティナにハマり出してから、すごく屋敷の空気がいいんです。なんたって『氷炎の貴公子』なんて異名付きのご当主様ですからね。その名に違わず、少し前までは屋敷でも常にしかめっ面ばかりだったんですけど……」


 そして貼付剤にぺたぺた薬を塗りながら、くすくすと笑っていた。


「見ましたよね? あのバンダナ。そして覇気の入りまくった『カティナコール』。もう今となっては、ただの残念貴公子でしかないといいますか」


 さすがに失言だったと気が付いてか、「あ、旦那様にはナイショにしてくださいね」と指を立ててくるのが同性からしても可愛らしい。


 あのポーズ、ライブでも使えそうだな。

 そう考えてしまうのは、もう職業病か。自分自身で苦笑していると、カレンさんは腰にひんやりと湿布を貼りつけてくれた。


「だから奥様はとてもいいタイミングで嫁いで来てくれたんですよ~。これも奥様が一生懸命ルナ様に祈ってくれているからですかね」

「そんな、私なんて……」


 仕事ができなさすぎて、クビになろうとしていたくらいの女なのに。


 それにアイドルしている時ならともかく、素の私は地味で根暗だ。それが歌と踊りと楽しいことが大好きと言われるルナ様に好かれるなんて、まるで想像できない。


 だけど、そんなことを言っても、カレンさんを気に病ませてしまうだけ。

 だから私は「ありがとうございます」と無難に誉め言葉を受け取りつつ、自己嫌悪に至る。なんだか最近、ウソが自然になってきてしまった気がする。


 そしてこっそりため息を吐けば……嫌でも現実に戻る。


 腰が痛い……。もう笑えてくるほど痛い。


「……いつもダンスの練習しているのになぁ」

「あら、奥様はダンスお好きなんですか?」


 ――しまったっ‼


 あきらかな失言だ。どうしようかと考えあぐねている間に、カレンさんは陽気な声を返してくれた。


「それなら来週末が楽しみですね!」

「来週末?」


 私が疑問符をあげれば、カレンさんも同様に首を傾げてくる。


「あれ、公爵閣下からダンスパーティーに誘われているんじゃありませんでしたっけ?」




「そうだ。ドレスももうすぐ届くと思うが、他に必要なものでもあるか?」


 お見舞いにきてくれた旦那様に確認してみれば、やっぱり公爵閣下よりダンスパーティーの招待状が夫婦宛てに届いているらしい。


 部屋の隅では、ヨシュアさんがカレンさんに注意をしているようだった。

 どうやら私の予定はすべてカレンさんが伝達、管理してくれる手筈となっているらしいのだけど……今回はカレンさんがうっかり私に伝え忘れてしまっていたとのこと。


 ……まだ専属侍女なんて初めて十日なのだから、あんなに怒らなくてもいいのに。ドレスなど必要な手配はすべて滞りなく進んでいるようだし。


 そう助け船を出したいところだけど……正直私もそれどころではない。

 なにせ今度はダンスパーティーらしい。


 つまりエヴァン様と社交・・ダンスを踊らなくてはならないのだ。

 私はなんとか身体を起こしながら、おどおどと口を動かす。


「あの……私、まともに社交ダンスを踊ったことがなくて……」


 あぁ、手が震えてしまう。

 侯爵夫人として失格だと、軽蔑されてしまったらどうしよう……。


 でも、当日まで隠しておいて、エヴァン様に恥を掻かせるよりは。


 震えた声で正直に打ち明ければ、エヴァン様は一瞬驚いた顔をする。

 しかし、すぐに代打案を提出してくれた。


「ならば、共に打つか?」

「打ちませんっ!」

「あの公爵なら喜ぶぞ?」

「そんなわけないでしょう⁉」


 部屋中に響き渡る声で否定すれば、ヨシュアさんやカレンさんのみならず、エヴァン様も口元を隠して笑っているようだった。


 ……これは、もしかしてエヴァン様なりの冗談だったの?


 エヴァン様はあっさりと次案を呈してくれた。


「それなら近日中に、特別講師を手配しておこう」


 それなら早くそう言ってください……。

 顔はすごく熱いけど、いつの間にか手の震えは止まっている。




「はぁい☆ アタシのかわいい姪っ子ちゃん。挨拶のチューしてもいーい?」


 そして三日後。無事に筋肉痛が治った私は特別講師と対面していた。

 予想外の人物に、思わず通り名を叫んでしまった私である。


「雷槌の舞台監督・トール=ベネツィアっ!」

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