第5話 ウソつきな旦那様
その後のことは、あまり覚えていなかった。
とにかく無心で歌いきり、私は急いで舞台の裏に引っ込んだ。
「サラ、今日もすごくよかったよ! 新曲のダンスもいつも間奏部分が遅れ気味だったけど、今日はぴったりだったし!」
どうやら気が急いていたおかげで、ダンスの苦手な部分も功を奏したらしい。
そんな呑気なイシュテルの肩を、私は思いっきり揺さぶった。
「どうしようイシュテルっ、旦那様がいるんだけど⁉」
「あ~、ファンクラブ会員二号さんだね⁉」
「“ふぁんくらぶ”ってなに⁉」
「もう三十人以上いるよ?」
どうやら私が休んでいた間、そんな応援組織ができあがっていたらしい。
組織といっても非合法・非営利なものだが、協会側への許可と報告があったとのこと。活動項目としても『アイドル聖女カティナ』の活動支援と広報活動の協力という名目で、害があるどころか定期的な募金支援の項目があったものだから、支部長が二つ返事で許可したらしい。
イシュテルもファンクラブに肯定的なようだ。
「代表の一号さんの身元も確かだったし、口コミも期待できそうだから今後が楽しみだね」
「てか、二号って? 私の旦那様は二番目なの⁉」
「やったね、正直サラが亭主に内緒でアイドルできるのかなって不安だったんだけど……めちゃくちゃ理解ある人と結婚出来てよかったね!」
「いや私、エヴァン様にアイドルのこと何も言ってないから⁉」
言えるわけがないだろう。こんな人前でこんな短いスカートで愛想を振り撒いているだとか……恥ずかしいのもあるし、貞操が云々言われても返す言葉もない。
なのにイシュテルは「そなの?」と目を丸くするだけだ。
「まぁ、確かに普段のサラとは印象違うしね。でも大丈夫じゃない? なんとかなるなる!」
「他人事だと思ってお気楽すぎない⁉」
「とりあえずこの収益表を見てよ」
差し出された書類を拝見すれば、それはコンドル支部の収益書だった。
とてもわかりやすいグラフだ。
四か月前はあきらかな赤字続き。
だけどある時を境に、そのグラフはどんどん右肩上がり。二か月目には黒字に転じて、今月はその倍以上まで利益が跳ね上がっている。これが、このまま続いたら……? 想像するだけで思わず口角が上がりそうになってしまう。
そしてイシュテルはにっこりと革袋を渡してくる。
「これ、先月の分け前ね?」
事前に、イシュテルからは私の分け前を提示されていた。毎月末日にその月のライブ収益を計算して、三割が私の取り分だ。二割がイシュテル。そして五割が協会……および支部長。設備投資などの経費分も協会がもってくれているため、この収入割合に不満はない。
だけど……ずっしりとした革袋の重みに、チラッとだけ中身を覗けば。
まばゆいばかりの金貨がこれでもかと詰まっている。
「ねぇ、サラーティカ。いつ稼ぐの?」
笑顔の問いかけに、私は生唾を呑み込んでからこう答えるよりほかなかった。
「今……だよね?」
もしも私がアイドルだとバレて、離縁されたとしても。
お金さえあれば、人生を立て直すこともできるのではないか。
そして、イシュテルが言っていた。
『もしあの男に捨てられたら、一緒に旅をしようよ! 治療をしながら二人でお金を稼ぐの』
『でも、それじゃあ私は足手まといじゃ……』
『なんで? あたしサラと一緒だったら楽しいよ?』
その言葉ひとつで、私がどれだけ勇気づけられるのか。
それをあの天才は知っているのだろうか。
「けど、まずは離縁されないことが大事だよね!」
私はタルバトス家の屋敷の前で両頬を叩いてから、「ただいま帰りました」と玄関をくぐる。
もう夜更けにも近い時間だ。誰かの出迎えを求めていたわけではないけれど……普通、出迎えてくれるのは侍女か執事ではなかろうか。
「ずいぶんと帰りが遅かったですね」
すみません、いきなり対面する度胸はありませんでした。
どうしてご当主の貴方様が迎えに玄関まで来るんですか、エヴァン=タルバトス様。
正直、何も言葉を用意していなかった私は「すみません」くらいのことしか言えなくて。そんな私に、エヴァン様は優しい言葉をかけてくれた。
「お疲れでしょう。夕食は食べてきましたか?」
「あ、友人と食べてきましたので……」
「なら、風呂ですね。もう湯殿も使えるようになっていると思います」
そして、エヴァン様は「それではごゆっくり」と踵を返す。
その背中に、私は思わず問いかけた。
「エヴァン様は! 今日どちらに行かれていたのですか⁉」
「俺はずっと屋敷に閉じこもって書類を片してましたが?」
――うわ~、ウソつきだ。
でも、これはどう判断するべきなのだろう?
私がカティナだと気が付いてのウソ?
それとも気づかずにアイドルファンであることを隠しているの?
あるいはそっくりな双子がいるというオチがあるとか?
だけど私が、それ以上を追及することなんかできるはずがなくって。
その夜、ろくに眠れなかったことなんて語るまでもない。
そうして、私はエヴァン様の真意に悶々としながらも毎日を過ごしていく。
とても居心地がいいお屋敷である。使用人の方々もみんな親切だし、与えられる食事もとても美味しい。旦那様も一日一回は顔を合わせるが、一言二言話す程度で、人見知りの私には程よい距離感だった。
だけどある朝、いつもより早くに目が覚めた私は見てしまったのだ。
屋敷の中庭で、タルバトス家が管理する私兵の方々が朝練をしている。
それを指導するのは当主であるエヴァン様。当主になる前は王宮騎士団で名を馳せていたらしいから、直々に指導していることには何も疑問がない。
そう、それはいい。それはいいのだけど……。
なぜ兵士のみなさんが、
窓を閉じているのに、野太い『カティナコール』が私の耳まで届いてくる。
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