部室の幽霊

森野 のら

第1話

____我が愛すべき寂れた文芸部の簡素な部室には幽霊がいる。

それは半透明でもなければおどろおどろしくもなく、少しぶかぶかな制服を着たそんな女の子だ。


放課後。

役目を終え沈んでいく太陽を背に部室へ向かうと、既に幽霊ちゃんは椅子に座って、小説を読んでいる。


「やあ、幽霊ちゃん」

「その呼び方、面白いと思ってるんですか?」


私を一瞥し、挨拶がわりの毒を吐いてくる幽霊ちゃんは今日もいつも通りだ。


マスクをしてあんまり似合ってない黒縁メガネを掛けたお下げの女の子。

名前も学年もクラスも知らない。そんな女の子。


いつの間にか部室にいる彼女を私は幽霊ちゃんと呼んでいた。


「それ気に入った?」

幽霊ちゃんの読んでいる本、少し前に話題になったミステリー小説だ。

ミステリー小説だけど、キャラクターたちが個性豊かでコミカルで読みやすく、普段あんまり本を読まない人も楽しめる作品になっている。


「……はい……面白いです」


まるで私にオススメされた作品を読むのが不服みたいに小さな声で返事をした幽霊ちゃん。


そんな返答に満足すると私は幽霊ちゃんの机を挟んだ斜め前に座って、鞄から文庫本を取り出した。


そして書店員さんのベテランな手つきで文庫カバーが付けられた小説を読む。


部室にはペラペラとページを捲る音と運動部の元気な声と吹奏楽部の演奏が聞こえている。

静かとは決して言い難いが、誰かの頑張りを聞きながらのんびりと読書するのも乙なものだ。


「……あなたは」


そんな部室に、声が落とされる。


視線を向けると、彼女の言葉に続きはないと知る。

何かを言いたくて、でも言えなかった女の子の顔を見て、視線を戻す。


だから私も気にしない。


言いたくなければ言う必要なんてない。伝えたいことだけ言葉にすれば良い。


ただ同じ空間にいるだけの関係なんて、そんなものでいいのだ。




放課後というのは広義だともっと時間があるが、学校から追い出されるまでと捉えると結構短い。完全下校時刻が迫っていることを知らせるチャイムが鳴り、意識が本の世界から浮上する。


空気を読まないといけないのは、人間の悪いところで、私より絶対先に帰ろうとしない幽霊ちゃんを横目に、小さく息を吐いて、私は伸びをした。


「じゃあ先帰るね」

「はい」


非力な私にも持てる軽めのリュック。

人類の叡智、置き勉のおかげですっからかんになったリュックを背負って、部室を出る。


ここで余計な詮索をするために残るようなことはしない。

それが悪手だとわかっているし、きっと地縛霊ではない幽霊ちゃんはきっとふよふよとどこかへ行ってしまう。


今の環境を心地よく感じている私にとって、それは除霊に等しいことだった。


幽霊の正体なんて暴く必要はない。


私は鍵を机の上に置いて部室を出ると、直ぐにガチャリと音と共に閉められた扉にクスクスと笑いながら帰路についた。



◆◆◆


昼休み。

それはたった45分しかない謎の時間。

完全栄養食の硬めのグミをモグモグしながら本を片手に数少ない友人と雑談に興じていると、ふと友人が窓の外で何かを見つけたように指を差した。


「何?犬でも入ってきた?」

「違うわよ。ほらアレ」


見てみろとペットにするように手招きするもんだから、従順な犬である私はゆっくりと立ち上がり、外を見る。

教室の外に見えるのは中庭で、昼休みでそこそこ賑わっている先に見えたのは1人の女生徒。

後ろには男子生徒が何人かくっついている。


「美人さんだね。後ろのは何?」

「取り巻きね」

「えっ、貴族ってこと?」

「異世界モノの読みすぎ。あの子、姫らしくて」

「王族ってこと?」

「そろそろそのボケやめないと蟹とか食わすわよ」

「ワン」


手を細かく使って、手に臭いのつく食事とかいう私の7番目ぐらいに苦手なことをさせようとする恐ろしい友人に、おとなしく服従する。わんわん。


「あの子、結構なぶりっ子らしいのよ。で、顔も可愛くて、距離も近めだから男が押し寄せてくるってわけ。男を独占してるから女子の目も厳しくて、って感じ」

「転生した男爵令嬢ってことだね」

「……そうね。でもあの男子たちには権力もないし力もない、三年という月日の中で後々しんどくなるのはあの子でしょうね」

「ふーん」


転生男爵令嬢も大変だ。


「あんまり興味なさそうね。あんたってほんと本しか興味ないのね」

「今ダジャレ言っ「言ってない」


食い気味で否定されてしまった……


まあでも、友人の言葉もあんまり間違いではない。私は本にしか興味がない。

正確には本を介した日常に興味があるといった方が正しい。

というのも現実は小説よりも奇なりというが実際に本の世界よりもおかしいことなんて起きやしない。


偶然殺人現場に居合わせることもないし間違って神様に殺されて転生することもない。


私は平凡で退屈な日常が嫌いで、退屈じゃない世界が好きで、そんな退屈じゃない世界をキメることができるのが本であったというだけで。


でも最近はそんな私の平凡で退屈な現実に少しおかしな人が現れたりしているが。


「あんた、恋とかしないの?」

「恋とは」

「寝ても覚めても特定の人間のことを考えてしまうみたいな状態のことよ」

「じゃあ私は本に恋してるね」

「私はそんな安易な解答を求めてあなたと話しているんじゃないわよ」

「ひどい女だ」


変わり者コンビと呼称されることもある通りに、この友人、高飛車不遜主席生徒会副会長様もまた随分な変わり者で、私の日常に現れた興味の持てるおかしな人の一人だ。


「変わり者も偶には平凡な返答もするさ」

「あんまりしすぎると友人ポイントが減っていくから留意しといてね」

「最低だ……」

「聞き慣れた言葉ね」


彼女は滅多に見せない笑顔を浮かべると、机に置いてあった私の食事の入った袋から昼食を一粒取り出して口に入れた。


「人のご飯取るもんじゃないよ」

「うわ、まずっ、犬も食わないわよこんなん……」

「くーん」

「あ、そういえば思い出した」


渾身の犬の鳴き真似をスルーしながら、友人がペチンと両手を合わせる。


「あの子、面白い話があったのよ」


あの子、差すのは先ほど話題に出た男爵令嬢の姫だ。


「男爵だったりクイーンだったりする子だね」

「そうね。あの子、放課後になると消えるらしいわよ」

「溶けて無くなっちゃうんだ」

「じゃあ男爵かもしれないわね」

「ガハハ」

「殺すわよ」

「くーん」


ノッてきたくせに急に殺意表明してくる友人に恐怖を覚えつつ、耳と尻尾をしょんぼりさせて話を聞く頭に切り替える。


「あの子、いつの間にか消えてるらしいの。尾行したけど見失ったみたいな話もあるし、でも完全下校時刻になるといつの間にか門をくぐって帰ってるとか。いったい校舎で何してるのかしらね」

「恋人とかとこっそり会ってるんじゃない?」

「確かにそれが濃厚ね。取り巻きにそんな場面見られると大変そうだから放課後にこっそり会う、みたいな」


いつの間にか消えてる、か。


なんとなく幽霊ちゃんを思い出した。


「眼鏡にお下げ、似合わなさそうだなぁ」

「? 顔が良ければどんなに芋っぽい格好しても似合うでしょ。まあわざわざそんな格好するのは相当な物好きでしょうけど」


友人の言葉に頷くと同時に、昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴る。

慌てて帰っていく生徒の中で、彼女が一瞬、私を見た気がした。


◆◆◆


________幽霊はおもらしをする。


タクシーに乗った髪の長い女が振り向いたらいなくなっててシートがぐっしょり濡れていた、みたいな有名な怪談。

あれはきっと粗相が恥ずかしくなって逃げてしまったのだと私は結論づけている。


ではどうだろう。

部室で、頭から足先までぐっしょり濡れた幽霊ちゃんは粗相をしたのかと言われるときっとそうではない。


椅子に座らず、部室で蹲っているのが今日の幽霊ちゃんだ。

そのままだと溶けてなくなってしまうような水溶性の雰囲気をしている。


残念ながら私の装備はハンカチだけで、濡れ女な幽霊ちゃんを濡れてない女にすることは難しい。


「体操服ある?」

「……持って帰ってます」

「そっか。少し待ってて」


教室の前に、まずは保健室だ。

実は保健室というのは美人な先生と柔らかいベッドがあるだけの部屋じゃない。

タオルだったりシャワー室だったり、結構色々常備されてるのだ。


コンコンとノックをして保健室に入れば独特の匂いと先生が生徒の足に湿布を貼っているのが見える。


「どうしたの?」

「タオル貸してもらえませんか?」

「いいわよ。適当に持っていって」


備品貸し出しリストに、タオル大と小に丸をつけて私の名前を書く。


失礼しますと保健室を出ると階段を上がって、次は教室だ。

残っている生徒に挨拶をして、使ってない体操服を取ると教室を出る。


これはわざわざ聞かれないためにRTAをしたため、5秒で行えた。


部室に戻ると、まだ幽霊ちゃんは溶けていないようで安心する。


「ほら、タオルと体操服。私のだけど使ってないから安心して」


幽霊ちゃんが顔をあげる。

眼鏡の奥の瞳は少しだけ潤んでいて、影がさしている。


タオルを受け取って、ジーッと私を見る幽霊ちゃんに、気の利く私は立ち上がって部室を出た。

もちろん手には文庫カバーの掛かった本を持っている。


今日は鍵の閉まる音はせず、代わりにカーテンの閉まる音が聞こえてくる。

扉に背中を預けてページを捲り、偶に何をしているんだと言いたげな生徒の視線を浴びながらものんびりと待つ。


しばらく経って、中からコンコン、と鳴らされて「大丈夫です」とか細い声が耳に届いた。


本に、スピンを挟み込んで、部室に入るとジャージを着た幽霊ちゃんがいる。

いつもより更にダボダボで可愛らしい。


服はカーテンを開き、扉が全開で机にかけられてはいるが、完全に乾くことはないだろう。


そして服の隣にあるのは、一冊の本。


「ごめんなさい」


幽霊ちゃんが虫の鳴くような声で、呟く。


「本……濡らしちゃいました」


私が貸した本で、そして幽霊ちゃんが昨日楽しんでいた本だ。


「自分でわざと濡らしたわけじゃないんでしょ?」


こくり、と幽霊ちゃんが頷く。


「ならいいよ」

「弁償します」

「しなくていいよ」


「でも!」


声が荒げられる。


幽霊ちゃんは不満そうで、自分を罰してほしいように見える。

本は本でもサイン本でもないし、別に大丈夫だ。幽霊ちゃんが悪意を持ってやったとなれば多少付き合いは考えるかもしれないがそうでもないのだろう。


「……でも、これは先輩に貰ったものだったのに」

「幽霊ちゃんって意外と義理堅いんだね」

「……うっさいです」


いつもの生意気な幽霊ちゃんに戻り、少しだけ安心する。


私からこれ以上、踏み込むつもりはない。

私は何でも解決できるような登場人物ではないし、人の厄介ごとに首なんか突っ込みたくはない。


だから私にできることはしてあげるつもりだ。


ほとんど私物が敷き詰められた本棚から取り出したのは、濡れて机の上に置かれたものと同じ本だ。


「これあげる。まだ最後まで読んでないでしょ?」


こくり、と首は振られる。


「なら最後まで読んで感想聞かせてほしいな。あんまり感想会とかする機会ないからさ」


「分かりました……」


素直な幽霊ちゃんはとても可愛い。

そんな幽霊ちゃんの返事に満足して、私は本へと意識を戻す。


増えた楽しみに、少しだけ表情を綻ばせながら。


◆◆◆


世界とは理不尽だ。

なぜ、放課後に黄色いゴミ袋を持って校舎の裏にあるごみ捨て場まで持っていかなければならないのか。

このままこのゴミ袋を天高く放り投げて、地面にぶつかる音を聞きながらこの場を走り去ってもいいが一般的倫理観と適度なマゾヒズムを有した私にそんなことはできない。


重い足を引きずりながら向かっていると、何やら声が聞こえてきた。

争うような怒りが混じる声に運動部がリアルファイトを始めたのだろうか?

野次馬日本代表の血が湧き上がり、こっそりとゴミ袋を手に向かう。


だがそこにいたのは屈強な運動部ではなく、華奢な女子生徒たちだ。


そして見覚えのある顔が一つ。


囲まれた中で、男爵令嬢ちゃんが不安そうに俯いている。


どうしようか……


ここでかっこよく飛び出してもいいが、それで何かが変わるわけでもない。

ましてや私に権力はなく、出しても巻き込まれる可能性もある。


でも何もしないのは違うだろう。

一般的倫理観と適度なサディズムを擁する私は、ポケットから携帯を取り出した。


私にできることなんてこれぐらいだ。


彼女たちの耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言の数々を動画に収める。

私が聞きたくないから少しだけだ。


そしてわざと足音を立てて、彼女たちのもとへ向かう。


彼女たちの視界は無事に私を捉えて、少しだけ怯んだ様子を見せた。


「そういうことしない方がいいよ」


出来るだけフレンドリーに話しかけるが、なんだか敵意がこっちに向いたように感じるのは気のせいだろうか?


「はぁ?関係ないでしょ」


……こわっ。

既に心の折れそうな中で、必死に平静を取り繕う。

こういう時に土足どころかブルドーザーで踏み入ってくるような変人な友人がいてくれればなと思う。


「でもこういうことバレたら停学じゃ済まないよ。この学校、そういうのには厳しいしね」


そう言って流すのは、動画だ。

流石は最新機種で声と姿が鮮明に撮れている。


流石に顔を青くした女生徒たちが慌てているがもう遅い。


「今回は見逃してあげるからその子に謝りな」

「……それで消すの?」

「消すわけないじゃん。次やってんの見たら容赦なく持ってくよ」


________ッチ。


反抗心からくるあからさまな舌打ちに、思わず笑いそうになる。


彼女たちは謝ることなく、その場から去ろうとする。


「あ、ちょうど一年の学年主任に用事があるんだった」


私の発言に踵を返して戻ってくる彼女たち。


ちょっと面白いじゃないか。


「……ごめん」


F1カーぐらいの早口でそう言う彼女。

後ろの二人は何も言わないし男爵令嬢ちゃんは無言で、何故か私を見ている。


なんで?


「うーん、早口すぎたからこれゴミ捨て場に持ってって」


手に持ったゴミ袋を渡してあげる。

彼女たちのゴミを見るような視線は気にしない。ゴミは君たちの手元にあるものだ。


「あんた、これからこうやって私らを使うつもり?」


なんだか凄い誤解がある気がする。


「今日はたまたまめんどくさい時に凄いカモがきただけで普段は別に何もするつもりないよー」


手をひらひらと振る。


「ゴミ捨てて早く帰りな」


一番気の強そうなリーダーっぽい子が2人の手を引っ張って去って行くのを見届けて、男爵令嬢ちゃんの方を見る。


似ている。


そんなことを思いながら不安そうな彼女にどう接するか迷う。


「大丈夫?」

「……はい、大丈夫です」

「そう、良かった。この動画、携帯に送ろうか?」

「……いえ、大丈夫です。では」


声を硬くした男爵令嬢ちゃんは、早足でその場を去っていった。


どうやら選択肢を誤ってしまったらしい。


手元が軽くなった私は、そんな彼女を見届けてそのまま部室へ向かう。


今日は幽霊は現れないだろうな、なんて、そんなことを考えながら。


◆◆◆


正体を見破られた枯れ尾花はどんな気持ちだったのだろう。

もちろん、枯れ尾花は幽霊だと自称していたわけでもなく、人が勝手に驚き、恐怖しただけだ。


そう考えると枯れ尾花側からすれば誤解が解けたのであり、彼らは安心したのだろうか。


だけどもしかすれば、彼らは悲しんだのかもしれない。


幽霊だと思われたからこそ興味を持ってもらえた。その正体がつまらないものだと分かってしまえば視線はこちらを向かない。


枯れ尾花は人の興味を引きたかったんだ。


________まだ感想会してないのにな。


幽霊ちゃんが部室にこなくなって1週間が過ぎた。


この部室はいつも通り、静かで何も変わることはない。

ページを捲る音、部活の暑苦しい声、カーテンの隙間から差し込む日差し。


私だけの静かな箱庭。


それに違和感を感じるようになったのは、神出鬼没の幽霊のせいだ。


人の関係は移ろいやすい。


昔は仲良くて毎晩徹夜してゲームに明け暮れた友人も時が経ち、繋がりが希釈されていくと疎遠になってしまう。


私にそんな友達はいないからこれは本から受け売りだ。


私が些細なトリガーを引いてしまっただけのことで、いつもの日常に戻っただけ。

きっとこの違和感も直ぐにどこかへ行ってしまうんだろう。


悲しいとは思わない。ただ残念なだけだ。


アンニュイな気持ちに浸っていると、部室の外から足音と賑やかな声が聞こえてくる。


「何してるの?」

「あっ、いや、なんでもないです」

「何にもなかったら部室の前をうろちょろしないのよ。ほら、私も用事があるから入りなさい」

「えっ、ちょっまって!」


1人は変人な友人の声でもう1人は、最近聞いていなかったものだ。


扉が開き、現れたのは友人と、男爵令嬢ちゃんだった。


「……あんたのそんな顔、久々に見たわ。扉の前をうろちょろしてたから入れたんだけどその様子じゃ知り合いっぽいわね」


男爵令嬢ちゃんは少しバツの悪そうな顔で、俯き加減である。


「まあ知り合いっちゃ知り合いかも」

「なにそれ?まあいいわ。この子はとりあえず置いといてあんたに残念なお知らせがあるわ」

「残念なお知らせ?」


何だろうか?

今日で世界が終わるとかなら多少は残念ではあるけど。


「文芸部無くなるかもしれないわ」


「え……」


友人の言葉に、男爵令嬢ちゃんが驚きの声を上げる。

まあ驚きはするけど、まあそうだろう。

文芸部とかいう幽霊部員ばかりで、まともな活動をしている人間がほとんどいない部活なんて正直必要ない。


……まあ、でも。

ここで過ごした時間、読み進めた本の数、最近顔を見せ始めた新顔の幽霊のことを考えるとこう思わざるを得ない。


「残念だなぁ……」


息と共に感情を吐き出すと、2人がなんだかビックリしたように私を見ていた。


「驚いた。あなたにそんな感情の機微が備わっていたのね」

「私をなんだと思ってるの?」

「読書AI」

「すみません。よくわかりません」


いつものやりとり、だが友人は不意に真面目な顔をすると大きなため息をつく。


「嫌なんだったら抗いなさい。文化祭で文芸誌の1つでも頑張って出せば、後はこっちでなんとかしてやるわ」


友人はなんだかんだ良い奴だ。

権力と富と名声、全てを手に入れたい強欲女なのが少々深傷ふかでだが。


「これで私のクソみたいな話は終わり。後は不順同性交友に勤しむがいいわ」


教育に良くないモザイク処理されるようなハンドサインをしながら部室を出ていく友人。


扉が閉まる音を聞いた男爵令嬢ちゃんが、手を強く握りしめて言葉を紡ぐ。


「この前はありがとうございました」


この前……放課後の校舎裏での出来事だろう。


「あの時はお礼も言わないで逃げてしまって申し訳ありませんでした」


「大丈夫だよ」


テンプレートに則ったつまらない会話。


「私が伝えたかったのはそれだけです。では」


男爵令嬢ちゃんはそのままぺこり、と頭を下げて部室を出て行こうとする。


「……それでいいの?」


彼女の足が止まる。


そんなことが伝えたかったわけじゃないだろうと彼女の目を見る。


男爵令嬢ちゃん。

いや、もうそんな呼び方をする必要はないだろう。


「幽霊ちゃんはどうしたいの?」


バレたのが気まずいでもいい。幽霊ちゃんって呼んでくる馬鹿がウザいでも、さっきの友人が気持ち悪かったから来たくないでも何でもいい。


私はまだ枯れ尾花の気持ちを聞いていない。


枯れ尾花の決心がつくまで、秒針の音と共に待っていると、歯を食いしばって俯いた枯れ尾花はやっと、小さな言葉を紡ぎだした。


「私は嫌な奴なんです。人が怖いくせに一人も怖くて、何かに縋って仮初の安心感を得て、でもそんなのじゃ満たされなくて、私の自己満足に先輩を巻き込んで……私、嫌な奴なんです。先輩はこんな奴と一緒に居たらダメなんです」


手をぎゅっと握り締めながらそう言って俯く彼女の頭を私はそっと撫でた。


「でもさ。私はキミがいた時間も空間も好きだったよ。明らかに本も読み慣れてなくて、最初は義務みたいに本棚の本を適当に取って読んでたキミもいつの間にかちゃんと本の世界にのめり込んでくれた。分からない表現を質問したりメモを取ったり、そういったキミを私は気に入っていたんだよ」


しゃがんで、彼女の頬を両手で挟み込んで力技で顔を上げさせる。


涙で濡れてしまっている可愛い顔に微笑みを返す。


「キミがどれだけ自分を卑下しようとそれは勝手だ。だけど私にとってキミは部室に一緒にいてくれる大切な友人だ。だからそんなこと言わないでさ。もっと気楽に私の側にいてよ。感想会だってまだしてないしさ。柄にもなく楽しみにしてるんだから」


目尻に溜まった大粒の涙を指で拭ってあげるが、どんどん溢れてきて間に合いそうにない。


「こ、こんな私が先輩とい、一緒にいてもいいんですか?」


「それを決めるのはキミだよ。私は拒むつもりはないからね」


「……じゃ、じゃあ一緒に居たいです……!先輩と一緒に。ずっと」


涙に濡れた顔で身を乗り出して正面から私と居たいと涙を流す幽霊ちゃんに愛おしさと身に覚えのない感情が肌を伝うのを感じつつ、その体を抱きしめる。


あいにく涙を拭くものは持っていない私が貸せるものはこの肩ぐらいだ。


存分に濡らせばいい。


運動部の空気の読めない声と幽霊ちゃんの泣き声が夕暮れの部室に響く。


偶にはこういうのも良いもんだと思った。




涙というものはなかなか枯れることのないようで彼女に付き合っているとすっかり完全下校時間が近づいていることを知らせるチャイムが鳴る。


そこでやっと顔を離した幽霊ちゃんの目は赤くなっていて酷い顔をしている。


私は笑いながら幽霊ちゃんを立たせると「んー」と大きく伸びをする。


「……先輩」


「ん?なに?」


「……ありがとうございます」


「いいよ。これで私と幽霊ちゃんの些細な日常が守られたね」


「……そう、ですね」


「おや?まだ何かお困りごとが?」


幽霊ちゃんは少しバツの悪そうな顔で私を見ると、小さく頷いた。


「動画、送ってもらってもいいですか……?」


動画。

思い当たるのは1つだけで、いいよと2つ返事で返す。


連絡先を交換して撮った動画を送ると、既読がつき、幽霊ちゃんが満足そうに頷く。


「全部終わらせてくるので、明日も待っていてください」


そう笑った幽霊ちゃんは吹っ切れたようで、そして悪い笑みを浮かべている。


変人な友人と同じ笑みに、若干の冷や汗を流しながらも私はこくりと頷くことしかできなかった。


◆◆◆


夕暮れの部室で、私は今日も本を読んでいる。


何も変わらない日常の中に、忙しい足音が鳴り響いた。


私は、視線を扉に固定して、彼女を待つ。


私だけの箱庭が、正式に私たちのものになる日で、柄ではないけどちょっぴりそれが楽しみだった。


扉が開くと、眼鏡もせず、髪も結んでいない幽霊ちゃんの満面の笑みが私へ向く。


その手には、あげた本が握られていた。


「この本、面白かったです」


本人は事の顛末を語るつもりはないようだ。

若干、赤くなった頬と喧嘩に勝ったガキ大将みたいな笑みに、私も何も聞かない。


「良かった。なら感想会しよっか」


幽霊ちゃんは「はい」と頷くと私の隣に座る。


前よりも随分と近くなった距離をこそばゆく思いながらも離れたりはしない。


それは私自身がこの距離を心地よく感じている証左でもあり、その事実に若干の恥ずかしさを覚える。


「ああ、でもその前に」


ずっと、気にならなかった。

でもこれからは大事なことを聞く。


「名前を教えてくれる?」


私の問いに、幽霊ちゃんは呆れた様子で、でも嬉しそうに口を開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

部室の幽霊 森野 のら @nurk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ