第31話

 店をあとにするとセルーティア氏はアルスを呼んだ。

「王子が何に化けたのか、ご存知だったのですね」

「先生が自然公園からあの店に行くまでは分かりませんでした。ところで、もう追跡はできないんですか」

 追跡ができるのならば、王子の魂を封じた緋鮒を飼っていった客の情報は不要なはずだ。

「追跡はできます。ただ何に化かされているのかまでは特定できませんでした。陸を移動している痕跡からして、魚は想定していませんでした」

 魚が陸を跳ね回って長い距離を移動するわけにはいくまい。セルーティア氏の混乱は分からなくはない。

「セルさん」

 氏に改めた調子で呼ばれるのが怖い。

「はい」

「王都を発つのならすぐがいいでしょう。テュンバロ方面に緋鮒ということは、実験に使用されるかもしれません。望みに賭けますか、賭けませんか。決めてください」

「行きます。でも、」

 このままというわけにはいくまい。ロテスもいる。王子が緋鮒に化けていると知ってから顔色が悪い。

「一旦、城に戻らせてください」

 城に戻ると、ガーゴン大臣への説明はセルーティア氏が担うことになった。アルスは幼馴染を探しにいった。彼女は城内の数少ない一室を与えられていた。部屋にはいけ好かない少年護衛がいる。つまり詳細は告げられなかった。

「またちょっと、出なきゃならなくて……できるだけ、すぐ帰ってくるんだけど」

 儀式の間から出てきたときの、どこか刺々しく陰険な雰囲気はもうまったく感じられなかった。よく知る温和な幼馴染である。彼女は長椅子に座り、壁に凭れて休んでいた。

「お腹の怪我のこと?」

「そう。テュンバロ方面に、検査入院。土産、何がいい?」

 嘘を吐いている後ろめたさがないわけではなかった。しかし第三者がいる。後日、手紙を書いて真実を知らせることにした。

「買う暇なんてあるの?」

「無ければ作るよ。せっかくだからね。お菓子とか?」

「何でもいいよ。あまり期待しないから、お願い。無事で帰ってきて」

「うん……」

 室内では少年護衛が睨むような眼差しをくれた。

 アルスは満足に話せないまま部屋を出た。王子に成り代わることに嫌気が差しているのではない。成り代わるか否か、王子の魂を救えるのか否か、はっきりしないことに嫌になっていた。うんざりしていた。疲れてしまっていた。彼もまた世間に揉まれず、精神的負荷について経験の少ない人間であった。

 医務室へも行き、リスティへ簡潔な説明をした。ここにも人目があった。大雑把にテュンバロへ行くと伝えたのみである。目的地がテュンバロであるかは定かではないけれど。

 彼女は寝台の上にいたが、退屈げに腕を伸ばしたり、関節をほぐしたりしていた。

「あたしもついていこうかしら」

「身体は大丈夫なの?」

「体力には自信あるわよ。出世払いしてもらうまで、地の果てまで追い回さないとでしょう?」

「別に逃げて踏み倒そうとしてるわけじゃないって」

 しかしリスティが来てくれるのは、アルスにとっても望ましいことだった。セルーティア氏の言葉にいずれ感情を抑えきれなくなってしまうかもしれない。氏の言葉が怖い。息が詰まる。

「それはそれとしても一緒に行くわ。暇だし」

「じゃあ、セルーティア先生にはオレから言っておくよ」

 彼女は動き回っていい状態なのか確かめておく必要もある。ちょうどそこへ、セルーティア氏はガーゴン大臣と共に医務室へはいってきた。

「アルス。テュンバロへの車はもう出ていないぞ」

 悪天候が続いていた。無理からぬことである。乱波導の影響を動物は受けやすい。

「歩いていくことになりますが、いいですか」

「オレは大丈夫です。でもリスティも連れていきます。リスティは出歩いて問題ありませんか」

「フラッド夫人はあと一晩もすれば問題ないでしょう。ただ、セルさん。問題はあなたです。あまりご自覚がないようですが重傷です」

 ガーゴン大臣や看護師長、リスティの視線が一斉に彼に注がれた。

「ええ? そんな感じはしないんですけどね……?」

「物資の豊かで交通の便のいい王都だからこそできた治療です。ロレンツァだったならできたか分かりません。それをお忘れなく。テュンバロに辿り着く前に薬が切れることもあります。生憎、僕の調薬師としての免許は失効しています。調合ができません。王都での免停ということは各地でもそうです。そうでしたね、大臣」

「そうですね。残りはどれほどあるのです」

「今日服用するのを含めると6包」

「ではそれまでに」

 しかしアルスには6包がどれほど保つのか知らなかった。考えもせず、診療所で出されるだけ飲んでいた。何の薬かも知らない。訊きもせず興味もなかった。説明はあったが聞いてもいない。

「時間との勝負です。テュンバロには慰霊碑が建てられるほど、緋鮒を実験に使います。最悪の場合、無駄な労力になります。そのことも考慮していただけると幸いです」

 3人は夜が明けると王都を出た。




 テュンバロは王都の南側、ロレンツァの西側にある。3人は王都とテュンバロの中間地点にある町を訪れていた。なんとか日没前に間に合った。

 その町は煉瓦で舗装され、家々も煉瓦造りであった。そしてそのすぐ背には鬱蒼とした林が生い茂っている。特に目立つところのない、長閑のどかな町だ。

 宿は空いていた。3人一部屋ずつとることができた。アルスはすぐ部屋に引きこもった。湯を浴びた後は飯も食わず眠った。膝が痛み、脹脛が張っている。出発まで眠るつもりだった。ところが彼は出発する前、朝が来る前に目を覚ましてしまった。空腹のためではなかった。外の騒がしさのためだった。寝台から手を伸ばし窓幕を捲ると、夜だというのに煌々とした明かりが見えた。緋色に染まった集団がいる。松明を掲げ、列を成している。怒声や叫び声が聞こえ、彼は寝ている場合ではないことを嫌でも感じなければならなかった。

 王都でたまに見かける示威行動に似ていた。しかしそれをこのひなびた町でやる意味はあるのだろうか。王都フェメスタリアや、ロレンツァ、ここから近いところでいえばテュンバロのような大都市でやらなければ意味がない。訴えたい連中には届かない。連帯を強めているとでもいうのか。

 アルスは濡れた髪を乾布に包んでいたが、乱雑に括ると部屋を出た。隣室の戸を叩く。セルーティア氏が泊まっているはずだった。しかし応答はない。廊下からリスティを呼んだが、彼女からも反応はなかった。この宿を訪れたとき、下の階の食堂の利用者はいたが、宿泊客は彼等3人だけであった。

 階段を下りていく。すでに帳場は閉まり、場所を共有する食堂も席を片付けられている。外から聞こえる鬨の声が、暗く広い空間にこだまする。

 彼は幼い頃に聞いた階段を思い出す。村の人々が、泊まりにきた旅人を食らうのだ。だがあまり納得はない。密やかにやるものだ。

 外へ出た。広場で固まっている、炎を掲げる集団へ近付いていく。目的は分からなかったが、アルスも参加者と見做みなされたらしい。松明を渡される。町民たちは林のほうへ視線を浴びせていた。

「何かあったんですか?」

 すぐ傍にいる人に訊ねる。その者の話すところによれば、つい先程林に入っていった者があるらしいのだがここ数日、この林では気の荒れた獣が出没するらしかった。そしてその入った人物の外貌を聞いたとき、アルスは眠気から解き放たれた。事情だけ聞いて踵を返し、寝台へ潜り直すつもりでいた。しかしその甘やかな予定は白紙だ。

 林へ入っていったのは、青い髪の小柄な人物で、片目に当布をしているらしかった。思い当たる人物が確かにいる。しかし何故……

 アルスはまだ戸惑っていた。ところが林の奥から咆哮が聞こえた。セルーティア氏の身に危険が迫っているのではあるまいか。アルスは一歩踏み出しかけた。肩を掴まれる。

 林に潜む獰猛な獣の正体は狒々緋熊。一度男性を襲っているために次また狙われるのは習性からして男。女を殺し、男を食らうのだという。ロレンツァに遣いを出したため、都吏警備隊が来るはずなのだという。

 けれどもアルスは待てなかった。ロレンツァから都吏警備隊が駆けつける間に、セルーティア氏の身が爪牙に引き裂かれてしまう。氏の身に危険があってはならない。王子の蘇生について確約はできない、希望を持つなと氏は言った。だがそれはこのような、氏が猛獣に食われて潰えるためではないはずだ。

 制止の声もきかず、彼は林へ進んでいった。人気ひとけのある町に隣接した林だというのに突然の静寂が訪れる。木々が生きているようだ。そして侵入者を丸呑みするかのようだ。

 町のような煉瓦敷の舗装はなかったが、踏み分けられ、道は作られていた。荷車が通るのだろう。だが最近はそうではないらしい。枝が伸び、屈まなければならなかった。松明を下向きに持つ。あまりにも頼りない燈火だった。

 セルーティア氏は強い。その強さを目の当たりにした。しかしまだ疑ってもいる。早急に氏を見つけなければ、氏の持つ王族クリスタルも、獣の腹の中になってしまう。

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