第十八回

「クスリには合う合わないがあるからなぁ。俺は大麻やシンナーなんかは得意だけど、LSDはどうも身体が受け付けないんだよなぁ」




道が空いていることをいいことに、カビゴンはスピード徐々に上げている。スズキはようやく落ち着いたのか、BARからパクってきたスミノフを飲んでいる。




「カビゴン、お前、アシッドダメなのかよ」




「ああ。あれは純度が低いけど、何て言うのかな……安っぽいんだよ。安いクスリってのは手に入りやすいけど、嫌な酔い方をする割にスッキリしないんだ。酒とおんなじだ。ああいうパーティードラッグは大量に服用しないと意味がないんだぜ」




「いいさ安くっても。アイツらラリってるから末端価格なんてわかりゃしないよ」



僕はそう言って奪ったスミノフをごくごく飲む。



「それよりほらカビゴン、俺まえに好きな人ができたって言ったろぉ?ソイツがなぁ、今朝股開いて寝てたんだよぉ。俺もうブチ込んでやろうかと思ってねぇ」




「なしご。お前ヤバいんじゃないのかぁ?さすがに低いからって、そう変な喋り方になるまで飲まなくたっていいのに」




「バーカ。俺は酔ってなんかねぇよ。それでなぁ、カナミの股に手ぇ入れたら、アイツパンツ越しに濡れてやんのよ。ひっどいもんさ、臭くって。そんで俺ちょっと萎えちゃった。やっぱり田舎もんはダメだな。ヤリマンみたいに清掃が行き届いてないやぁ」




「童貞のお前がなにほざいてやがるんだよ。そんなつまらん妄想なんか話し始めたらお前終わりだぞ」




カビゴンが珍しくまともなことを言っている。僕とスズキは悪酔いして、窓からボトボトと吐いている。下戸の上に乗り物にも弱いから、僕はスズキよりも長い時間サイドドアの窓から吐き続けている。







閉店したかのように明かりの灯っていない大看板のホームセンターを過ぎ、街灯の下でうっすらと光っている青田の区画を抜けると、別の町の市街地と思われる駅前に着く。




「ちょっとタバコを買わせてくれよ。俺はお前らみたいに酒が飲めねぇからな」




コンビニに車を止めたカビゴンは、財布と携帯を持って車から出る。僕はまだ頭がくるくる回っているからと、水を買ってくるようカビゴンに言ってシートに横になる。助手席のスズキは深くシートに凭れたまま、黙ってフロントガラスを眺めている。




「ケイサツが来たらタマの裏に隠すんだぞぉ」




と言って去っていったカビゴンの、その微かな足音に耳を澄ませながら、僕は仰向けの状態でデパスを飲む。




最近、僕はこのデパスを飲む量が増えてきたと感じている。アシッドを売り歩くようになってからは、彼女には自律神経失調症だと嘘を言って、何とかその場を凌いできたのだけれど、ここ数日、見かねた彼女が無理やり僕を心療内科に連れてゆき、半ば強引に処方箋の服用と毎月の診療所通いを決めたのだ。けれど僕の症状は鬱病でもなんでもなく、ただ薬物の副作用で生じる下痢や嘔吐に限られ、それも大分身体が慣れてきたのか、最近はひと眠りしただけで回復することの方が多いのだ。




僕はもう一度ポケットからデパスを取り出す。嫌に目が回って起き上がることができない。薬の効き目が弱いのか、それとも僕の身体がマヒしているからだろうかと、僕はもう一粒手に取って顔に近づける。




それはピンク色のアシッドだった。どうりでか。僕は安定剤とLSDを間違えて飲んでいたのだ。最近こういうことが多い。家に帰ってからポケットを探っても、たった二錠しかアシッドがないこともある。




相変わらず密売人の男は指定日に六十錠のアシッドを持ってきて、先週分の売り上げと引き換えて静かに去っていく。初めの二万から、男の要求は変わっていないので、十粒だろうが五十粒だろうが、指定日には一錠二万の計算で出した売り上げしか受け取らない。そのため規定金額から引いた分の売り上げが、僕の取り分となるわけだ。




僕はアシッドを五万や六万で売り歩き、不満を漏らす者には「今日はお得意さんがいるからダメなんだ」とか、「残りが少なくなってきている。来週までには仕入れられそうにない」などと適当に言って、屍人のようになった薬チュウから金を巻き上げる。僕はいちいち計算などせずに、その日の売り上げだけを考えているから、ポケットに入っているクスリの数がどのくらいなのか、さほど気にしてはいない。クスリは六十粒もあるのだし、期日になればまた密売人が補充しに来る。売り上げは規定金額の五倍を超し、僕はクスリの管理が面倒くさくなって、常にポケットの中に入れながら昼夜問わず町へ繰り出す。そうしていると、残っているクスリの数が幾つなのか忘れてしまうのだ。




「最近やけに減りが速いと思ったら」




僕はそう思って目を瞑る。いくら慣れたとはいえ、やはりLSDは薬物だ。身体に回るのが早い。目を瞑っても、瞼の裏側から赤べこの大群が押し寄せてくる。僕は両手で頭を抱え歯を食いしばる。脳内に赤べこが押し寄せて膨れあがると、血管の一本一本を喰い切るような衝撃が走る。僕は悶絶してシートに何度も頭をぶつける。遠くからスズキの嗚咽が聞こえる。向こうから入ってきた自動車のヘッドライトが僕を覆う。べこべこがカビゴンの声をかき消していく。







「それじゃあ、お前は精神剤とLSDを間違えたってわけかよ。馬鹿だなぁ」




横浜へ帰る道中の車内でカビゴンがそう言う。高速の景色はつまらないから、帰りは下道で行こうと言い出したスズキは、オーディオから好きなアイドル曲が流れているせいか、自前のペンライトを上下に振り回している。




「最近ちょっとおかしいなって思ったらこういうことだったのか。俺はもう絶対にアシッドはやらないね。神に誓ってもいいよ」




僕はそう言って、また外に吐出する。後部座席の空いた右側のシートに、さきほど僕が吐いて汚してしまったカバービニールが、乾いてほのかに酒の匂いを放っている。




「おい、簡単に辞められると思うなよ。なしごクスリは初だろぉ?初めてのもんって言うのは何にしろ、人生で忘れることは無いって、どっかの誰かが言ってたぜ」




「それってセックスのことだろ?あれは楽しいし気持ちいいし幸せだから記憶に残るんだ。そのくせクスリはどうだ?百害あって一利なしだ。まったく、誰がこんなもの好き好んで飲むんだよ」


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