第3話・待ちません、もう、待てません
ラケットが重い。ボールが重い。足が重い。いつもは楽しくて仕方がないテニスという球技が、とてつもなくハードに感じる。なんなんだこの苦行は。
寝不足とメンタル不調のせいで薄い集中力の中、それでもなんとか終礼までやり過ごした。
「喧嘩でもしました?」
「誰と、誰が?」
「先輩と、花乃ちゃん」
私がダラダラと帰りの支度をしている間に他の部員はみんな帰ってしまい、二人きりとなった部室で、その女は今最も触れられたくない部分にズケズケと漬け込んできた。
「たしか、ご両親がご結婚されたんですよね。おめでとうございます」
それほどまでに岡島は美しい。人の価値観を塗り替える程の圧倒的な存在感を持っていた。
ボブカットに包まれた色白の小顔、そこに配置されたパーツ一つ一つに全くの瑕疵がなく、それぞれが黄金比で結ばれている。さらにモデル然とした体型を優雅に
「ありがと。でもそれは両親に言ってあげて」
「では今度お家にお邪魔してもいいですか?」
「考えとく」
「ふふっ嘘ばっかり。それはそれとして――」
岡島は切れ長の瞳を妖しく輝かせながら、私の隣へ密着するように腰掛ける。
「――喧嘩、しちゃったんですね」
「……まぁ、ほら。家族になったからね。今までと同じようにっていうわけには……いかなくて……」
「……先輩」
「なに」
「今、相当弱ってます?」
「見てわかるでしょ」
「なら、チャンスってことでいいですか?」
「倫理観ゼロ過ぎない?」
知っていた。
こいつは悪魔で、私は馬鹿だ。
弱っている私を見ながら舌なめずりをしている岡島と、それでも誰かに弱音を吐きたい私は、残念ながら利害が一致している。
「花乃ちゃんのことだから……家族になった以上、恋人としては一緒にいられない、とか言われたんでしょうね」
ああ、本当に
「私が何度も……何度想いを伝えても、先輩の返答は『恋人がいるから無理』、でしたよね。なら、今。私を拒む理由なんてありませんよね」
岡島の人差し指が、私の輪郭を微かに撫でて。私は逃げるように立ち上がった。
「自分に自信持ちすぎでしょ。……帰るよ」
「
岡島は私の手を取り、自分の体へ引き寄せた。いきなりのことで抵抗できず、首から上が優しく抱き包まれる。
「先輩のことが好きです。どれだけ拒絶されても好きなんです。何回フラレても諦められないんです。それと今は……花乃ちゃんのことが許せない。あなたを傷つける人がいる場所へ、あなたを帰したくない」
珍しく、声音から熱意が滲み出ていた。彼女の指が私の指に絡まる。彼女の瞳が私の瞳を捉える。彼女の唇が、私の唇に――。
「岡島……待って」
「待ちません、もう、待てません」
知っていた。
こいつは悪魔だけど、悪いやつじゃない。私は馬鹿だけど、優しくない。
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