第2話・……わかってよ、有紗

「……おねえちゃん?」

 ノックはしなかった。それでも、足音かドアが軋む音かで私の存在に気づいた花乃は、ベッドの上から怪訝そうな声をくぐもらせる。

「んー?」

「どうしたの?」

「どうしたのって? 別に」

 初夜。とは言うまい。

 サブスクで海外ドラマを見ていたら二人きりの初日はあっという間に終わってしまって。

 美樹さんが作り置いてくれたご飯を食べて、当たり前のように別々にお風呂に入って寝る準備をして……それで終わり? そんなのは嫌だ。

「どうもしないなら自分の部屋戻って」

「えーいいじゃん別に」

 歩を進めベッドのふちに私が腰掛けると、ほとんど反射的な速度で花乃は布団を捲くり上げて上半身を起こし、暗闇を挟んで私を見つめる。

「よくない。普通の姉妹は一緒に寝たりしない」

「そうなの? 割りと一緒に寝たりするんじゃない?」

 彼女が見せた明らかな拒絶に、心拍数が上がっていく。それでもなるべく平静を取り繕いながら続けた。

「花乃は意識し過ぎなんだよ。一日くらい良くない?」

「ダメ。早く出てって」

 冷たい声。どうやら喧嘩をしてくれる気もないみたいだ。暖簾に腕押し。心臓はますます、しんどいアピールで痛みを全身へ送る。

「……花乃は私のこと……嫌いになった?」

 耐えられずに零す、弱い自分。呼応するように、弱々しくも温かい声音で花乃は言う。

「……そうじゃないって。……わかってよ」

「……」

「お母さん……家族ができて喜んでたんだもん。もう今までどおりでなんかいられないよ。せっかくできた家族が……娘たちが……ってわかったら、お母さんがどんな気持ちになるか……想像してよ。……わかってよ、有紗」

「っ……」

 花乃が普通に――家族に――固執している理由の一端を、初めて垣間見た。

 お母さん。お義母さん。美樹さん。花乃にとって今まで、たった一人の家族だった人。彼女を悲しませてまで押し通すエゴなんて、あってはならないんだろう。

「…………ごめん」

 わかったよ。私だって、私だって花乃を悲しませて押し通すエゴなんて持ち合わせてない。

「……ごめん。苦しませて、ごめんね、花乃」

「有紗……」

「おやすみ」

 ベッドから立ち上がる。暗闇と溶け合うようにつややかな黒髪にも、暗闇を弾くようにあでやかな白い頬にも、手は伸ばさない。

 普通の姉に徹していればいいんだ、私は。そんな……恋人にするようなことはもう、しちゃいけないんだ。

「……おやすみなさい、おねえちゃん」


×


「おねえちゃん、起きてる?」

 昨晩の私とは違い、花乃はノックをしてから声を掛けてくれた。

 時計を見ると7時を少し回ったあたり。このまま寝ていたら部活に遅刻していただろう。

「おねえちゃん?」

「入ってこないで」

 私の返事がなかったからだろう。ドアノブを捻った花乃へ、私は枯れかけた声で返した。

「……ごめん」

「んーん、起こしてくれてありがとう」

 花乃の足音が去っていくのを確認してからカーテンを開けると、腫れぼったい瞳に痛烈な光が差し込んでくる。

 どれくらい泣いて、どれくらいに寝たのか全くわからない。

「…………」

 花乃に理想の家族像があったように、私にも理想の恋人像があった。

 夜は二人で狭いベッドに寝転んで、目覚めたら寝ぼけた互いを笑い合いながら朝を乗り越えていく。

 おやすみとおはようだけでも……あったんだよ、理想が。他にもたくさんあるんだよ。

 ……けれど、そんな妄想は朝の日差しに溶けて霧散していく。

 彼女が求める理想の姉妹になるためには、今までの距離感じゃダメなんだ。私は変わらないといけない。

 だから、恋人としての距離感が抜けきるまで、花乃とは完全に距離を置く。

  私は姉に徹する。姉として花乃を愛し、家族として花乃を守る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る