第26話 夫婦の時間

 あれよあれよと。


 魔王さまの寝室。


「…………!」


 緊張する。初日以来だ。

 今、魔王さまはお風呂で汗を流してる。私はここで待機。

 無意識に正座して。

 メリィも居ない。呼んだら駆け付けてくれるらしいから近くには居ると思うけど。


 心臓がバクバク言ってる。なんでだろう。


 『何か』が、起こると思ってるのかな、私。


「ふぅ……待たせたな」

「魔王さまっ」


 ガラリ。

 そりゃ自分の部屋だ。ノックも何もなく入ってきた。

 着崩して胸筋がはだけてる、浴衣姿で。いや私も浴衣なんだけども。

 水も滴る、良い男。


「荒沙羅です」

「すまん。……淹れられるようになったのか」

「練習しました。チェルカ先生にお願いして」

「そうか……」


 丸いちゃぶ台を挟んで。湯呑みをことり。魔王さまは淹れたての荒沙羅を飲んでくれた。


「すまんな。俺は確かに、愛歌に時間を割くことがなかった。だからお前の進捗も知らん。……本当はもっと、こういう時間を持つべきなのにな」

「いいえ……。お忙しそうだからと、私も今まで何も言わなかったですし……」

「…………」


 今日は。

 もう、全部私達の時間だ。お城の皆がそうしてくれた。

 バクラさんに負けた慰めでもあるし。


「城を空けて、お前を危険に晒してしまったな。その詫びと償いもまだだった」

「そんな……。私は無事でしたし、魔王さまが悪いなんてこと」

「……駄目だな」

「えっ?」


 ことり。湯呑みを置く音。所作のひとつひとつが綺麗なんだよね。魔王さまって。上品さが滲み出てる。


「愛歌を見てると、申し訳無い気持ちが出てきてしまう。つい謝ってしまう。お前がそれを望んでいないことは分かっているのに、な」

「…………私も、結婚なんて初めてですから。しかも慣れない魔界で。……分からないことだらけで。毎日必死で……。でも、魔王さまだって。メリィだって。他の皆だって。人間なんて初めてだろうしって、思うんです。皆まだ、私達は、まだ『様子見』の段階なんじゃないかって」


 私も自分の湯呑みを傾ける。ふわりと、開けている窓から風が入り込む。もうそろそろ日が落ちる。火の月が。気温が下がり始める。


 そろそろ、火の月が終わりを迎える。私がここに嫁いできて、半月になる。


「……だから、私。魔王さまのこと、もっと知りたいんです。お互い、今は遠慮してるだろうけど。……夫婦として。もっと」

「…………そうだな」


 恥ずかしくて、まだちゃんと目を見て話せない。ちらちらりと確認するように見る。魔王さまはずっと、優しげな表情のまま。


「…………名前」

「はい?」


 ぽつりと。


「……バクラやキーラは名前で呼んでいるだろう」

「あっ……。確かに」

「呼んでくれないか」

「……はい」


 ヤバい。

 今まで。意識して、『魔王さま』って言ってたんだよね。実は。

 だってなんだか。

 ……恥ずかしくて。


「…………ゴート、さま」

「『さま』も、要らないんだがな」


 でもここは、今。ふたりきり。


「それは……。まだちょっと、難しいです」

「そうか。なら良い。少しずつで」

「はい。……ゴートさま」


 私達はお互いのことを知らないまま夫婦となった。


「……多分、焦っていたのだと思う。確かに、『愛歌』を見ていなかった。『破魔の瞳』しか。半ば誘拐のように、連れてきてしまった」

「はい。分かってます」

「む……?」


 結果論だけど。私は良かったと思う。


「だから、もう謝らないでください。私、ここでの生活、気に入ってるんです。チェルカ先生の授業も。メリィとのやり取りも。バクラさんもキーラさんも気にかけてくれて。おサキちゃんも懐いてくれて。……正直、日の下に居た時より、充実してます」

「愛歌……」


 授業でやった。魔力って、その人の精神力が形になってるものだって。

 視える。

 ゴートさまの、私への魔力気持ち


「…………魔法、得意なんですよね。今度見せてくれますか?」

「……!」


 多分。

 私から、もっとアタックしても良いんだと思う。いや、それこそが私達の距離を縮める良い方法なんだ。


 どうあっても、魔族と人間だから。魔界で一番優しいこの魔王さまは、人間に対してやっぱり遠慮しちゃうんだと思う。負い目があるんだと思う。


 そんなの気にしてないよって。

 伝えなきゃ。


「……ああ。分かった」

「私、頑張りますから。ゴートさまの。皆の呪いを解けるように。絶対絶対、やり遂げますから」

「…………ああ。ありがとう」


 私だって。最初は駄目だった。『飼われる』とか言って。なんだか不幸そうに思ってた。それは違う。


 こんなに優しく大事そうに私を見てくれる男性なんて、今まで居なかった。


「…………敵わないな」

「えっ。何がですか?」

「いや……。ありがとう」

「もう。謝らなくなったと思ったら、今度はそればっかりですよ」

「む……」

「ふふっ」


 私は今、幸せだよ。お父さん。お母さん。


 因みに。


 この夜は何にもありませんでした。普通に部屋に戻されてひとりで寝ました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る