禍津の分霊



 ─1─


「───アヴァリツィアの…宿主…?何言ってんだテメェ…。」


 目の前にいる人物から、感じた事のある恐怖と重圧を感じた。まさか…目の前にいるこいつは…だがそんなはずは無い…は確かに静子が封印したはずだ…。



「お前…誰だ…?」



 都田の皮を被ったそいつは、あっさりとその正体を明かした。



「あら…あなた何も聞いてないの…?も冷たいのね…教えてあげないなんて…。私は禍津神まがつがみ…。その内の、嫉妬を司る厄災よ…。」



 ───最悪だ。都田に取り憑いていたのはリュウゲンのようなただの霊体じゃない。こいつは俺が想像していたよりもずっと、最悪の存在だ。



「禍津…神……だと…?」



 の皮を被ったそいつはゆっくりと、じわじわと寄ってくるような足取りでこちらに向かってくる。


「そうよぉ…この子はね、あなたに負けそうになってるのが心底悔しかったみたいなの…だ〜か〜ら〜ぁ……私がちょっぴりお手伝いしてあげてるのよ…。嫉妬の感情を増幅させてね…フフ。」


 怒りが込み上げてきた俺は近づいてきたそいつを突き放すように怒声を浴びせた。


「ならさっさと都田に体を返せ…テメェいつまで───」



「あら…体はずっとこの子が使ってるけど?私が出てきたのはよ?」



「…は…?」



「さっきも言ったけれど…私はね、この子の嫉妬の感情を増幅させてあげてるだけなの、多少助言はしてるけれどね。やった事はぜぇんぶ、この子の意思よ?残念だったわね、やったのが私じゃなくて…。」



 ───ウソだ…じゃあ、俺が受けた仕打ちは全部、結局都田の意思だったのか?



 ───俺は正直心のどこかで期待してしまっていたんだ。あれが都田の意思じゃなければいいのにって。だから、都田の体が誰かに乗っ取られているかもしれないという仮説は俺にとって希望でもあった。なのに。



「ただまぁ…もあった事だし、そろそろいいかしらね。アヴァリツィア?あなたもいい加減出てきたら?」


 そいつはまるで俺の中にいる禍津に話しかけるような様子でそう言った。だが、当然反応など帰ってくるはずが無い。


「残念だけど、禍津は多分今頃眠ってるぜ。それはもう気持ち良くな…。」


 その言葉は、目の前の人物には相当堪えたようで───




「あ?───



 ───あんた、何言ってんの?」



 都田の目が見開かれ、言葉の間に差し込まれる沈黙が恐怖を感じさせる。




「まって、あんた…アヴァリツィアだけじゃないわね…他に?」


 ───その瞬間だった。俺の体から黄金に輝く光が発生し、俺を包み込む。


「え…なんだこれ……!」


 俺の驚きは、目の前のそいつの反応によって見事に掻き消された。



「お前はぁ……乃木静子ぉ!!!!!また私たちの邪魔をするのかァ!!!!」


 都田の叫び。いや、正確には都田の体を乗っ取っている、そいつの怒りに満ちた叫び───



 頭を掻きむしり、こちらを睨むそいつの顔は、あまりにも醜く歪んでいて、それが親友の変わり果てた姿だと思うと見るに耐えなかった。



「あぁ…そうか…だからなのね…あなたがまともなのは…。そいつが守ってくれていたの…。」


 目の前のそいつは、まるで毒を全て吐き切ったかのように突然落ち着きを見せ、そう言った。


 都田の体が一瞬だけすとんと力を失ったように見えたが、その様子も束の間、都田は素早く体を起こして刺すように俺に鋭い眼光を向けた。


「なら次はあんたよ!!!!面白いわ!!!禍津神である私達さえ退けるその精神力!!!間違いなく最高の器!!!!」


 都田が突進してくる。咄嗟に構えを取ったが間に合わず、俺は都田に押し倒された。


「……くっ………やめろ……都田ぁ……。」


 都田の体から真っ黒なモヤが姿を現す。禍津の時と同じ、あの黒いモヤ───



 まずいと思った俺は咄嗟に左手を出し、構えを作ってイメージしようとするが、どう足掻いても左手に変化は起こらない。


(だよな…ここは精神世界じゃねぇ…。)


 戦えるわけが無いのだ。だがこのままでは目の前のこいつに体を奪われる。そんな実感があった。



 ───黒いモヤがゆっくりと俺の元に飛び込んでくる。


 まるでスローモーションになったかのように、目の前の事象がゆっくりと俺の元に向かうが───


 あと一歩の所で俺を包んでいた黄金の光が再び姿を現し、それを尽くかき消していく───


 迫り来る闇を浄化しながら、やがて黄金の光は都田を覆っていった。


「あぁッ!!!やめろ…やめろォ!!!」


 苦しむように都田が叫びながら俺から手を離して後退した。都田を包んだ黄金の輝きはまるで黒いモヤだけを摘出するようにしてそれを持ち上げ──────


「あっ……ががっ………きさ………神………調子にの……………」


 窒息しそうな声を上げていく都田から、やがて黒いモヤは完全に摘出され───



 ───それは空中で握り潰された。




 ─2─


「都田!!?」


 倒れ込む都田を咄嗟に支え、俺は声をかけた。


「す、菅生……。あれ…俺…。」


「いい、喋んな───


 ───帰ろう、お前ん家に。」




 俺は都田をおんぶするようにして背負って、ゆっくりと歩き始めた。



「菅生……ごめん…俺……分かってるんだ…自分がした事……。」


 都田は今にも消えそうな声でそう言った。



「いいんだ。俺も…お前にも、皆にも謝んなきゃなんねぇ…。そもそも俺が皆を蔑ろにしてたんだ…。これはその報いだよ。」



 ゆっくりとした足取りの中、意外な人物が俺に話しかけてきた。




(将真よ…聞こえるか…。)


 俺の頭の中で声が聞こえた気がした。




(えっ…?静子さん…?)


 乃木静子、俺に声をかけてきているのは間違いなく俺の精神世界の中にいるはずのその人物だった。


(あぁ、時間が無いので少しだけ君に伝えておく。先の禍津はこの少年の体を器にしようと画策していたようだが、この少年はアマテラスの秘宝を持ち合わせていない。再び狙われるような事は無いだろう。だが、その代わり…)


(その代わり…?)


(恐らく次に狙われるのは君だ…。奴は君にアマテラスの秘宝があると気づいたはずだ。奴らはこの力を極端に嫌うのでな。間違いなく力ごと乗っ取ろうとするだろう。)


(え…でもさっき潰してくれたじゃん…もう存在すらしてないんじゃないの…?)


(いや、あれは応急処置にすぎん。そもそも奴らを完全に消すこと自体が難しいんだ、以前も伝えたようにな。それに…禍津の分霊は複数体存在している。アヴァリツィアと呼ばれた君の中に封印されている禍津も、先程私が撃退した禍津も…その一部に過ぎん。)


 あんなのが何体もいるなんて、冗談じゃないと思った。それはつまり───



(俺…もしかしてこれからあんなのと戦わなきゃなんないのか…?)


 この力を手にした事で、俺はどうやらとんでもない事に巻き込まれてしまったような気がした。もう、今までの十四年間と同じ生き方が出来なくなるような、そんな不安があった。



(あぁ…時が来たら……また君に声を…かけ………それまでは………)



(あっ…ちょ…!)



 ───また、絶妙なタイミングで静子の声は途切れていった。



 時刻は午後六時三十一分。


 春の入口を感じさせるような冷たい風が、俺達の背中をゆっくりと押す。


 ふと気になって見上げた空の青は少し色濃くなっていて、所々に混ざるオレンジ色が幻想的な風景を作り出していた。


 そう、まるで先程まで起こっていた出来事が夢であったかのような、そんな風景だった。




 ─3─


 それから俺は、ぐったりとしていた都田を家まで送り届け、そのまま帰宅した。


 春休み中、俺は一度だけ部活に顔を出した。もちろん、皆に謝る為だ。


 誠心誠意謝って、俺が皆のやる気を奪ってしまっていたことや、皆の上に立つ資格が無いことをひたすら頭を下げて謝った。


 それを聞いた大多数の部員は納得してくれたが、色々と手の込んだ嫌がらせをした鈴木と齋藤は心象が良くなかったようで、終始無言を貫いていた。


 鈴木と齋藤はあんなんだけれど、それでも部の精鋭だ。この部が強くなるためには必要だと思うし、他のメンバーとは俺以上に上手くやっている。だから──────



「将ちゃん!!!」


 帰る俺に声をかけたのはペアの瀬川だった。


「ホントに辞めちまうんか…?」


 そう、俺は部を辞めることにしたのだ。謝ったとはいえそれで責任を果たせるとはどうしても思えなかったし、全員が納得してくれた訳じゃない。時間があれば話は別なのだろうが、引退まであと半年しか無い中で、俺と彼らの関係修復に時間を割いている余裕は皆には無いのだ。


「絶対後悔するって…将ちゃん…。」


「ごめんな、瀬川…。一緒にテッペン行けなくて…。」


 瀬川は踵を返した俺の背中を目掛けて叫んだ。





「またやろうぜ!!!一緒に!!!テニスやろうぜ!!!!」





 溢れ出そうになった涙を堪えて、俺は空を目掛けて左の拳を突き出した。




 その力強さが俺の答えだ。きっと、またいつか。




 ───だってこの競技は、生まれて初めて寝食を忘れて頑張りたいと思えた競技だったのだから───









 ────夢想劇第一部 Code:Mind────



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