努力の記憶
───ん…。
記憶の結晶に触れ、頭の中に映像が流れ込んできた事を感じ取った俺はゆっくりと目を開いて状況を確認した。
─1─
───2010年7月
夏特有のジメジメとした暑さの中で練習を終えた将真は、500mlのペットボトルに入った乳酸菌飲料を一気に飲み干し、荷物置き場の横にあるベンチに腰を下ろした。
───今日も全敗だ。
木曜日の夜、将真は今年度に入ってから通い初めた外部チームでの練習に参加していた。
普段の部活に加えて皆が能動的に参加しているチームなだけあって、周りにいるメンバーは皆県大会は当たり前に出場し、その中でも上位に成績を残す事を目指すメンバーばかりだった。中には強豪校の選手が何人もいる。
清央中では現在四番手を張り続けている将真も、ここでは無名の部に所属している影の薄いメンバーに過ぎない。ここでの彼の立場は決して良くなかった。
───誰も自分に興味を示さない。そもそも眼中の存在として認識されていない。
とはいえ居心地の悪さを感じながらも何とか食らいついて練習をこなしていくうちに確かに実力は上がっており、お陰で部内ではほぼ敵無し、その実力は一番手の都田に迫るほどになっていた。将真も瀬川も正式な番手決めの試合さえ迎えれば、少なくとも三番手の席は確実、あわよくば二番手の席でさえも手に入るだろうと思われていた。
───それでも、まだ何もかもが足りていない。都田に勝つ事が目的じゃない。俺の目標は県上位で結果を残し、強豪選手としてその名を周囲に知らしめることだ。彼の座を奪うという事はあくまでその通過点、形式的に己の実力を示す手段に過ぎないのだ。
(強い奴らは二月の新人戦でもう結果を残し始めてた。あと一年しかねぇんだ。こんなレベルで燻ってる場合じゃねぇんだよ…)
その日の帰り道、迎えに来てくれた母親が運転する車内の後部座席で、俺は焦りと苛立ちを力に変えて、拳へ注ぎ込んでいた。
────────────────────
───翌日、朝練にて。
コートでは二つのラケットが互いにボールを打ち合っている音だけが響いている。
しかし、音は五回程度音を鳴らしたところで、毎回そのリズムを止めてしまう。
「はぁ…。」
将真は露骨な溜息をついて首を落とした。
「はい、もう一回。」
将真は呼び掛けと共に再度ボールを打ち出し、向かいのコートではたまたま朝練に来ていた、現在三番手の鈴木がレシーブをする。
しかし何度やっても結果は変わらず、俺が毎度全力で打ち出すボールに鈴木はこれまでと同じくらいの頃合いで対応しきれなくなり、打ち返したボールの進行をネットに妨害されるか、そもそも足が追いつかずボールが彼の元を過ぎていく。
己が止めてしまっているボールを拾いに行く鈴木の背中はとても弱々しく、その情けなさが将真の腹の底に更なる熱を加えていく。
(ああクソ…これじゃ練習にもなんねぇな…。)
「もういいや、俺あっちでサー練してくるわ。」
「あ…ちょっと待てって…俺乱打の練習したいんだけどぉ…。」
鈴木が困り顔で将真に訴えているが、将真は既に彼の方になど目を向けておらず、一人で別のコートへと足を進めている。
苛立ちが喉元に突っかかっているのを感じ、将真はストレスを吐き出すようにその雑念を宙に放った。
「練習になってねぇだろうよ。もうちっとミスなくせや。話になんねえよ。」
将真はそう言い残して一人コートで立ち尽くす鈴木に背を向けると、別のコートに移って一人サーブの練習を始めた。
(クソ…クソ…クソ…!こんな事やってる暇ねぇんだよ…。都田はなんで朝練来ねぇんだ…。せめて齋藤位じゃねぇとまともな練習にもならねぇじゃんよ…。)
苛立ちを全てラケットに込めるようにして、将真はひたすらサーブを打ち続けている。
───そしてこの一ヶ月後、正式な番手決めの試合が行われ、俺と瀬川は鈴木達を下して三番手の席を手に入れる事となった。
─2─
───記憶の再生が一区切りし、辺り一面には真っ暗な闇が広がった。
「…くっ……!」
俺は歯を食いしばって耐えた。独りよがりで周りに当たる自分の醜さに。
「───将真。」
そんな俺の様子など考慮する事無く、闇の中に光る一点の星のような輝きを放ちながら、着物の女性が俺に声をかけた。
「良くここまで来てくれた…先の戦いでは随分辛い思いを……したようだな。ともかく無事で本当に良かった……。」
彼女の言葉を受けても俺は黙ったままだった。話を聞く準備が、どうしても出来ない。
「君の心境は理解出来る。だが、今は時間が無くてな。少し私の話に耳を傾けてはくれないだろうか…。」
女性の諭すようなその声に気持ちを切り替え、俺は彼女の言葉に意識を向ける。
「ありがとう…まず君たちが知りたいであろう事を順に話そう…。今回もあまり時間は無い、端的に話していくぞ。」
女性の姿は相変わらずぼやけていてハッキリと視認できないが、白を基調とし、襟や帯揚げの部分の赤いラインがそれを彩る着物を着た彼女はやはり神々しい美しさを放っている。
「まず君が現世に帰る方法だが、凡そ検討はついているだろう。結論から言えば、全ての記憶の結晶を周り、君が己と向き合い終えた上で、レーベの街の北西にある雪山へ向かうのだ。」
北西の雪山。俺はその地域に心当たりがある。確かリュウゲンの記録では彼と禍津が拠点にしていた場所のはずだ。
「あの雪山には石造りの洋館があってな。あそこには現世と君の精神世界を繋ぐポータルがある。あれについてはより細かい話もあるのだが、今の君には必要ないだろう…。」
女性の声は以前の接触時よりもかなりハッキリとこちらに届いてきている。
俺はできるだけ彼女と会話できるよう、話を誘導していった。
「なるほど…でもそこに向かうって事は当然禍津はなんとかしなきゃいけないんだよな…?」
「君の言う通りだ。あそこは今や禍津の根城となっている…こればかりは私の落ち度だ…本当にすまない。」
「では次に、君達を苦しめた禍津とシャドウについてだ。シャドウの存在は既に聞いていると思うが、奴への対処方法も君達の考察通りだ。素晴らしいよ。奴は君の心の力でのみ退ける事が出来るだろう…。」
「あいつは、俺の恐怖心とかトラウマから作られてるからか…?」
「そうだな。奴は禍津の手引きによって、君の負の感情を糧に生み出された。故に奴を下すには君の正の感情でそれを浄化する他に無い。奴の存在を維持している…核が体のどこかに……あるはずだ。それを一息に叩け。それで…やつの存在は……瓦解していく筈だ…。」
女性の声に徐々にノイズが混じり始める。時間が近いのだろうか。
「な、なぁ!最後に一つ教えてくれ!禍津に…奴に勝つためにはどうすればいい!」
女性はそれに即座に答えを返してくれたが、その答えに俺は強く落胆した。
「禍津…奴を完全に退ける事は……残念だが不可能だ……。」
女性は雑音の入った声で残念そうにそう告げる。
「だが…奴を何とかしなければ…例え君が現世に帰る事が出来たとしても……やが……君の体は器………奴に奪われる…になるだろう……。」
───もう時間が無い。
「ならどうすればいい!!俺は!!俺達は!?」
「───封印だ……。奴を止めるには……しかない…。」
「封印…?それはどうやって…?」
女性の姿が輪郭から消え始める。タイムリミットのようだ。
「最後に将真よ……。記憶の解放によって君の力は……強くなっている……。その全てを……した時……君はきっ……みち………ほど強くなって……筈だ…。」
「ま、待ってくれ!!まだ聞きたい事が!!」
─3─
「っは…!!?」
意識が元いたトレガンの街に戻る。
ゆっくりと状況を確認するようにして、俺は辺りを見渡した。俺のすぐ近くにはジュード、ルイーザ、ケイトが確かに立っている。
彼らの存在を視認した時、俺は自分が見た己の醜い姿を思い出して心が締め付けられた。
(そうか…そうだ…今更だけど、皆にもまた、俺の酷い姿を見られたんだ……)
「…くっ……!」
その場から逃げるように走り、彼らの元を離れていく俺の背中にルイーザの声がぶつけられる。
「あっ…ちょっと待ちなよ!ショウマ!!」
───辛い。
───せっかく、信じられる仲間が出来たのに。
───あんな姿を…自分が嫌われ、攻撃される原因になった出来事を、せっかく出来た仲間達に見られ続けるのが。
───もう、耐えられない…。
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