宝の副作用


 ※今回の内容には震災を想起させる表現が含まれております。苦手な方は御遠慮ください。




 ─1─


 ───2011年3月11日 14時46分


 五時間目の授業中、俺達二年五組は英語の授業中だった。


 ───ゆらゆらと、ゆっくり左右に揺れるような感覚が来る。


(あ、地震だ。最近多いな。)


 席替えをして、窓際の最前列の席になっていた俺は外を見ながらそう思った。


 ぼーっと外を眺めてから、視線を再び教科書に落とすまで十秒ちょっとだっただろうか。その辺りで俺も、周りの人間も違和感を感じ始めたのだ。


「お?なんか長くね?」


 一人の男子生徒がそう呟いた。


 そう、長いのだ。いつもはもっと早く収まっているはずなのに、今日のは随分長い。


 その長さに異変を感じてから、次の違和感を感じるまではさほど時間を要しなかった。


 揺れが二段階ほど強くなる。


「お?おぉー…おぉー?」


 クラスのムードメーカーが、茶化すように声を発するが、彼のその反応が如何に馬鹿げたものだったかを知るのはその直後だった。



 ───ガンガンガンガン!!!!!


「うわっ!?」


 突然の出来事に、俺を含めたクラスの全員が取り乱した。机や棚、俺の目の前にある大型テレビとその台が、大きく揺れてぶつかり合っている。


「全員!!机の下!!!」


 英語を教えていた男性教師が俺達に大声で指示を出し、俺達は全員机の下に避難した。


 頭を抱え、体を縮こまらせて必死に机からはみ出さないよう体を硬直させるが、揺れは収まるどころかどんどん勢いを増していき、まるで留まるところを知らない様子だった。


 教室中のあらゆる物が大きな音を立てる。建物が一気に倒壊するのではないかと思わせるような強烈な揺れが俺達の心を締め付けていく。


(やべぇってこれ……マジで死ぬんじゃ……。)



 ───本当に心の底から死ぬんじゃないかと思った。こんな揺れ経験した事がないし、終わりが一切感じられない。学校という巨大な建物が崩壊したら、絶対助からない。


 恐る恐る目を開けて、俺は机の外を見た。それが俺の恐怖を助長させた。


「あっ……うわっ!!?」


 ───テレビ台が、俺の方に倒れてくる。


 机に守られているとは言え、落ちてくる大型テレビには恐怖した。俺は必死で目を瞑って歯を食いしばるが、何秒堪えてもテレビが俺の机に衝撃を与える音は聞こえてこない。


 俺は再度、目を開けて外を見た。



「…あ!?」


「っく……大丈夫か…ショウマ…!」


 一瞬、俺を護ったその人が、に見えた。


「…ジュード…!?」


 だが、もちろんこの世界に彼がいるはずも無く───


「菅生…!怪我してないな!?」


 俺を護ってくれたのはジュードでは無く、先程まで英語の教鞭をとっていた先生だった。


 ───それから揺れは徐々に収まっていき、やがて地面は完全に静止した。




 ─2─


 それから俺達は一度全員がグラウンドに避難をし、長い時間を過ごした。その間に何度も余震が続き、時たま現れる大きめの地震で校舎のてっぺんにあった避雷針がぐにゃんぐにゃんに首を振っていた姿が、俺達に何度も不安と恐怖を与えていた。結局下校が許されたのはその日の夕方で、駐輪場に停めてある自転車はそのままに、俺達は徒歩で帰宅した。



 帰宅すると、家の中はめちゃくちゃになっていた。食器棚は倒れ、飾ってあった益子焼の皿や、俺や二人の弟達が習い事で貰った賞状も地面に落ち、無惨な姿で発見された。


 電気はつかないので、懐中電灯とランタンの明かりで食卓を囲み、残り物の野菜や肉を全部使ってガスコンロで火を通し、皆で鍋を囲んだ。



「マジで、本気で死ぬかと思ったわ。」


 俺が最初に口を開いた。


「小学校は渡り廊下にヒビが入っちゃったって、一真と将平、学校どうすればいいんだろう…。」


 一真と将平は俺の弟である。俺達は二つずつ離れた三人兄弟で、俺が長男、次男の将平が小学六年生、三男の一真が小学四年生だ。


 将平はもうすぐ卒業式も控えていたというのに、小学校は危なくてしばらくは入れないかもしれない。


「まぁ、生きてるだけで十分だ、今は。こうやって家でメシも食えてるしな。」


 確かに、今は父の言う通りだろう。


 震災初日に、こうして無事に帰宅して家族皆で夕飯を食べられているだけでも奇跡だ。だって、あの時は本当に生きた心地がしなかったのだから。




 ────────────────────


 翌日、昼頃に復旧した電気のお陰でテレビがついた事で、俺達は歓喜の声を上げたが、そんな喜びも束の間───テレビに映っていた光景は、俺達の喜びを一瞬にして奪い去っていった。


 震源地は宮城県、三陸沖。どうやら東北だったようだ。だからだろうか、ここ栃木県も相当な大きさだったのは。


 実際、昨日家路につく途中では瓦屋根が倒壊し、大谷石で出来た塀は尽く形を崩していたし、小学校だってヒビが入るほどの大打撃だったのだ。


 ───本当に、居場所が悪かったら死んでいてもおかしくなかったのだ。




(何やってんだ…俺は……)




 こんな事になるなんて思いもしなかったが、同時にそれは甘えだとも思った。俺は恐怖に脅えて、やるべき事をいつまでも先延ばしにして、せっかくあの世界で皆が背中を押してくれたにも関わらず、こうやって惰性で三ヶ月も過ごしてしまっていた。


 腑抜けている。帰ってきてからの俺は…あまりにも弱っている。



 ぐっと目に力を込め、俺は改めて覚悟を決めた。



(学校が再開したら…まずは佐藤だ。)




 ─3─


 それから一週間後。震災の余波はまだまだ色濃く残っていたが学校自体は何とか再開し、俺達にとってのいつもの学校生活が始まっていた。


 日もすっかり落ちきった頃。俺は駐輪場にを呼び出した。


「菅生…。」


「おう…。」


 肩にかからないくらいの長さで綺麗に切りそろえているショートボブは以前は明るい色をしていたはずだが、今はそれを真っ黒に染めあげている佐藤絵奈は、ゆっくりとした足取りで俺に近づき、三歩程離れた距離で立ち止まった。


「佐藤、あの…地震、大丈夫だった?」


「あ、うん。家は皆大丈夫だったよ。菅生のとこは?」


「あぁ…俺ん家も皆無事だった。」



 挨拶のような、切り出し易い会話はすぐに幕を閉じ、俺達の間に沈黙が訪れる。


 だが、このまま沈黙が続けばタイミングを失うだろう。そうやっていつまでも終わりの見えない重苦しい空気が続くのだ。本題に入るなら今しかない。



「佐藤…あのさ。」


 佐藤絵奈は右耳に髪を掛けながらこちらを見た


「何?」


 佐藤の声に乗っている感情は、なんだろう。不安と疑念だろうか。



 俺がそう仮説を立てたその時だった。



「何?」と言った彼女の言葉が頭の中で反響する。繰り返される度に、それはの要素を増長させていき、やがて俺のその仮説が想像を越えて的中したような感覚を覚えた。


(───またこれだ…こっちに帰ってきてから…誰かの気持ちを想像すると……うぅ……!)


 頭を抱えた。現実に帰ってきてから、「あいつはこう思っているんじゃないか」と誰かの感情にを付けると、まるでその色がどんどん濃くなっていくような感覚に襲われる。


 ───例えば、。と一度でも思ってしまうと、それがどんどんエスカレートして不安が俺を襲うのである。


 頭痛に耐えるようにして頭を抱えている俺を見て、佐藤は咄嗟に三歩距離を縮めていた。


「菅生…!?大丈夫…?頭、痛いの…?」


 俺の肩を支える佐藤の姿が、何だか懐かしい。


「いや…大丈夫…。それより…俺言いたい事があって…!」


 迫り来る不安を振り切って、俺は話を切り出した。


「佐藤!ごめん!!俺…ちゃんと話もしないで一方的に突き放しちまった!!!悪意に塗れた根拠の薄い言葉を信じて…これまでの佐藤を蔑ろにして…怒りに任せてお前を傷つけた……だから、謝りたかった……!」


 佐藤は戸惑いを隠せないようで、また一歩足を引いて答えた。


「え…ちょっと、ごめん…。話がよく分かんなくて…何の事…?」


(そうか…佐藤は知らねぇのか…。)


 それはそうだ、わざわざアイツらが佐藤に真実を告げる理由が無い。ならいっそ全部話してしまおう。そう思った俺は、佐藤に事の全容を一から語った。




 ────────────────────



 佐藤から感じる感情の色が変わった。


「じゃあ何…私達、お互いにハメられたって事?」


 彼女の全身からは、憎しみに近い色を感じる。紫色に更に赤を混ぜたような、そんな雰囲気だ。


「あぁ。ただ事の発端は多分俺のせいだ。都田が俺を嵌める為にやったんだと思う。」


「都田くんが絡んでるなら私にも責任あるよ…。あの人を振ったの、私だから…。」


 佐藤は伏し目がちにそう答えたが、すぐにこちらを向き直して言葉を続けた。


「私ね、ちゃんと言ってなかった気がするんだ…。どうして菅生と付き合いたいって思ったのか、だからちゃんと言うね…?」



 そう言って佐藤は、自分の本心を打ち明けた。


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