決戦、禍津神

石造りの洋館-イントロイダス・アド・アビュッスム-



 ─1─


 ───シャドウの存在が消失していく。


「お前は俺の弱さの証だ。だから、お前は俺に倒されなきゃならない。」


 消えゆくシャドウに強い視線を突き刺し、俺はシャドウに告げた。


「でもな、絶対忘れねぇよ。お前がいたから俺は強くなれた。お前がいるから、俺はもっと強くならなきゃって思えるんだ。だから───



 ───また何度でもかかってこいよ。」




「ショウまァァァ………ァ───ァァァ───ァァ───」



 シャドウを形作る黒い影が、まるで焼け焦げてポロポロと崩れ落ちていくようにその存在を成す核を中心に瓦解していき、やがて完全に消失した。



 シャドウが消えたその場所には、まるで最初から何も無かったかのように一切の痕跡が残らなかった。奴は本当に存在するモノだったのだろうか。



「皆やったな!!!後は───」


 喜びをみんなと分かち合いたくて、俺はその笑顔を向けたのだ。なのに。



 バタリと、力無く倒れたのはケイトだった。


「ケイト!!!!?」


 俺は咄嗟にしゃがみこみ、倒れた彼女を支えた。


「ごめん…ショウマ……ちょっと…頑張りすぎたみた…い…。」


 ケイトは本来傷つけることすら困難なシャドウを封じるために、限界まで水縛陣を維持し、更には上級魔法まで使ったのだ。いくら優秀な魔法使いである彼女と言えど、ただでは済まないだろう。それは彼女も覚悟の上だったはずだ。


「もういい…喋んな…魔力切れならこれで…。」


 俺は腰から彼女に貰った宝石を取り出す。これなら彼女を助けられる。


「ダメ…。言ったでしょ……それを使うのは今じゃない……。」


「でも……!!どうすんだよ!!お前…このままじゃ!!!!」


 このままではケイトの命が危ない。そんなの嫌だ。俺は何度彼女に命を捧げられそうになればいいんだ。


 取り乱す俺の元に、やや足元が覚束無いジュードが声をかけた。


「ショウマ…落ち着け…!大丈夫だ…彼女は僕に任せて先にいけ…。」


 涙目を輝かせながらケイトを見つめる俺の背中を、ルイーザが力強く叩いた。


「大丈夫だ…!あたしもいる…!ジュードみたいな魔力量は残っちゃいないけど…あたしのが力あんだ…いざとなったら二人ともおぶってくよ…!」


「案ずるな…ケイトを落ち着かせたらすぐに向かう…大丈夫…今のお前ならきっとやれるさ、お前に剣と心構えを教えたのは誰だと思っている…?」


 ジュードとルイーザの言葉を信じ、そして何より俺を信じてくれた二人に応えようと思った。


 だから、背中は二人に預ける。


「行ってくる…。ケイトの事、頼んだぜ…!」


 少し険しい笑顔と共に、俺達は笑いあった。




 ───大丈夫、心はいつだって共にある。




 ─2─


 ───タイナ山、山頂。


 山頂部にそびえ立っているのは、石造りの巨大な洋館だ。人の訪れないこの場所では異質な程の綺麗さを誇るその建物の入口で、男は俺を待っていた。



「シャドウは、賭けだった。」


 限りなく黒に近い紺色をした着物に、黒いマントのような羽織を着るその男は、ゆっくりと、低い声を周囲に響かせるようにしてそう言った。


「いくらお前でも、己の恐怖の権化が、ましてやこの世界の多くの存在を食らい、より確かな存在感を持つに至ったあの恐怖の塊を退けられる確証は持てなかった…。」


 男の目が、ゆっくりと俺を見据える。その眼光は黒、まるでブラックホールにでも吸い込まれるような、真っ暗な闇の色をしている。


「だが、お前はやり遂げた。ついに膨張し切った己の恐怖すら乗り越えてここまで辿り着いた…これは奇跡だよ菅生将真…。君の存在こそが、私の忌み嫌う彼らの希望の象徴になった訳だ…。」


「あんたの好き嫌いなんか知らねぇし、誰の希望だかなんだか知らねぇけど、そんなものに興味はねぇよ。あいつを倒せたのは俺の力だけじゃない。皆がいたからだ。その辺ちゃんと理解しとけよ。」


「ふ…ふふふ……ふはははははは…!───




 ───そうか、お前達にとってはそうだろうな…だとすればそれこそが彼らの目指しただろう…だからこそ奪い甲斐があるのだろうよ…。」


 高らかに笑う彼の周りからはずっと重圧の様なものを感じる。存在するだけで押し潰されそうになるような畏怖の念を放つ禍津と、それに耐える俺。この対話から、既に戦い始まっているのだ。



「さぁ、終わりにしよう。私達の戦いを…。」



「この石造りの洋館───イントロイダス・アド・アビュッスム───ここがお前にとっての再起の地となるか、終焉の地となるか…その結末を!」


 男は両腕を横に広げる。まるでこの世界の全てをこれなら己が手にするのだと、そう言うように。




 ─3─


「おぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」


 雪の積もる地面に力を込めて、俺は前方へと駆けた。


 左手に握る長剣を右後ろに構え、禍津の間合いに食い込ませるように振り抜いていく。


 禍津はそれを体勢一つ変えることなく、左手の甲で受け止めた。


「本来なら仲間を連れてきて欲しかった所だな…。」


 禍津は俺の剣を手の甲で受け止めたまま、右足で強烈な蹴りを入れた。



「うっ…!」


 膝で思い切り顎を蹴りあげられ、後ろに仰け反った無防備な俺の腹を、禍津は更に二度素早く蹴り飛ばした。


「貴様一人では、所詮はハエと恐竜だ…。せめて奴らがいればアブ位にはなれたモノを…。」


 後方へ吹き飛ばされる俺は転がりながらも何とか体勢を立て直し、奴の言葉を返した。


「言っとくけどな!皆がいたらお前に勝ち目なんてねぇよ!前会った時より、俺も皆も見違えるほど強くなってる!四対一なんてハンデ背負えると思うなよ!」


 禍津はその言葉を受けて少し眉をひそめ、何も言わないまま、背中からもくもくと黒いモヤを発生させる。


 ───ただのモヤだと思ってはいけない。アレはケイトの腹を突き刺すほどの強度にもなる。


 俺が警戒態勢を取ると、禍津はそれを数本槍のような形にして猛スピードで俺の方へ伸ばし始めた。


 襲い来る黒い槍を、俺は左右に飛んで避け、禍津の元へ走る。かわされた槍は地面に突き刺さり、まるでごく小さな爆弾が爆発したように付近の雪を円状に飛ばす。


(戦えてる…!あの禍津相手に素の状態で!)


 以前は怒りに我を忘れ、心身のリミッターを完全に外した状態でやっと互角の戦いが出来ていた。だが今は違う。今の俺はちゃんと



 ───再び、禍津の間合いに入った。



 奴には先程のように腕で防御するような動きは見えない。恐らく攻撃の為の黒い槍に意識を持っていかれているのだろう。



 ───いける。禍津に剣が届く。



 俺は剣に雷撃を纏わせ、左横から剣を水平に斬るようにしてそれを振るった。



「雷刃衝!!!!!」



 横薙ぎの一閃が、禍津に命中する。雷撃と共に放たれた一撃は落雷に近い轟音と共に禍津を捉え、次の瞬間───




 バキン。という音と共に俺の剣は真っ二つに折れていた。


 禍津は立ち尽くしまま動かない。確実に斬撃は奴の体に命中したはずだ。なのに、大きく損傷したのは俺の剣の方だった。



「僅かでも勝機を見出したか…温いな人間…。のだ。お前に絶望を与える為にな…。」



「がぁっ!」


 禍津の背中からもくもくと湧き上がった黒いモヤが、腕のような形を作って俺を鷲掴みにし、宙でギリギリと締め付ける。


「ふん…どうやら私とお前ではいささか認識の齟齬があるようだ。」


 そう言った後、禍津はモヤの腕を思い切り地面に叩きつけた。


「ごほっ……!?」


 雪の地面にめり込み、呼吸が苦しくなる。


「にん…しきの…そごだ…?」


「そうだとも…私は何もお前達が共に手を取り合って戦う事を望み、仲間と共に来れば良かったと言ったのでは無い。空想の存在など、私にとっては都合の良い肥料に過ぎん。そう、ただの栄養剤だよ。」


 モヤの腕は力を緩めること無く、俺を締め付けている。


「紛い物の世界の紛い物の生物など、三匹殺したところで世界には何の意味も持たぬのだ。」


 禍津は静かにそう吐き捨てながら、俺を掴むモヤの腕を再度思い切り地面に叩きつける。言葉と共に、何度も、何度も。


「ごほッ…!」


「それだと言うのにお前は、自分の作りだした偽物に傾倒し、昂り、感情の機微から大きな波紋を作っていると来た。危害を加えれば怒り、その力を増幅させてくれるのだからな…!」



「かはッ……!」



「これを!」



「ごふっ………」



「栄養剤と言わずして!」



「おぇ…………」



「なんと呼ぶか!」


 俺を押さえつける腕が、俺を何度も叩きつけ、最後に思い切り空中へ飛ばした。



 ───宙を舞う俺に、先程の腕が鋭い槍のような形に変形し、俺の元へ突進する。



「つまらん…実につまらんな…。」



 ───ブスリ。




「ごふっ………」




 禍津の放った黒い槍が、俺の心臓を突き刺し、そのまま後方へ投げ飛ばした。




 力無く地面に落下する俺。周囲の白は死臭の漂う赤で染められていく。


 目のコントラストが失われていき、やがて内からも外からも体温が奪われていく。寒さと恐怖以外の感情が消失していく。



「………ぁ……………ぁ………………。」



 虫の鳴く程度の声を出す俺を見た禍津は、実に退屈な表情を浮かべて言葉を吐き捨てた。



「お膳立ての割に、随分退屈な余興だったな。」



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