回想②


 死後の世界がどうなっているのか。それを知るものはいないだろう。今の私を除いては。


 気がつくと私は宙を浮いていた。自分がどうなったのかはすぐに理解できた。視線を下ろした先には事故現場がある。


 私は死んだのだ。




 ─1─


 死んでしまった私は宙に浮いたまましばらくその場でぼーっとしていたが、これからどうしようかと考え、少しだけその辺を動いてみる事にした。不思議だ、先程生きていた時は何も考えられずさまよっていたのに、死んだ途端冷静になれた。


 しばらく浮遊していると、自転車に乗って通学する学生の姿が目に入る、気がついたらもう朝か。


 私は何となく、登校する学生の後を追ってみた。途中彼らの前に立ったりしてみたが反応は無い。どうやら私の姿は見えていないようだ。


 彼らが登校が終えてたどり着いた場所には見覚えがあった。


 ───清央中学校か…。


 この辺りは中学、高校、大学が三角形を形作るように隣接していて、私が勤務していた高校は隣にあったのでよく知っていた。一貫校などでは無いので、交流はないが。


 学校…私が、私でいられなかった場所か。


 やることも無いので私は校内を縫うように探索してみた。どれだけ動き回っても誰にも見られていないので、この体は案外悪くない。


 生徒たちの様子は、楽しそうに笑い合う者、つまらなそうに机に突っ伏している者、何かに怯えるように廊下を歩く者…実に多様性に溢れている。そうやって校内を観察していると、やはりあっという間に時間が過ぎていて、気がついた頃には既に放課後を迎えていた。


 そろそろここを出ようか、そう思っていた矢先、私は何となく一人の男子生徒が気になって後をつけてみた。様子から察するに、これから部活に行くのだろうか。


 正面の名札には『菅生』と書いてある。すごうと読むのだろう。


 彼は突然昇降口で動きを止めて、少し遠くで起こっている出来事を見つめていた。


彼の目線の先を確認した時、私はおもわず吐き気を催した。


 二人の大きな男が、一人の華奢な生徒に向かって何かを言っている。しばらくして二人が彼に何かを言い終えた後、華奢な彼は二人によって突き飛ばされた。彼は不自然な体勢で座りこんだまま、苦笑いをしている。


 この様子を見て菅生はどう思うのだろうか。私は無性に気になって彼の前に回り込んだ。


「落合…。」


 そうつぶやく彼の表情には、見覚えがあった。


 私は落胆した。彼の顔は弱い者を憐れむような表情をしていたのだ。自分はああはなりたくないと、攻撃されるものを見放すような目だ。


(彼は…そちら側の人間なのか…)


 その直後だった。私の視界がぐるぐると回り始める。何かに吸い込まれている。気持ち悪くなるような視界の回り方に、私は混乱した。




 ─2─


「はぁ…!」


 気がつくと私は見知らぬ場所にいた。何が起こったというのだ。先程まで私は清央中で菅生という少年と共にいた。なのに突然何かに吸い込まれるようにして…あぁそうだ、あの少年だ、菅生だ。彼の中に吸い込まれるようにして私は気を失った。


 体を起こす。どうやらここは雪山のようだ。目の前にあるのは、大きな石造りの洋館だろうか。


 私が状況整理をしていると、前方から何者かが近づいてくる。


 その男は、ゆっくりと近づきながら私に声をかける。


「誰だ…お前は、この世界の人間では無いな…。」


 身長180cmの私を優に越えるその男は、ゆっくりと低い声を響かせるようにして私に話しかけていた。その巨体から感じられる異質な雰囲気、空気がビリビリとひりつくような独特な空気感…。近づくだけで畏怖の念を感じさせられる。


「なるほど……お前は外から来たのか……良い。一つだけ質問をさせてくれないか…。」


 男は私に問いかけた。


「お前は…元の世界に帰りたいとは思わないか…。」


 元の世界というのは私が生きていたあの世界の事だろうか。別にそんなものに興味は無い。私は既に生にしがみついてなどいないのだから。


「別に。私はもう、どうでもいい。」


 男は私の生気のない返事に納得したような表情を浮かべ、私を誘う。


「ここでは寛いで話も出来んな…。来たまえよ。案内しよう、私の城に…。」


 男は踵を返す。そして私へ再度問いを投げる。


「君のことを、教えてはくれないか…。」




─3─


それから、私は男と長い時間語り合った。体感だと何年も、何十年も話していた気がする。男は私が話す間、何も言わずに優しく話を聞いてくれた。そういう彼の態度や姿に、少しずつ心を開いていったのだ。


私がここにやってくるまでの話を終えると、彼はここがどこなのか、なぜ私はこの場所に迷い込んでしまったのかを教えてくれた。


ここが、菅生将真という少年の精神世界であること。


精神世界はまだ完全に覚醒しておらず、この石造りの洋館と雪山の外に世界は存在しないこと。


私はこの世に未練を持ったまま死んでしまった為に、現世をさまよい続けていたこと。現世をさまよう人間は、精神世界を持つ人間に引き寄せられてしまうこと。


そして、精神世界に引き寄せられた私のような者を『夢喰い』、そう呼ぶのだという事を。


私はふと疑問に思い、彼に聞いてみた。


「菅生将真という少年は、どういう人間なのですか。」


男はゆっくりと口角をあげると、手のひらから六つの緑色に発光する結晶を取り出し、私の質問に返答する。


「知りたいのなら見てみるか…。」


私は彼の指示に従って、その結晶の一つ一つに触れてみた。




────────────────────


───全ての結晶の記憶を見た。


なるほど、彼はそういう人間か。


私が記憶を見終わるのとほぼ同時に、地面が大きく揺れ、新たな記憶の結晶が姿を現す。


「ふふふ…ふふふふ……ついに来たか…覚醒が…。」


私が見てきた中で、彼は最も嬉しそうに笑った。どうやら菅生は精神世界を覚醒させたらしい。


「触れてみよ…最後の結晶だ…。たった今、誕生と同時に私がここに呼び寄せた、彼の最後の記憶だよ…。」


私は最後の結晶に触れ、彼がこの世界に来るまでの物語が頭の中で完成する。



「貴方は以前おっしゃいましたね。元の世界に帰りたいとは思わないかと。」


私は一つの決意をし、彼に質問をした。


「それは、菅生の体を手に入れることで、という事でしょうか。」


男は感心したように呟く。


「理解が早いな…その通りだ。彼を殺せ。そうすれば、彼の体は君の物だ。」


私は彼を殺すことにした。彼の体を手に入れ、菅生としてやり直す。


彼は、決してただの被害者では無い。友人を見捨てた彼もまた同罪だ。彼は必ず攻撃する側の人間になる。


(父さん、僕はやり直すよ。僕には人の痛みがわかるから。)


虚ろな目をしたリュウゲンは、男に踵を返し、山の麓へと降りていった。


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