第22話 あなたはあたしが守る(今回は、かなりの長文になります)
「うっ」
突然太郎さんの足元が崩れた。大変、まだ毒消しが効いてないのかもしれない!!
と、思ったら。なんと、昨日お静さんにめちゃくちゃにされたまま片付けていない布やら服やらに足を取られただけだった。
「ふっ。はははははっ」
「もう、笑いごとじゃありませんよ、太郎さん。あんな約束までしちゃって。言っておきますけどあたし、着物を縫うのは初めてなんですからねっ」
「よい。そんなそなたも愛しておる」
そうして、太郎さんの顔が近づいて――。
「ダメですっ!! 顔は洗ったけど、だってあたし、汚いです」
不意にお静さんに襲われたことが頭をよぎる。怖い。太郎さんにまで否定されたら、勝負どころじゃなくなる。
「お静のこと、本当にすまなかった。以前は大人しく、穏やかな性格をしていたのだが、いつの間にか中身が変わったようにわがままになっていた。我がかまってやらなかったせいかと思ったのだが、これほどまでに悪質だとは想像できていなかった。本当にすまない。怖かったであろう?」
「太郎さん……。うん、怖かった。すっごく心が冷たくなって。えぐっ」
ついにこらえきれなくなった涙が頬を伝う。太郎さんは、そんなあたしの気持ちが晴れるまで、優しく髪や背中をなでてくれていた。
「すまなかったな。夏希。けれど、そなたは少しも汚れてなんかいない。もし本当にそう思うのであったらなおさら、我が清めてやろう」
そうして、ためらいながらもあたしの顔のそこいら中に、口づけの嵐をまき散らした。
「まだ、我が怖いか? 問屋が言っていた母上殺しの真実なら、話すが。それにより、そなたが我を嫌いになってもかまわないと思っておる」
太郎さんがお母様を殺したとかいう、問屋さんの言葉が胸を突く。こんなに優しい太郎さんが、そんなことをするはずがない。
「話したくないことでしたら話さなくてもいいですから」
「夏希?」
「話すことで、太郎さんが楽になってくれたらいいのですけど、それにより、記憶が過去に戻って、太郎さんの心が壊れちゃうことの方が怖いです」
けど、気まずい。中途半端な情報は、誤解を招くということを、もう知ってしまったのだから。
「我が話すこと、信じてくれるか?」
「はい。だってあたし、太郎さんのお嫁さんですもの。だから、どんなお話でも信じます。お嫌でなければ、なんなりとおっしゃってくださいっ」
あたしばっかり弱音を吐いてちゃダメだ。今度はあたしが、太郎さんの力になりたい。
骨ばった細い指をしている太郎さんの手を、キュッて握った。すぐに、太郎さんが握り返してくる。大丈夫。あたしがそばにいるよ。
「我の父上は狐の獣人の王であった。時にぶらりと人間界に立ち寄っては、面白いものを持ち帰っていたと聞く。きっと母上も、そのうちに入るのであろう。もちろん、母上は人間のおなごだ。互いに想いあい、婚姻しても、母上は流産を繰り返した。異種間での子供はイッシーにも無理だとなんべんも説得された。だがある時、不意に我が母上の腹に宿った。しかも兄弟もなく、我たった一人。どんな子供が産まれるか、それともまた流れてしまうのか逡巡している間に、十月十日を待たず、我が産まれてしまった。結果は、ご覧の通りの半人半獣だ」
そうして太郎さんは、モッフモフの尻尾をあたしに触らせてくれた。
「けれど。うまくいかないものだな。我をこんな姿で産んでしまったことで、母上の心を壊してしまった。我は幼い頃から乳母以外の者と接することもなく、成長してくると蔵へと閉じ込められ、父上にはお前の顔は醜いから面をかぶるようにと強いられ、わずかな食事しか与えられなかった」
そんなっ。太郎さんが悪いわけじゃないのに。
「そうしてある時、ついに母上の心が完全に壊れた。幾度も我の名を呼び、わめきちらし、イッシーや女中などが止めるも振り払い、そしてついに、我は初めて母上の顔を見た。想像していたよりもずっと痩せこけ、白髪の長い髪はまばらに抜け落ち、そして歯のない口で、最初で最後、太郎。愛しているわと笑顔を浮かべ、そのまま力尽き、絶命した」
太郎さんの苦しそうな涙を、あたしのハンカチが拭う。あなたのせいじゃない。そう言いたいのに、涙で嗚咽が漏れるばかりで。
あたしは、もう一方の手で、太郎さんの青白い頬を包み込んだ。太郎さんは、あたしの手の感覚に擦り寄るように、唇を這わせる。
「父上は大層お怒りになった。母上が死んだのは我のせいだと譲らずに。そして、罰として我は人気のない神社の狐の石像へと姿を変えられてしまった」
けれど、と太郎さんはつづける。
「一つだけ希望があった。時々神社を訪れる幼子がいた。それが夏希だった」
「えっと、もしかして、あの石像が太郎さんだったの?」
「ああ。そなたはいつも優しかった。雨が降ると拭いてくれたし、あまりにも暑い日は水を差し出してくれた。そなたの優しさは、本来母上から与えられるはずのものだと知った時、石像なのに涙が出た」
太郎さんはとても優しいお顔であたしの頭をポンポンと撫でてくれた。
「我は当初から、そなたが大人になったら婚姻したいと思っていた。だが、その矢先に王位を継いだばかりの父上が、何者かに殺害されたという。王が不在のままでは、人間界にも悪影響を及ぼす危険があり、かといって継承権のない者を王にするのは不安があった。なぜなら、城下町で一番信頼を得ているのは今も昔も問屋だからだ。そして、母上が我を産んでくれたその頃から、問屋が頻繁に城に出入りする姿を見かけられている」
「じゃあ、もしかして――?」
問屋さんじゃ、とは太郎さんは言わせてくれなかった。そう口に出してはならない、なんらかの罠がしかけられているのかもしれない。
「父上が亡くなったことにより、我にかけられていた術も解け、仮初めの花嫁でもいいから戻ってくるように指示され、仕方なく身投げをしようとしていたお静に声をかけた、という次第だ」
ああ、そうか。だからあの時、雨が降ったんだ。あれは、太郎さんの涙雨だったのかもしれない。
「我が怖いか? そなたを嫁にすると言いかけたこの唇が、仮初と言えどもお静に婚姻を頼み込み、ようやく夏希と婚姻できたというのに、我はそなたに母上と同じ目にあわせてしまうかもしれない。純真な心を持っていたはずのお静は、いつの間にか問屋の言いなりになり、我を殺そうとした。我と共にいる限り、そなたを失ってしまうのが怖いのだ」
「太郎さん?」
あたしは、縁側で寄り添う太郎さんを抱きしめ、その頭を優しくなでた。
「ずっと、一人で悩んできたのですね? でも、大丈夫!! あたし、もう泣きません」
「夏希?」
「これからは、太郎さんのことはあたしが守ります。どんなことになっても、あたしだけはずっとあなたの味方でいます。あなたは全然醜くなんてない。だからもう、お面なんてかぶらなくてもいいんです」
「だが、それだと」
「わかってます。もし、お面を外した太郎さんに言い寄る人が来たら、あたし、太郎さんに口づけします。お面一つでころころと気持ちを変えるような人になんて負けません」
太郎さんの目から、ぽろぽろとたくさんの涙が溢れてきた。
「大丈夫。この勝負も、絶対に勝ちましょうね」
そう告げたあたしに、思いのこもった口づけを、太郎さんからいただいてしまった。
つづく
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