第16話 誘惑の果に

 お静さんの端正なお顔がすぐ近くにある。美しく艶めく長い黒髪が、ばさりとあたしの顔にかかった。


「夏希はいいな。元から女の子だし、手芸が得意だし、みんなに優しくしてもらえて、太郎様の奥さんにまで登りつめた」

「や。あの、そんなつもりは全然ありませんけど?」

「なんでも持ってる人って、そういう自覚ないよね? ぼくはどこにいても嫌われるから」

「そ、そんなこと――」

「ないって、言い切れるの? 夏希はぼくのなにを知っていて、そんな適当なことを言うの? おべっか使えば、世の中なんとでもなってきたから? にこっと笑えば思い通りになるから? そんなの、卑怯だよ」


 ダン、と男の人の力で、強引にベッドの上に組み敷かれた。


「や、やめてくださいっ!!」

「やめないよ? 十番勝負なんて馬鹿みたいなことを思いついたのはなぜだと思う? ぼくはここを追い出されてしまったら、行くところがないんだ。王様より先に男を知ってると噂になれば、君はお嫁さんからハズされるだろう? ね?」


 そう言うと、開け放たれた廊下に目を移した。あたしもつられてそっちを見ると、女中さんの一人であるミコさんががたがたと震えて立ちすくんでいた。


「ち、違うのっ!! これは――」

「違わないし」


 ねっとりと甘い声でお静さんが言うと、無理やりあたしに口づけた。


 いやいやをして、なんとか顔をそらせるも、そこにはもう、ミコさんはいなかった。


 涙ぐむあたしを乱暴に突き飛ばして、お静さんはクローゼットを適当にあさり始めた。


「ふん。男に媚びる服ばっかりだね? 本当は青が好きなのに、ピンクばっかり着せられていた昔を思い出してヘドが出る」


 それから、お静さんはクローゼットをめちゃくちゃにそこら中に投げ飛ばした。


「ふん。お前なんか、日本に帰ればいいんだ。もっとも。お前を覚えてくれている人はもうどこにもいないけどね。知ってる? ここでの一日は、人間界での一週間に相当する。のんきに十番勝負なんかしてたら、あっという間に婆さんになるよ。あっははははっ」


 両耳を手で塞ぎ、流れ落ちる涙をぎゅっとこらえてしばらくして。お静さんはもう、この部屋にはいなかった。


 つづく

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