第七集 両雄邂逅

 唐王朝を揺るがせた黄巣こうそうの乱は、独眼龍どくがんりゅう李克用りこくようと、笑面虎しょうめんこ朱全忠しゅぜんちゅうの活躍によって鎮圧された。

 決戦を終えて本拠地に凱旋しようとする鴉軍あぐんを率いた李克用は、汴州べんしゅうの朱全忠から戦勝の宴に招かれる事となった。


 宴の場所は上源駅じょうげんえきである。


 この時代でいう駅とは大抵の場合、馬舎うまやを中心に栄えている宿場町の事を指す。唐代の頃の情報伝達は、主に早馬を利用しており、それを各地の駅を結ぶようにリレー形式で行われたのである。

 そうした情報を始め、陸路流通の拠点になる駅は、人の流れの中心になるため、流通に関わる役人や旅人が休む場所として、自然と宿場が栄えるわけである。

 汴州の北部にある上源もまた、そんな駅のひとつであった。


 しかし十年に渡った黄巣の乱で、中原ちゅうげんは略奪で荒らされていた上、ここ近年は首都陥落という事態にあったため、ほとんど駅としての機能は失われていた。

 決して住人たちが立ち去って廃墟になっているというわけではない。宿場町を経営していた住人たちはそこに残っているのだが、周囲のほとんどに塢壁うへき(バリケード)を張り巡らせたその様相は、古き無法時代の再現のようであった。


 そうした場所であるゆえ、両者とも付き添いは数十人ずつに絞られる。

 李克用は数里離れた所に陣を張り、陣に残る者ものんびりと酒宴でも楽しんでいろと言って出かけていく事となる。

 護衛には、側近の史敬思しけいしを含めた腕に覚えのある者を選んでおり、留守の間の鴉軍の指揮を執るのは、妻である劉夫人である。


 日も暮れかかった頃に出発した李克用が上源へ到着する頃には、すっかりと空も暗くなり、空には明るい月が昇っていた。

 点在する篝火かがりびに照らされ、駅を取り囲むような塢壁がぼんやりと浮かび上がっている。


 上源駅の駅舎の前で待っていた朱全忠が、唐の官僚らしい冠とほうを着て正装している一方、李克用は玉飾りを付けた頭巾に、毛皮の外套がいとう(マント)という胡族こぞく(騎馬民族)の族長である事を主張するような出で立ちで、見事に対照的である。


「これは独眼龍どの、お待ちしとりましたわ」


 朱全忠が穏やかな笑顔を浮かべながら出迎えるも、李克用は仏頂面のまま短く挨拶を交わす。

 朱全忠はそうした李克用の態度を気にする様子を見せず、駅舎内に設けた宴会場へと案内した。




 上座に李克用と朱全忠の両者が座り、両軍の付き添いが向かい合うようにして酒を飲んでいる。戦を終えたという兵士たちの安堵に酒が加わり、そこそこの喧騒となっていた。

 朱全忠は、自ら隣にいる李克用に酒を注ぎながら話しかけていく。


陳州城ちんしゅうじょうでは、えらい世話になりまして、ホンマに助かりましたわ」

「こっちゃあ官軍として、唐朝のために戦っただけですけん」


 李克用は表情を崩すことなく杯を傾けながら、恩を売ったつもりはないと言い放つ。

 朱全忠もまた笑みを崩さず、話題を振り続けた。


「そういえば雲州うんしゅうでは、そちらも賊軍にされておったそうですなぁ。互いに今は官軍としてくつわを並べておりますけど、正直な話、鴉軍とぶつからんで良かったですわ」


 鴉軍の強さを褒めつつも、自分たちは共に賊軍出身であると強調する朱全忠。共通点を示す事で歩み寄ろうという意図であるが、李克用としてはそうした部分での嫌悪感が勝る。


「そっちは前まで味方だったモンと戦ったわけですけん、さぞ戦いにくかったでしょうのぉ!」


 思わず皮肉で返した李克用の大声に、周囲の兵士たちが水を打ったように静まり返った。

 何しろ朱全忠軍団それ自体が不義不忠の輩の集まりであると言ったも同然であるのだ。少なくとも言われた側がそう受け取っても仕方がない。

 宴会に同席していた朱珍しゅちんが思わず立ち上がり、それに合わせて李克用の護衛兵たちも立ち上がる。今にも罵声が飛び交いそうな不穏な空気であったが、そうなる前に朱全忠が即座に制した。


「やめぇや! すんまへんなぁ、血の気が多いモンで……」


 だが謝罪相手の李克用こそ、この場で最も血の気が多い者と言え、朱全忠の搦め手は彼にとって感情を逆撫でするようなものである。ここで黙って丸く収めるという事が出来なかった。


「のぅ、ハッキリしたらどうなんじゃ。貴族連中に嫌われとるから、同じ嫌われモンであるワシを抱き込みたい、そういう腹じゃろうが!」

「話が早くて助かりますわ……」

「言うといちゃるがのぉ! 確かにワシも都の貴族どもは好かんわい。じゃが、おどれも同じくらい好かんのじゃ!」


 そう言って酒杯を叩きつける李克用に、先ほど制止された朱珍が再び立ち上がると李克用に向かって駆けだした。


「何様のつもりだ貴様ぁ!」


 そんな朱珍の前に素早く躍り出た者がいた。李克用の側近である史敬思だ。毅然とした表情で腰の刀に手をかけている史敬思の様子に、朱珍も思わず足を止めた。

 誰も動かず、一触即発の空気で静まり返った宴会場に、朱全忠の柔らかい声が響く。


「ようやっと戦も終わったんやし、お互い血ぃ流すのは無しにしましょうや。でもまぁ、雰囲気悪くて酒が飲めへんいうんやったら、鴉軍の皆さんはのんびりと楽しんでもろて、ワシらは隣にでも移りますさかい」


 そうして笑顔の朱全忠に促され、汴州軍の兵たちが立ち上がると、ぞろぞろと宴会場から出て行った。

 最後に朱全忠が振り返ると、笑みを浮かべながらもうやうやしく拱手きょうしゅ(両手を顔の前で重ねる礼)をする。


「ホンマにすんまへんね。仲良うしたかったんですが、かないませんで残念ですわ。ここは大人しく引き下がりますんで、どうか残って楽しんでくださいな」


 そう言って立ち去っていく朱全忠を見送った李克用は、逆に立ち上がる機会を逸し、溜息をつくとその場で再び酒杯を傾けた。

 鴉軍の兵士たちも、そんな李克用の様子を見て、再び酒を酌み交わし始める。

 李克用の危うい発言に肝を冷やしていた史敬思は、席の空いた李克用の隣に座ると、苦笑しながら思わず愚痴をこぼした。


「少しは加減をしてくださいよ……」

「殺し合いになるんじゃったら、それはそれで別に構わんど」


 やはり仏頂面のまま酒杯を傾ける李克用。

 敵か味方かハッキリさせる。その結果として敵となるなら、勝敗は関係なく戦うまで。沙陀さだ族の族長は、良くも悪くも若い頃から何も変わっていなかった。




「あんなこと言わせて、黙って引き下がるんですかい!」


 そう朱全忠に食って掛かるのは、先ほど李克用に殴りかかろうとした朱珍である。もともと朱全忠の挙兵の頃からの古株であり、年齢も朱全忠より上の朱珍は、その直情な性格も相まって、たびたびこうして朱全忠に意見していた。

 実際、李克用があそこまで公然と罵って来るとは思わなかった。このまま引き下がっては、朱珍に限らず、配下に対しての示しがつかない。


 こうした事態も想定していた朱全忠は、予め準備だけさせておいたを動かす事とした。上源駅の外で待っていた楊彦洪ようげんこうに視線を送ると、黙って頷きあう。


 独眼龍・李克用だけではない。のは、笑面虎・朱全忠も、また同じであった……。






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