第一集 独眼龍

 唐の各地で民衆反乱が立て続けに起こっていた頃、北方辺境にある雲州うんしゅうもまた例外ではなかった。

 雲州防御使ぼうごし(辺境司令官)の段文楚だんぶんそは、軍の兵糧を含めた食糧配給の量を制限した事で、兵や民から怒りの矛先を向けられる事となったのだ。

 そんな段文楚への交渉役として擁立されたのが、沙陀さだ族(突厥とっけつ系の騎馬民族)の族長の息子で、当時二十歳の若者であった李克用りこくようである。


 彼は少年時代から武芸や馬術に長けていた。

 部族全体が騎射を得意とする沙陀族にあってなお一番の弓の名手であり、その腕前は、二本の矢を一射で放ち、上空で激しく争う二羽の鷹を同時に仕留めるほどだったという。

 生まれつき片目が不自由だった事から「独眼龍どくがんりゅう」の異名を取った。


 そうした腕に覚えのある血気盛んな若者が、大勢に擁立されて、地方統治者との面会に臨んだのである。

 段文楚は、双方に誤解や齟齬そごがあるから、実態の再調査と、実情説明の場を設ける事を提案した。だが李克用はそれを引き延ばしと捉えた。


「食いモンが足りず、今にも暴発寸前の大衆をなだめるにはのぉ……、足りてない食いモンをすぐ出すか……、みんなを食えなくした張本人に、になってもらうしかないじゃろが!」


 そうして刀を抜いた李克用は、問答無用とばかりに段文楚の首を取ったのである。

 その間、周囲にいた護衛兵たちも李克用を止める事すらしなかった。

 段文楚は既に城内ですら孤立していたのである。


 この時の雲州において、配給できるほどの食料すら枯渇していたのは事実であろう。配給制限の措置もやむなしという実情であったはずだ。

 それでも周囲に状況を理解させ、納得してもらうという過程を放棄した結果がこの悲劇であった。

 この交渉が始まった時点で、もはや遅すぎたわけである。


 討ち取られた段文楚の首級を掲げた李克用を、城の周りに集まっていた兵や民は大喝采で称えたのだった。

 しかし朝廷からの評価は、現地でのそれとは全く逆であった。

 朝廷から任命された官僚を勝手な判断で殺害した者は、当然のように反逆者として扱われたわけである。

 そうした朝廷からの通達を聞いても、李克用は不敵に微笑んで血をたぎらせた。


「反逆結構。唐朝がなんぼのもんじゃい。売られた喧嘩は熨斗のし付けて返しちゃるけぇな!」


 そんな血気盛んな若者を制止したのは、彼の実父であり、沙陀族の族長・李国昌りこくしょうであった。

 今の時点で唐朝に正面から敵対するのは得策ではないと息子を一喝し、同時に現在の、各地で反乱が起こっている情勢を鑑みれば、遠くない内にもっと有利な条件で暴れられる時も来ると諭したのである。


 李国昌、李克用の親子は、沙陀の部族衆を引き連れて、漠北ばくほく(黄河北方の荒野)に住む韃靼だったん(モンゴル系遊牧民)のもとに身を寄せて時を待つ事になった。




 この時の韃靼の集落では、韃靼や沙陀だけでなく、漢人らも多く行動を共にしていた。

 実際、雲州の食糧問題は段文楚を討ち取ったからと言って何も解決などせず、土地に残っても仕方がないと判断した者たちがほとんどであった。

 特に雲州で李克用を擁立して共に反乱を起こした将兵たちは、いくらそれまで唐に仕えていたと言え、反逆者の仲間とされてしまった以上、もはや最後まで李克用についていくしか道はないも同然だったのである。


 史敬思しけいしという青年も、そんな一人であった。

 槍術に優れた勇士であるが年若く、雲州の官軍の中では下級の部隊長をしていた所、李克用の反乱に加わり、今ではこうして共に漠北へ逃れている。

 だが年齢が近く、武芸に優れていた事で李克用の目に留まり、幾度も手合わせや酒宴を重ねていき、いつしか彼の側近になっていた。


 史敬思は、勇猛であるが野蛮ではなく、朝廷への盲目的な忠誠は無いが義理堅く、知恵は回るが一本気な正直者。

 直情な李克用からすれば最も好む、そばに置いておきたい好漢であった。


「のぅ、貴様こんな、子が生まれたんじゃってなぁ」


 この日、李克用から振られた話題に、史敬思は照れ笑いを浮かべた。このような辺境の地で鳴かず飛ばずな生活をしている中という不安はあれど、やはり子が生まれるのは嬉しい物である。

 しかし、同世代の主君である李克用は、部族長という立場であるにも関わらず、未だに子が生まれていない。そうした部分での遠慮が史敬思にはあった。


「何じゃ、ワシにまだ子が無いのを気にしとるんか? 気にする事ぁ無いけぇ、何なら仮子かし(養子)に継がせりゃええんじゃ」


 李克用は豪快に笑ってそう言った。むしろこの件を気にしているのは、彼の妻の方である。

 李克用の妻は劉氏の出で、かつての匈奴きょうどの王族・劉氏の末裔にあたる。女だてらに馬術や弓術に長けており、夫と共に馬で戦場を駆け、部族の荒くれ男たちからも姐さんと慕われる、古き良き胡族こぞく(騎馬民族)の女傑であった。

 李克用もまた、そんな妻に惚れ込んでおり、側室は娶ろうとしない。だがそれゆえにこそ劉夫人は、子が生まれないのは自分に女としての機能がないのではないかと思い悩んでいたのである。

 子が無くても構わない、お前ひとりいればいいと言う李克用に対し、自分で選んでくると言って、劉夫人の方から側室候補を度々推薦してくるほどであった。

 一途に惚れ込んでいる妻が、他の若い女を連れて来ては、この娘を抱けと言ってくるのである。頭の痛い話であった。


 そんな中で、李克用としては親友とも思っている側近が順当に嫡子を授かったのだ。羨ましさもありつつ、素直に祝福をしてやろうという物である。


「……ところでの、とうとう事態が動いたようじゃぞ」

「あ、やっと側室を娶る気になったのですか」

「そっちの話じゃないわ! 唐朝の事態の方じゃ!」


 李克用のその言葉に、史敬思の表情も鋭くなる。

 李克用が事態が動いたと言うならば、彼ら沙陀族が出陣する事態に変化したという事に他ならない。


「遂に、ですか……」


 李克用はニンマリと笑みを浮かべて頷いた。


 唐王朝を揺るがせた民衆反乱は次第に収束していき、塩の密売人だった黄巣こうそうを首魁とする組織へと変わっていた。

 そんな黄巣軍が唐の首都・長安ちょうあんへ向かって進軍し、遂に首都防衛の最終関門であった潼関どうかんが陥落。

 そこに来て、皇帝、宦官、そして重鎮である門閥貴族たちは、避難という名目で首都を捨ててしょく(南西山岳地帯の先)へと逃亡してしまったのだという。

 首都に住む住民や、下級役人たちを放置して。


 そうなってしまえば、首都は黄巣軍に制圧されてしまう事になるのだが、所詮は農民反乱軍に統治能力などない。

 しかも完全な消費都市であった長安が反乱軍に制圧されたとなれば、ただでさえ物資不足にある各地の生産都市が、首都への物資輸送を続けるわけがないのである。

 しかも黄巣軍のそれまでの強さは、移動した先での略奪によって維持されてきたわけで、それが一か所に留まってしまえば維持など出来るわけがない。

 そうした二重の要因から、黄巣軍は一気に弱体化してしまったのである。


 そこに来て、蜀に避難した唐の重鎮から皇帝への進言があった。

 いかに黄巣軍が弱体化したとは言え、上層部だけで逃げてしまった彼らには正規の討伐軍を組織する人的余裕が無く、軍事的に頼れる諸侯というのも限られていた。

 そこで反乱の罪を得ながらも、黄巣軍には参加しておらず、強い軍を保持している者に目星をつけ、その罪を許し、代わりに賊の討伐をさせましょうという話だ。

 白羽の矢が立ったのが、韃靼に身を寄せる沙陀族だったというわけである。

 沙陀族を引き込む事に懸念を示す者も多かったが、皇帝・李儇りけん僖宗きそう)は反対意見を押し切って沙陀族への恩赦と、節度使せつどし(辺境統治者)への任命を決めたのである。

 これを機に、老齢であった李国昌が隠居し、沙陀族の族長の地位は若き李克用が正式に継ぐ事となった。




「おう、聞いたか! これからワシらは官軍じゃ! 暴れりゃ暴れるだけ、唐朝への忠義になるんじゃ!」


 李克用の檄に、沙陀族の荒くれ者たちが声を挙げて応えた。

 独眼龍の渾名を持つ隻眼の猛将・李克用。その左右には妻である女傑・劉夫人、そして側近の史敬思が控えていた。

 彼らの正面で雄々しく声を上げていたのは、この日の為に組織して訓練した精鋭たち。全身の装束を黒一色で統一した、沙陀族の精鋭騎馬部隊、「鴉軍あぐん

 ことに騎馬突撃戦法に関して言えば、この時代にあっては最強。長い中国史全体の中でも確実に五指に入る強さを誇る軍団である。


 こうして、独眼の龍に率いられた黒き鴉の群れたちが、砂漠から唐の都に向けて出撃したのであった。唐王朝を救うという大義を掲げて。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る