第2話 おれは廃兵(後編)

 夜は辛い時間だ。佐倉がいる病室でも、各所ですすり泣く声が聞こえる。


「腕が痛え…」


「何も視えねえよ、母ちゃん…アンタの顔も視えねえのかな…?あぁ―――」


 皆、まだ若い。下士官の端くれまで来た佐倉と違い、本格的な軍隊は始めてだろう。戦争も。


「悲惨だな」


 そんな中で佐倉は、やたら冷静になっていた。集団がパニック状態になると、その中の何人かは却って冷静になる。そんな状態だ。


「泣いたって喚いたって、手足は帰ってこねえ。その前にお医者が何とかしてくれてただろうよ」


 だが、自分も当事者だ。思うところしかない。足があれば、手があれば。色々やりたいことは当然、ある。


「田中さん、流行りの小説を借りてきました。読み聞かせて差し上げます」


 安藤看護婦が、目を負傷した兵のために小説を借りてきたらしい。


「皆さんも、お慰みに聞いて下さいな!」


 それは、源平合戦で平家方の旗印に立てられた元皇帝の漂流記だった。まあ、正確な記録は何もないのでフィクションの物語なのだが。


「平家は敗れ、帝は流れて行きました―――続きは明日の夜、21時にしましょう」


 気がつけば消灯時間だ。安藤は声が綺麗で、思わず聞き入ってしまった。田中の嗚咽はむしろ大きくなる。


「田中さん!どこか痛むんですか?」


「こ、こんな親切にしてくだすった方の、顔も分からねえ!悔しい、悔しい…」


 安藤は知っていた。彼の目は、もう二度と日の光を見ることは無いと診断されている。


「これなら、分かるでしょう?」


 安藤は田中の手を取り、自身の頬に触れさせた。田中は包帯越しにも真っ赤になったのが分かる。


「あ、安藤さん!」


「大丈夫です。例え同じモノを見ることは叶わなくても、人はどこかで繋がってます」


 安藤は田中の手を擦りながら語りかける。大丈夫だと、いつかまた、立派になって再会しようと。


「そんなことは、起こりようもねえけどな…」


 そう思っても、口に出さない分別くらいは佐倉にはあった。




 翌日から、佐倉にはリハビリが課されることになった。


「大変ですけど、ベッドにいてばかりだと全身が駄目になりますから!」


 担当看護婦の安藤と、文字通り二人三脚で歩を進める。佐倉は歩くではなく、ぴょんぴょん跳ねている様な感じだが。


「ハアッハアッ…」


「お疲れ様です。ちょっと休憩して、あと3往復、頑張りましょう!」


「あと3往復か…」


「体は使わないだけ鈍ります!」


 安藤は患者に希望を見出そうとするタイプの人間だと、佐倉は思った。大抵の医師や看護婦なら、悪いところばかりを気にして、後ろ向きになってしまうだろう。だが、彼女は患者に前を向かせる。


「あんたは、良い看護婦なんだな」


「え、そうですか?」


 たまに言われます!と安藤は嬉しそうだ。


「私の気持ちが通じたら、言っていただける気がしています」


「そうだな。あんたの、患者に対する姿勢は人の上に立つ下士官として見習うべきモノを感じる」


「そっ、そうですかぁ~?」


 安藤は嬉しそうに、体をクネクネさせている。


「まあ、俺はもう、下士官には戻れんが」


「そ、それは」


 現実に引き戻され、安藤は俯いた。


「だが、あんたが男で衛生兵だったら…部下に欲しかったな。あんたなら軍隊でもやってけるさ」


「光栄です。でも、従軍看護婦で十分ですよ…私が看護婦になったのには理由があるんです」


 曰く、安藤には結核で亡くなった兄がいたらしい。その時に主治医がとても親身になってくれた。その体験が元となり、医学の道を志したのだという。


「ただ、ウチは普通の家だし、女医なんてハードルも高いし…」


 そんな時、看護婦という職業を知った。


「兄は亡くなってしまって、私が家計を支えなきゃって、夢も叶って一生懸命…」


 彼女が看護婦になって今年で10年目になるらしい。


「あんたはまだまだ良くなるんだろうなあ…」


 佐倉の羨望に近い呟きは、突如として鳴り響いた地鳴りにかき消された。

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