『檻薪熾火(おりまきおきび)とログアウト』

あお

『檻薪熾火(おりまきおきび)とログアウト』

「一週間ぶり?」

 私に続いて1分ぐらい遅れてやってきた彼女は私に言った。

 学校の体育館の二階の部分、あれ何ていうんだろう。手すりがあって黒いでっかいカーテンがあって、ぐるっと周回できるような歩道橋みたいなアレ。人が二人ギリギリすれ違えないぐらいのアレだ。その場所の手すりに腕組みしてもたれかかり体育の授業を見下ろすの私と日翔麻(ひとま)の習慣になってる。

「そう、かも? たぶん。最近水曜日は来るようにしてる」

 と、私は答える。

 私とひとまんは不登校児だ。

 私は火曜日から木曜日をサボる派。

 ひとまんは金曜日や月曜日をサボる派。だけど私は最近水曜日は学校に来ている。そんな感じだ。

 私とひとまんは高校二年生になって学校生活が二週間ほど経過して初めて教室で顔を合わせた。

 私の学校は毎年クラス替えがある。

 どうやら最初の数日はお互いにクラスの子や担任の先生から不登校児ということで、少し話題が上がっていたようだ。そんな声はやっぱりたまに聞こえてくるわけであって。だからまだ見ぬ互いの空席を眺めながらお互いに”あの子も不登校なんだ”ぐらいの認識だったと思うけど、サボりルーティンがずれたときに初めて私と日翔麻(ひとま)は出会ったのだ。

 同類だけど互いに人見知りなので、教室でも声はかけなかったけど、私が奇遇にも水曜日に登校してしまい、体育授業をどうやり過ごそうかと体育館の二階の手すりに避難したらひとまんもそこにいた。それが最初の出会いと言えるだろう。

 友達もいない自分に声をかけてきてくれて本当にありがたかったけど、同時に「その勇気すげーなー」と関心したのは一生忘れないだろう。

 それからLINEを交換してあだ名で呼ぶようになった。

 そういえば最初の頃はお互いに「名前なんて読むの?」って言っていたっけ。

 私は檻薪熾火(おりまきおきび)。

 彼女は各務原日翔麻(かがみはらひとま)。

 最初先生が出席を取るときも読み方を聞かれた気がする。

 それが今や”ひとまん”と”おっきー”だ。字面からはずいぶん柔らかくなったと思う。


 体育の授業が始まると着替えて点呼を取ってその日に課題に取り組むけど、私と彼女はふらっと先生の目を盗んで上に逃げる。ちなみに今日はバスケをやるみたいだ。

 私とひとまんのサボり行動にみんなは「ああまたかー」って感じだと思う。ありがたいことにいじめられたり悪目立ちしたりってこともないので、そんな環境には感謝している。先生ゴメンね。

 ……と、彼女は思っているかはわからないけど、私はたまにちょっとした罪悪感を抱えることもある。

「今週も変速シフト?」

「うん。ちょっとお母さんもうるさくなってきたっていうか」

「ほう? ついにおっきーのご両親も真人間ルートを勧めてきた感じ?」

「まぁ、半分正解ってカンジかな。ちゃんと朝学校行きなさいとかそういうカンジじゃないけど、ただ単位は落とすなよって」

「留年したら学費払えないしね」

「バイトしてるわけでもないしなー。ひとまんってお小遣いめっちゃ貰ってるじゃん。一日500円とか貴族かよ」

「運のいいことにね」

 

 そんな数少ない友達に私は昨日あった出来事を話す。

「昨日の夜さ、花火に行ったんだよね、家族と」

「へー」

 ひとまんはあまり興味はないだろうが、相槌を打ってくれる。視線はバスケをしているクラスの子や体育館の時計をチラチラ見ている。

 これが彼女なりの話の聞き方だと少し前からわかるようになってきた。私としても真剣に腹を向けられて「さあ話して」って言われると困っちゃうから、これぐらいの距離感が心地よい。雑に聞いてくれるってありがたいんだ。

「昨日の夜の七時半からさ、川辺でやったんだよね。毎年夏にやる花火大会。ひとまんって行ったりする?」

「小さい頃は行ったかなー。最近は全然。それで?」

 自分の話はしたく無いっていうひとまんの意思を確認すると、私は続ける。

「それで両親がさ、高いところから見たほうが見やすいんじゃないかって。それで動物園がある公園あるでしょ? その高台っていうか一番上まで行ったの。駐車場も結構あるみたいだけど混んだら面倒だからって一時間前に家を出て」

「混んでた?」

「うん。でもなんとか停めれた」

「ラッキーじゃん」

「そうだね。イベントがあると駐車場なんて基本無理みたいだから」

「だねー。それで?」

 私はスマホを開いて昨日の写真を見せる。

「こんな感じの広場で結構人きてた。ってかびっくりしたよ。階段登ったら広場の柵のところっていうか、一番前はカメラの人いっぱいいて。三脚とかおっきいカメラとかめっちゃ構えてた。あと親子連れとカップルとおじーちゃんとおばーちゃん。あとペット連れもいた」

「人類大集合じゃん」

「多分150人ぐらいだけど」

「十分だよ」

 私が見せた写真は花火開始の直前だったのでほとんど日が落ちて肉眼だと人の表情はわからないぐらいには薄暗くなっていた。

「でさ、」

 私が家族と横並びになってカメラの人たちのちょっと後ろに陣取った時、開始の花火が数発鳴って。

 それで周りの人達も一瞬、おしゃべりをやめてキラキラまばらに光る夜景の上に広がった薄暗い空間を眺めてたんだ。

 私は光景を思い出しながら話を続ける。

「それで最初の花火があがってさ、大きいやつ。ぱぁって広がってからドーンって来て、すごかったんだよね」

「よかったじゃん」

「うん。良かったんだけどさ、その時花火よりも周りの人たちを見ちゃったんだよね。花火はすごくきれいだった。スマホを構える気にもならなくて本当にキレイで音も響いて。でもなんかわかんないけど、周りが気になっちゃったんだ。眼の前のカメラの人はどんな操作をするのかな? とか、隣のカップルは何話してるんだろ? とか、風が吹いて肌寒くなってきたから後ろにいた半袖のおばちゃん大丈夫かな? とか。すっごくどうでもいい他人のことがノイズみたいに気になっちゃって」

 それからちょっとの間。多分5秒ぐらいだと思うけどひとまんはポケットからスマホを取り出すと、

「たぶん、これ」

 ひとまんは青い小鳥がデザインされているアプリを開く。

「お、おお……おー。なるほど」

 私は心底納得して苦笑いしながらスマホを取り出しTwitterを開く。

 別に用事はない。

 アプリを開いてスーッとスクロールして閉じる。

 5分後、意味もなく開いて真っ先に通知欄を確認してからホームを更新して閉じる。

 こんなことを一日何回やっているかわからない。

 何も新着情報がなく、今日も日本が平和に回っていることを確認するとスマホをしまう。

「いやー、怖いわ」

 と、気づけば私はこぼしていた。

 なにせスマホを出していたわけでもないのに目の前の花火よりも、全く知らない、顔もろくに見えない人たちの動向が気になってしまったのだ。

 これがTwitterをやっている最中ならまだわかる。

 この人はどんなツイートしてるのかな?

 トレンドに芸能人! なんかあった?

 今日は皆さん、何をしてるんです?

 そんなことが気になって晩御飯のときにお母さんから「食事中ぐらいスマホみないの!」って怒られるけど。

 いや、でもまさかなー。

 花火だよ。

 スマホ見てたわけじゃないよ。

 それでも他人が気になるのかー。

 もう、

「病気じゃん」

「大丈夫。おっきーだけじゃないから」

「ひとまんも?」

「まあ。でも私たちは言うほどTwitterにフォロワーいないじゃん」

「一緒にするなよ」

「ごめんごめん。……でもやっぱり周りの人達は気になるよね」

 ひとまんはバスケをしているみんなを見下ろす。

 普段学校で彼女を見る時は、周りのことなんて全然気にしていない素振りで、ただ淡々とノートを取ったり教室を移動したり、ロボットみたいに学校での最低限の活動をしているように見えるけど。

 でもそれはひとまんも不登校で、周りにどう見られているかをすごく気にしているから目立たないように目立たないようにしてるだけなのかもしれない。

 だから今のひとまんはめっちゃ見てる。

 みんなが彼女を見上げる暇なくボールと残り時間に追われている中、気にせず見下ろして、首を動かして目で追いかけて。

 何も気にする必要がないってぐらいに。

 多分今、彼女は世界に一人なのかもしれない。こうやって周りを気にする必要のない、体育館の二階という場所に来たときにきっと彼女は自分を守るなにかの鎧を脱ぐことが出来るんだ……ってちょっと思った。

 体育館の二階は安心の出来る場所なんだろう。私がそうであるように。

「ここは誰にも必要とされてないから気が楽だね」

「ひとまん?」

 それから彼女は手すりを背もたれにして私の方へと向き直った。

「前に読んだことがあるんだけど、人間って昔は……まぁ今もだけど、群れで生活をしていたから、自分の価値を認めてもらえないと集団からは追い出されちゃうんだって」

「うん」

 珍しく……いやもしかしたら初めてかもしれない。こんなにひとまんが真剣に話すのは。

 相変わらず目を細めて覇気の無い表情をしてるけど、それでも態度と声の調子は普段あまり聞かない押し出したような本音の近くのものなんだろう。なんとなくそんな気がした。

「だから獲物をたくさん取ってこれるとか、水場がどこにあるかとか、この木の実は食べれるんだとか。そういうのをアピールして『自分は無能じゃないぞ』って周りに認めてもらってたんだってさ」

 そう言いながらひとまんは再びTwitterの画面を見せてきて続ける。

「SNSだって『お金を稼げるんだ』『自分はこれだけ良いもの食べてるんだ』『友達が多いんだ』って必要性や凄さをアピールしてる。でもSNSだけじゃなくて学校のクラスや社会だっておんなじだなって思って」

「なんかそういうのって疲れるよね」

「うん、疲れる。どこにいても息苦しいのが地続きって感じちゃうから。だから私はたまにログアウトするの。ここがそう。SNSだけじゃなくて学校とかクラスとか親とか。直感で苦手だなーって思った空間から逃げ出すんだ。ってか逃げ出せたって思えればオッケーっていうか」


 ログアウトかー。


 その言い方にちょっとだけ納得できた。

 私は花火を見に行った時、きっとログインしっぱなしだったんだ。

 別に周りが嫌いってわけじゃないけれど、なんとなく集団や決まりや普通に馴染めないし過剰に気になる時がある。

 ”普通”の人だったら「そんな事気にしてもしょうがないのに。楽しめば」って感じなんだろうけど。 

 単純に花火っていう非日常的な体験をするのに、大勢の他人がいる空間というのが私にとってはノイズのようにチラチラとチカチカと気になってしまったんだ。

「そっか」

 ひとまんはそれだけ言ってくれた。そして直後、すぐに気づく。

「私はここにいてもいいの?」

「んー……おっきーは同類だからおっけー。私が学校に来れなくても勉強あんまりできなくても怒ったり説教してこないし。いるかいないかよくわからない。だから◯」

 そう言うひとまんは珍しく笑うとまた手すりに腕組みして下界を見下ろす。

 ちょっとだけ口元がにやけてしまった。

「ひとまんはワガママだね」

「っていうよりは問題児? 学校来ても授業サボってるし週末は昼夜逆転してるし、将来の事なんにも考えてないのにお小遣いを毎日500円ももらってる」

「そして悪い子だ」

「でもこれが今の限界だから。社会性全然なくて、でも取り柄もやりたいこともないからしょうがなく学校にきて時間つぶして卒業待ち。親はちゃんと進学や就職しなさいってい言うんだろうけど私にはたぶん無理」

「ひとまんがこんなに喋るのって珍しいね」

「そうかも」

 そう言うとひとまんはもう一度私の方に向き直る。

 時計を見るともうすぐ体育の授業は終わる。最後ぐらいは揃って教室に戻ることにしている。二人の間の暗黙の了解。

「おっきーは卒業したらどうするの?」

「卒業? 別に全然考えてない。来年になれば進路相談とかすると思うけど……多分就職するかも」

「そっか。まぁ私よりは社交性ありそうだもんね。どんぐりの背比べだけどさ」

「だからいつも一言余計だっての!」

「あはは、まあおっきー相手だからね。私に一番近い他人ってのは嬉しいね。楽だし心地良い。ヨギボーのソファみたい」

「私はそんなに気持ちのいいもんじゃないぞ」

「えーいいじゃん。ソファ。あれほしいなー」

 ひとまんはAmazonのアプリを開いてページを見せてくる。

「500円貯金で買いなよ。安いのなら二ヶ月貯金したら買えるんじゃない?」

「わかってないなーおっきーは。毎晩コンビニにいって袋せんべいとお茶を買うのが楽しいんだよ。それに貯金なんて私みたいなダメ人間ができるわけがないっしょ。だからAmazon眺めて、お金のかからない体育館の二階に来るんじゃん」

「学費も親じゃん」

「それ言ったら元も子もないじゃん」

 下界でわちゃわちゃバスケをしていたクラスの子達が片づけを初めて体育教師の前で整列を始めている。

「戻ろっか、おっきー」

「だね」

 私の数歩前をひとまんが歩いて階段を降りる。

 一段一段降りていくのが彼女のログインなのかもしれない。

 階段を降りる音がIDとパスワードを入力するタップ音みたいだ。

 最後の一段を降りて階段を振り向くと、今までいた空間が寂しく私たちを見下ろしているような気がした。

 クラスの殆どが整列しているので私たちも気持ち急いでパタパタ歩く。

「ひとまんさ、」

「何?」

「来年の花火は楽しめるといいね」

「そうだね」

 でもどうだろう。

 うまくログアウトする自信がない。花火の場所は一人で行くには遠いしお父さんの送迎が必要だ。免許を取って一人で行く……か? でもそういう問題じゃない。だって花火会場に言っても人はいるから。私の苦手な”みんないっしょで普通にしていないといけない空間”は地続きだ。少なくても今はそう思ってしまう。

 だから家と学校しか社会を知らない私が意図的に孤独になるのはまだ難しいように思えた。

 そう考えると体育館の二階を思いついたひとまんはすげーな。私も自分の説明書が手元にほしい。

「ひとまんさ、」

「何?」

「ログアウトの練習付き合ってよ」

「……例えば?」

「うーん」

 私は考える。

 程よく世の中のみんなが一斉に集まって、普通の人が何も考えずに行きがちで、なんとなく儀式めいたもの。

 そんな中に行って、もし束縛感やら”みんな行くから当たり前”のような感想を持たないで”ちゃんと自分の意思でここにいる”って思えたらきっと少しだけ楽になれるかもしれないと、今は根拠なく思うから。

 だから私は提案する。約束なんて重いものもあんまり好きじゃないから。

「初詣、誘うかも」

「おお。攻めるねー。ってかだいぶ先だね」

「多分ひとりだとああいうところ、しんどいから。だから私なりの初詣に付き合ってくれたら嬉しいかも。日付が変わった頃にあけおめを言わなかったり、お賽銭も投げなかったり。そもそも境内にすら入らないかもしれないし。ただ行きたいなーって思ったらやりたい範囲でやる初詣」

「いいね。あ、でも事前に言ってよねー。直前だと気持ちが向くまで時間がかかるから」

「約束はできない」

「まあ、だよねー。それができたら苦労しないわ」

「でしょ。ほら、戻ろ。ひとまん」

「あー、面倒だなー」

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『檻薪熾火(おりまきおきび)とログアウト』 あお @Thanatos_ao

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