第16話





 向こうからメールがきた、だけではない。少し返すのが遅れていたら、2度目がきたのだ。

 そこには「おーい」に、悲しい顔のマークが付いてあった。白い画面に、黒い文字に、青色のマーク。


 いつだって彼から来るのは、私の心の中でのみ価値を持つ、空っぽで無機質なメッセージや声だった。

 電話を切るときいつも、「ばいばい」ではなく「ばあばい」と言う。部屋で1人でそれを真似してみたこともあるが、どうしてもうまいこと言えなかった。アキラ君が言うと、どんなときでもそれは、とろけるように響いて、彼が彼であることをより一層強固にするのに。

 彼が彼の気まぐれに乗っているとき、通話の途中にも、とろけるような声を出してくれることはあった。その声で、今度中出ししてあげるからな、と言われたときには、うん、と答えた。昼休みの時間帯だったから、昼間からとんでもないこと言うんだな、とか、周りに誰も人がいないんだろうかとか、それとも彼が昼間からそのような会話をすることは周知の事実なのかとかの考えがよぎりはしたが、それが彼の異次元さに拍車をかけており、正体すらはっきりしないからこそ、そのごっこに、私も乗っかってみたいと思った。


 彼が作り上げた彼は、私の中で魅力的に映る。「時の流れと空の色に何も望みはしないように素顔で泣いて笑う君にエナジイを燃やすだけなんです」という一節のメロディーが、早いバージョンで鳴るとアキラ君からのメール、ゆっくりなバージョンで鳴ると、電話の合図だった。出だしの電子音だけで、早いバージョンかゆっくりバージョンか、実はわかる。ゆっくりバージョンでは、一節が最後まで流れることはほぼなくて、ジー、という音もない音で、私はいつもすぐにアキラ君モードに入る。そして、電話を取りながら、何かに翻弄されているような、取り付かれているような目を、私はしているに違いないのだ。

 しかし今回は、なにかいつもとは違う、ということが、2通のメールを返していないにも関わらず、さらに電話がかかってきたということから予想できた。胸がざわついて、緊張が走る。嫌なプレッシャー。いつものような振る舞いが許されないという予感からだった。


 「いとこが死んじゃったんだ」

 その声は、いつもの声から、明るいものを大方全部吸い取ってしまったような声だった。

 「そうなんだ、大丈夫?」

 「大丈夫じゃない」

 かすれた声でそう発する、その背景に、1度だけ訪れたことのある火葬場を思い浮かべた。レンガで出来た壁があって、その手前の駐車場は、山の上のほうにあるせいで、斜めに傾いている。そこで電話を片手に、親戚から少し離れた場所で、話をしているのだろうか、と想像したら、まずこの人に親戚や、いとこがいるということに違和感を感じていた。


 そのように感じる相手へ悲しさを訴えることに、意味があるだろうか。

 アキラ君のことを、私はよく知らない。知る意味も、ずっとなかった。

 話して貰えたことの嬉しさと、欲しがっている答えをきっとあげれない悲しさが、互いに責め合っている。それをなんとかしたくて、ルール違反という札を心に掲げた。

 アキラ君のいとこの、影も形も何歳かも性別も、私は知らない。関係性も知らないから、悲しさの程度を想像することが出来ない。自分自身も、ひいおばあちゃんしか、身近な人が亡くなった経験がない。

 同じような沈んだ声を発することに何の意味もないだろう。まったく想像の出来ていない相手に大丈夫かと聞かれたって、薄っぺらいだけだろう。


 ただ、徐々に、会話が途切れていく。悲しいときですら、どこか気を使わせてしまっているのが怖かった。恐れた通り、アキラ君の声には、呆れが混じり始めたように思った。そんなに簡単に悲しみが呆れに替わるなら、アキラ君は始めから、いとこのことより可哀想な自分のことを考えていたのではないか。だけど本当は私は、"可哀想なアキラ君"が望む答えを出してあげたかった。


 電話を切ると、足が痺れていて、肩も痛いことに気が付いた。ベッドの前で通話ボタンを押したときから、肩を強ばらせたまま、正座の体制を続けていたことに気付く。

 欲しがっている答えを、やはりあげれなかったという事実が、電話を貰えたことの嬉しさを、すっかりさらっていく。ルール違いのそのルールは、別に私が望んだものじゃないから、札は斜めに傾いている。







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