第12話

 

 「本当に、人を傷つけない言葉選びの天才です」

 長女の担任の先生は、まず盛大に褒めることから始めた。

 「人に合わせるのも得意で、いっつもね、お友達の真似をしています、ただね、真似をね、しすぎる」


 嫌味なく伝えてくれたその言葉に、私もうんうんと頷く。


 「そうなんです、人の気持ちに敏感なほうなんですが、共感しすぎてしまって、どうしても合わせてしまうんです、自分の意思もはっきり持てるようになればいいんですが。」


 「そうですね、一応、本当にそっちでいいの?だとかの声かけはするようにしています。」


 「ありがとうございます、よろしくお願いします。」


 もう懇談を終わらせるのかなと思うような少しの間を置いてから、先生が言う。




 「あ、そうだ、後ですねお母さん、お昼寝がなくなって自慰行為もなくなってきました。」


 「あ、そうでした、聞こうと思ってたのに忘れてました、最近家ではしてなかったんですけど、なくなってよかったです。」


 別に急いでもいないのに、早口な返事になってしまった。

 まじまじと顔を見合せながら話すと、先生の目にほんの少しだけ斜視が入っていることに気づいてしまったけれど、変に視線を外したりなんかはせず、落ち着いたトーンで話を続けることに集中する。



 本当に懇談が終わり、長女のいる部屋まで迎えに行くと、片方のおさげがほとんど取れかかった長女が、珍しくブロックで遊んでいた。

 「あ、ママー」

 予想通りといえば予想通りなのだが、そんなに嬉しそうにはせず、こちらに近寄ってくる。

 やはりお昼迎えじゃないと、喜んだ姿は見れないみたいだ。

 「ママはあっち向いてて!」

 自分で帰る準備をするように先生に言われて、少し恥ずかしくなった長女は、私が後ろを向いている間に、帽子をかぶり、リュックを背負っていた。

 「下は、赤ちゃん達が寝てるから静かにね」

  口に人差し指を当てながら長女にそう言った後、ポケットからスマホを出して時間を確認する。

 「2時半かあ、ちょっと早いけど、仕方ない」

 1歳児クラスはいつも3時までお昼寝をする。少し早く起こされると、もしかすると機嫌が悪いかもしれない。



 そんな予想とは裏腹に、次女は寝起きの瞬間に私の方を見上げて、満面の笑顔を見せた。




 保育園の門を開くと目に入る太陽はまだ、いつもこの場所で3人で見るより高い位置にある。


 せっかく早く帰れたんだから、一緒にピアノの練習をして、こどもちゃれんじをして、病院ごっこをして、と考えてみるが、結局家事と次女の相手ばかりしてしまって出来ないような気もしている。





 駐車場に車が入ったときの砂利の音が、窓の外からして、やっぱり1つしか出来なかったな、と、キッチンの机でこどもちゃれんじをしている途中の長女を見て思う。


 リビングのドアが開いて「ただいま」という声が聞こえると、それに「おかえり」と返事をし、子供たちにも「おかえり」を言うよう促す。

 長女はわざと言わないことが多い。




 「タケシの卒業旅行、私はユニバーサルよりも東京観光に行きたいな」

 夫にそういうと、「俺はそれは興味ないな」と言う。


 「めぐみ、東京行ったことないの?」

 そう聞かれて、そういえば一応行ったことがあったなと思い出す。


 「いや、高校2年生の時修学旅行で行っことあるんだけど、びっくりするぐらいに、酔っぱらってたのかってぐらいに記憶がない」


 酔っ払ってたんだろ、と言って鼻で笑った後、夫が自分の話をし始める。


 「俺は先輩に呼び出されて飲みに行ったことがあるけど、そこで花木京子がバキバキにキまってたことしか思い出がない」


 「そんなんしかないの、というか勝君はもっとこう、青春っぽい思い出とかないの?」

 自分のことを棚に上げて、夫に尋ねる。


 「え?聞きたい?言おうか?」

 予想できたことだが、夫はノリノリで話をし始める。

 「青春っぽい思い出がある人2人居て、1人は中学生の時に塾で一緒だっためちゃくちゃ可愛くて昔のアイドルみたいな見た目の子に告白したらオッケー貰えて付き合ったこと」


 「中学生ってことは、その、そういう行為とかなく?」


 「そりゃそうよ、中学2年よ?」


 「へー、そりゃ青春だ」


 「一緒に買い物行って、欲しいものあるか聞いたら、CDって言われて、CDよCD、可愛すぎるでしょ、それで買ってあげたなあ」


 夫がそう話すのを、結婚して間もない頃なら少しは複雑に思っただろうが、今は嬉しそうに話すその様子が、ただ微笑ましい。


 「それでもう1人は?」


 「もう1人はなんか、俺一時期大阪に行ってたって言ったじゃん、ちょうどその頃に、結構真面目に付き合ってた人が居たんだけど、離れたせいで、結局別れる感じになっちゃった」


 「え?なんで?なんで真面目に付き合ってた人がいたのに大阪行ったの?」


 「んー、なんでかはわからないけど、俺その頃17歳とかだったから、付き合ってる人がいるからどうこうとはならなかった」


 何も考えていなさそうな顔で、夫が答える。

 その人って勝君が初めての相手だった?って聞いてみたかったけど、止めた。

 CD買った昔のアイドルみたいな可愛い子ちゃんは多分あなたのこともうなんとも思ってないと思うけど、大阪行く時に付き合ってた方の子はあなたのことひょっとするとまだ好きかもしれないよ、とも言ってみたかったけれど、もちろん止めておいた。


 夫の昔話を聞いたからかわからないけど、今日は気持ちが少しすっきりしていて、酔っぱらっているのに、そこまで彼のことでつらい気持ちにならない。

 それが嬉しいような、嫌なような気がしている。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る