第8話

 初めて自分の為に夫をデートに誘った、ような気がする。

 生後半年の長男を預けて行った温泉旅行も、離婚せず次女を産めることになった後すぐのラブホテルも、ただ家庭をなんとかうまく回す為の潤滑剤だったような気がするから。



 換気扇の下で煙草を吸う夫に、今度お休みを合わせようよと、言うと、いいじゃんと返事が返ってきた。



 楽しい1日になるといい。




 お互いの予定を合わせるのは思ったより簡単で、次の週に、もうその日はきた。


 長男を学校に送り出し、夫が長女と次女を保育園に連れて行っている間、洗濯物を干して、食べかすや千切れた折り紙で汚れてしまったリビングに掃除機をかける。

 帰ってきた夫と、何をする?と一応話し合ってみるけれども、やることは決まっているようなものだと思っている。


 映画が少し気になるけど、丁度良い時間がないし、ジムに行ってみたいけどウェアがないし、どうする?そういえば、あれはどうなの新しく出た台で職場の光輝君がめちゃめちゃお勧めしてたっていうやつ、え、そうなんだ、お金めっちゃかかるの、ははは、じゃあ無理だ、やるとしたらやっぱりジャグラーか。じゃあパチンコで勝ったらラブホテルでまったりして、負けたら家でまったりするってことにする?


 私たちは結婚する前もしてからも、何故かほとんどパチンコ店とラブホテルにしか出掛けたことがない。それがお互い1番うまく過ごせることをわかっている。


 家を出る前に、玄関でキスをする。

 夫はいつも、私の腰の決まった位置に手を置く。


 平日のパチンコ店は、その膨大な量の車を収納できそうな立体駐車場と、鏡貼りの豪華な内装に合わず、客入りは少なかった。

 入り口の自動ドアから続く通路を歩きながら、ずらりとパチンコ台が並ぶ左右の通路を見ると、空席ばかりの中で、たまにぽつぽつと若い男やおばさんが座っている。時に真剣そうに、時に気だるそうに、大きな音を立てるその画面を見つめていた。


 あの人ともパチンコ店に行ったことは、この間思い出したばかりなのに、今は、「ちょっとあちいな」、と五月蝿い店内でも聞こえるように耳元で言った、その時の顔の近さまで覚えている。


 迷わずまっすぐ歩いていく夫の後を着いていくと、 "ジャグラー"というあまりお金のかからないらしい台が並ぶ通りに着いた。

 左右数十機づつ、か?すぐにはとても数え切れないぐらいのジャグラーが並んでいる。

 それぞれの機械の上には、よくわからない数字がいくつも電光で表示されているが、あまり関係ないから、適当に選べばいい、と夫は言う。

 この通りにも、おばさんが1人と、2人で1つの台を打つ若者が一組しかいないから、選び放題だ。選び放題なことに悩んでいたら、夫が「じゃあこっちかこっち選んで」と2つの台を指差した。

 「じゃあ、こっちで、緑がラッキーカラーだから」と言って、その片方を選んだ。


 横にいる夫の手の動きを真似しながらお金を入れると、コインがじゃらじゃらと出てくる。

 ボタンを押して、さくらんぼだとかが揃えば、そのコインが多少増えるが、基本はどんどんと減っていく。全くなくなると、夫から千円札が渡される。まるで御煎餅かなにかのように。普段、お金が足りないと申告したときには大変渋い顔をするが、こういう時には、すぐにお金を出して貰える。


 私の台は、そうしてコインがただ減っていくだけだったが、夫のは何回か当たりが出ていた。コインでいっぱいになった赤透明の箱が、いくつか重なる。

 パチンコで勝つのも負けるのも一緒だと馬鹿にしたようなことを言いながらも、やはり負けるよりは気分の良さそうな夫の耳元で「家じゃないね」と言う。



 夫が慣れた手付きで換金所にカードを通すと、あまり見たことのない形状の出口から、いくらかのお札がでてきた。


 なんとなく行くことに決まったパスタ屋さんで、そのあぶく銭のおかげで頼めた、いつもよりちょっと高級なパスタを待つ間、夫の仕事の話を聞く。

 昔感じていたような、相槌の難しさを、今はもう感じていない。


 昼休憩だったなら終わってしまっていそうな程待った後、夫の海鮮パスタが運ばれ、まもなく私の、アボガドとチーズがたっぷり入ったパスタが届いた。

 誰かのお世話をしながらではない食事に、顔がにやけてしょうがない私の様子は、夫が戸惑う程だった。


 丁度良いぐらいの時間になったね、と言いながら店を出ると、冬にしては暖かい風が頬を撫でる。


 横の方が当たる台を選べた自分、1時間で8000円勝ったスロット、ゆっくり運ばれたおかげで早くなりすぎなかった昼食、全部うまく行っている。




 けれどもこれは失敗してしまったかもしれない、と適当に入ったホテルの部屋を色々と見回して思った。

 地上波とAVしか見れないテレビ、洗い場だけが広くてバスタブの狭い、タイルの間のコーキングに少しカビの目立つ浴室。ベッドが広いこと以外は家と対して変わらない。

 さて、もう結婚生活も10年以上経つ夫婦が、これでちゃんと盛り上がれるだろうか。



 薄い水色の、狭いバスタブにくっついて浸かる。

 先程自分で入れたお湯は少しぬるかった。


 ぺったんこになった乳を触られても、さして緊張はしない。自分の代わりに誰かに守って貰わないといけなかったこの体は、もうさほど大切にしなくても大丈夫なものになった。

 背中で相手の温度を確かめる。

 「なんで乳触られながら黙ってんの?」

 そう聞かれても、おっぱいを触られながらぺちゃくちゃ喋るのは変じゃないか?

 気持ちよくなって欲しくてやってるんじゃないのか?普通に喋ってしまったら、え、なんともないんかいって、思わないのか?

 お湯の上からあれを出して、それを舐めるっていう、昔も妊娠中に夫にやったことがあるやつをやる。

 この部屋にあるのは浴槽と洗い場だけだし、せっかくだから一緒にお風呂に入った時にしか出来ないことをしなくちゃいけない。

 さっきマットがなんだかんだと言っていたから、もしかするとこの後、ソープごっこをしてくれと言われるかもしれない。

 あれは、下の毛をタワシみたいにするやつが難しい。どこにすれば興奮されるのかも分かりにくいし、する場所を変えるときスムーズにできるか緊張する。

 やたら広い洗い場を見ながら、お風呂がある場所に来たことを憂鬱に思った。

 でももし夫がしたがったらやろう。


 浴槽を出ると、夫は私の体を洗ったり触ったりしただけで、意外にも、自分のをやって欲しいとは言わなかった。


 ベッドに行った後は、いつもは出せない大きな声を出すことに集中した。

 いつもは隣の部屋で寝ている長男に聞こえないよう、声をなるべく押し殺しているから低い声しか出なかったけれど、自分からまだ高い声が出ることに驚いた。

 いい声が出ると、出すだけじゃ物足らなくなって、相手の耳の中に入れたくなった。頭の中まで届けて、その脳みそをどろどろに溶かしてしまいたいと思った。自分の脳みその代わりに。


 満足して貰えるようにしっかり気持ちよくなって終わって、大きなベッドに裸で一緒に寝転がったけれど、本当に1回で満足したのかわからない。眠そうにしているように見えて、もう1回出来るかどうか、股間と相談しているかもしれない。

 抱き締められたから、耳元でスイーツが食べたいと言ったらつねられた。

 もしかしたら、この会話でその気がなくなるかもと思ったけど、お尻でしたらいいじゃん、とつい言ってしまったから、やっぱりその気になってしまったようだ。でもいい、どうなるんだろうと思っていると、そわそわして落ち着かないから。

 ローションがあったのに、お尻は中々入らなかった。入りさえすれば、痛くたって全然いいのに、上手く入らない。

 と思っていたら入った、よかった。痛くたって全然いいって言ったけど、本当は痛いのは大好き。何でかはわからない。

 昔読んだエロ本の、「アナルセックスをするときも感染症等の予防の為、ゴムを必ずつけ、中だしなどは避けましょう」の一文を思い出す。

 私はセックスのとき自分の体なんか大切にしてないから偉いだろう。

 夫はそういった文を読んだことがないのかもしれない。




 結局ホテルでもうまく行った。完璧なデートになった。

 「これ使わなかったからあげるよ、割高なコンドーム」

 途中、自販機のようなもので夫が追加で買って、結局使うことのなかったコンドームを手渡される。

 黒にピンク色の蝶々のマークがついたそれを、私は、「えー」と言いながら、カバンのポケットに入れる。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る