第6話



 待ってる。ああもちろん待ってる。寝ようとも、わざわざやり直した化粧を落としてしまおうとも微塵も思っていない。どうせ真面目に行ってない、友達といえる友達もいない高校も明日は休んでしまえばいい。半年に一度程しかないこの一晩ぐらい、すべてアキラ君に捧げる気持ちだ。

 だけど、時刻はもう午前3時。

 やっぱり今日が水曜日だということが頭をもたげさせる。

 苛立ちがまったくないかと言うと嘘になる。

  わざわざ向こうから言ってきといて。

 けど、こちらから誘うことなんて絶対にないから、いつだって、"向こうから言ってきといて"、だ。

 ただ、わざわざ水曜日に誘ってきたこと、が気になっている。

 私と彼女とは別だと考えて欲しかった。代わりになれるなんて思わないし、誰かと比べられてがっかりされながらなんて嫌だ。でもアキラ君も本当は血の通った人間で、神様じゃない。だからきっと、彼女にデートを断られたら寂しくなって、もて余した性欲を手頃な誰かで発散させたいと思う日もあるだろう。


 4時半になった。静まり返った部屋の中で、掃除しきれない半年分の汚れが浮き出て見えた。カーペットの染み、カーテンやテレビ台に溜まった埃、テーブルのペットボトルの跡。

  家の左手から、じゃりじゃりという音が聞こえた。うちの小さな駐車場に車が入ってくる、アキラ君以外響かせることのない音だ。

 急いで1階まで降りる。玄関横に小さく付けられた窓に、車のライトの黄色い灯りが反射している。鍵を開けたのと、2階から携帯電話の着信音が鳴ったのはほぼ同時だった。がらがらと音を立てながらドアを開けると、電話を耳に当てたアキラ君と目が合う。

 「あ」

 こんな時刻に似合わない、丸く大きな目でそう言った。

 "無理して来たんじゃないの?"

 その言葉を飲み込む。

 「めっちゃ遅かったね、大丈夫?」

 「うん」

 聞けることが、話せることが、少ない。


 皆で遊んだときを含めても、うちに来るのは6度目なのに、我が物顔で階段を登っていくその背中を眺める。

 どちらかというと、広い、少し曲がった背中。そこから伸びる腕の先には、その背中に似合わない器用そうな指の付いた手がある。適度に骨張っていて、細くも太くもない指は長い。それを最初に見たとき、実際本当に器用かどうか確かめたい、と思った。


 その願いはすぐに叶った。その手で、初めて触られたのは、耳の後ろだった。


 3対4で遊んだ後、運転係だったアキラ君に、家の近くまで送っていってもらったときのことだった。

 友達の家を次々と回っていくのを、助手席でどきどきしながら眺めていた。

 最後に送られるのが自分だとわかったとき、人生で初めて期待通りのことが起こったような気がした。

 2人きりになってすぐ、アキラ君は「まだ帰りたくないでしょ」と、言った。

 その通り、とは言えなかった。

 ただ、髪の生え際にそって耳の後ろを撫でられながら、じっと黙っていた。

 静かに、けれどなるべく多く息を吸い込むことに必死だった。

 何故なのかと考えたら、頭よりもずっと下の方に感じる振動に気が止まった。こんなにも酸素を欲しているのは、バクバクと、いつもより大きく波打つ心臓のせいなのだということに気づいた。

 斜めに傾けられながら近づいてきた顔。自分より少し大きくて厚い唇が気持ちよくて、頭が痺れた。


 その次の次に遊んだとき、今度は首の後ろ、背中の近くを触った。

 他の皆が見てないときだった。

 指でぐっと押すように、そこをつついた。

 振り替えると、「ん?」と言いながら微笑んだ。

 その時初めて、それまで何度も着ていたその服の背中が、少し広めに空いていたのだと気付いた。

 ゆっくり、じりじりと近づく距離が、出会ってからの1ヶ月を半年程にも思わせた。





 だけど今は、半年前がついこの間のようだ。

 一歩も、進んでいないことがわかる。目の前に道はなく、足下だってぐらつく。

 毎度、おんなじようなことをしている。

 言われるがままに服を脱ぐ。多分今の自分は、色気も糞もない微妙な顔をしている。

 最初のときみたいに脱がせてくれたほうが、きっといい顔をするのに。

 あんまり触られたら「やめて」と言う。

 「なんで?」と聞かれるけど、「トイレに行きたくなるから」なんて答えられないから、尻すぼみのあえぎ声でごまかす。

 アキラ君の方は、邪険な扱いで、つまらなさを誤魔化しているみたいだ。立ち上がって、私の頭を掴む。

 せっかく化粧し直した顔は、どろどろに汚れた。さぞ見るも無残だろう。

 それをティッシュでぬぐっていると、「5時半になったから、アンパンマン見よう」と言ってリモコンを手に取った。

 何年ぶりかにアンパンマンを見た。つまらない。

 けど意外にもこの空間に釣り合っている。

 見終わった後、「じゃあ帰るわ」と言った。

 なにしに来たの?来たかったの?頭にそう浮かんだけれど、誘ったのは私じゃないから、アキラ君がどう感じようと、私の責任ではない。


 玄関まで見送る。

 おそらくほとんど一睡もしていないんだろうに、その目はらんらんと輝いている。現物のその目にこちらを見られると、そわそわと落ち着かない。ハッピーバースデーを歌ったときに似ている。

 顔が近づいてくる。少し離れたかと思ったらもう一度近づく。

  いつも必ず2回、キスをする。

 1回でも3回でもなく2回なのは何故なのか、出ない答えも今回も探す。


  顔をじゃぶじゃぶ洗ったせいで裾の濡れてしまった両腕をベッドに投げ出す。

 ただ、何故2回なのか、考える。毒を食らわば皿まで、だから私は彼を研究する。






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