第47話巻き戻された時間

「やばい、やばい」

 何度目かの“やばい”を唱えながら、身支度をしている、年の頃20代後半の男-純也。

 時刻は7時半。

 あと1時間以内に会社に辿り着かないと、上司達に遅刻とみなされ、大目玉を食らうこととなる。

 いや、そう感じているのは、純也だけかもしれないが、百歩譲っても嫌味を言われるのは、目に見えていた。

 兎に角手を動かし、出掛ける用意をしようと考え、純也は溜め息混じりに何度も“大丈夫!”という言葉を繰り返す。

 やがて、身支度を終えた純也は、息吐く暇もなく、リュックを背負い、駅へと向かった。

 数分後、辿り着いたホーム内には、3列に並んだ乗客達が、無言で電車を今か今かと待っている。

 しかし、その光景はほんの一部分で、遠くの方に瞳を移せば、バラバラに立っている集団もいて、端から見ている純也にとっては、何故か気持ちが落ち着く光景モノだった。

 人には人の考え方があるものだなと、まるで他人事のように呟いた純也は、しかめ面でホーム内に設置された電光掲示板へと見る。

 そこには、“7時40分発の電車が事故の影響で遅延する”という案内が流れていた。

 この無情とも言える告知に言葉を失い、純也はガックリと肩を落とす。

 暫くの間途方に暮れていた純也の耳に、次の電車の案内が聞こえてきたのは、丁度到着2分前だった。

 事情も知る由もないアナウンスの、ウグイスのような高く可愛い声が、唯一自分を慰めてくれているように感じ、少しずつ気持ちが軽くなっていく。

 そんな短いフレーズに、いつしか心を奪われていた純也の体に、突然小さな衝撃が走った。

 声に聞き惚れているうちに電車が到着し、我先にと乗客達が降りてきたからである。

 次から次へと押し迫る乗客の波を避けきれず、暫くの間純也小さめの体で、受け流し続けていた。

 その中で急いでいたのだろうか?

 1人の乗客が純也の存在に気付かず、そのまま体当たりをして、その場から去っていく。

 漸く“[[rb:避 > ヨ]]けないと”と考え始めた純也には、まさに思いもよらない出来事だった。

 純也は目の前の階段を一目散に降りていく乗客に、一瞬恨みがましい視線を向ける。

 それと同時に、尻・背中・頭と地面に打ち付けていった。

 痛みが体全体にほと走ったその刹那。

 純也は暗闇を真っ逆さまに落ちていく感覚に包まれていく。

 だが、それは束の間の出来事だったようで……

 気が付いた純也は、見知らぬ男性に顔を覗き込まれていた。

 意識がはっきりしていくにつれ、自分が駅のホーム内に設置された椅子に座っていることにも気付く。「大丈夫ですか?」

「あっ、はい……すみません」

 事態が把握出来ていない純也は、まだ靄に包まれているような頭で、辿々しく言葉を紡いだ。

 幸い目の前の男性は、理解力に長けていたのであろう。

 短い言葉から純也が言いたいことを汲み取り

「いえ、こちらこそ急いでいたとはいえ、ぶつかってしまって」

と、軽く頭を下げながら、申し訳なさそうに謝る。

「何だ……あれからすぐ引き返して、助け起こしてくれたのか」

“人は見かけによらないな”

 内心で感慨深く呟いた純也は、まだじんわりと痛みが走る体に気を遣いながら、電光案内板へと瞳を移し、そして驚いた。

 電車の到着時刻が“7時20分”と表示されていたからである。

「今……7時40分を過ぎているはずですよね?」

 純也は恐る恐る介抱してくれた男性に訊ねてみると

「今行った電車が7時10分ですから、次は20分で間違いないですよ」

と、困惑しながらも、微笑んでそう答えた。

“ほら”と声をかけて見せた腕時計の2つの針は、しっかりと“7時15分”を差し示している。

 ますますわけが分からなくなった純也は、言葉を失い、ただ呆然と、腕時計を見るしかなかった。

「それじゃあ、僕はこれで」

「助けて頂いて、有難うございました」

 立ち上がった男性にお礼を言って見送った純也は、再び流れてきた運行のアナウンスに、耳を傾ける。

 それも確かに、次の電車の到着時刻は“7時20分”だと伝えていた。

「不思議なこともあるものだな」

 純也は、エスカレーターに吸い込まれていく男性の姿をチラリと見て、ポツリ呟く。

 それと同時に、会社に遅刻しないですむという安心も生まれ、純也は胸を撫で下ろした。

 やがて純也もまた、到着した電車に何事もなかったかのように、ゆっくりとした足取りで、電車に乗り込む。

 過ぎさる景色と静寂に包まれた車内で、純也は会社の最寄り駅に着くまで、先程の身に起きた出来事をじっくり考え始めた。


お仕舞い


Mのお題

平成29(2017)年10月30日③

「タイムリープがある物語」



 






 

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