第13話そんなこともあったなぁ 3人称編
それは数年前の出来事であった。
当時、小料理屋で接客を担当していた結月華《ユヅキハナ》は、忙しいお昼時にやって来る大勢の客達の注文を次々と取っては、
接客の仕事で何が1番大変かと言ったら、矢張り昼食・夕食時である。
他人がさも美味しそうに食事をしているのを横目で見ながら、自分は齷齪と働いて……
それでも“はぁ、疲れたなぁ……”なんていう
代わりといってはなんだが、最大級の笑顔を見せては客が寛げる席へ案内したり、レジ打ちをする。
そんなことを毎日繰り返してもう十数年、華は40近くになるまで頑張って生きてきた。
そんなある日のこと。
いつもと同じような昼下がりなのに、おかしいところが2つある。
一つ目は、あまり降らない雨。
しかも、このままだと大雨になるかもしれないと予測が出来る程強い雨足である。
2つ目はその天候に関連しているのか、お客が少ないことだった。
いつも賑わいを見せている店だから、たまには空いてい店も悪くないと華は思い、両手で布巾を握りしめながら外を眺めている。
(今日は比較的にお客様が少ないのね……)
華は珍しいこの光景に不思議そうに首を傾げると同時に、次の客が気持ち良く使えるようにと、持っていた布巾でカウンター席を拭き始めた。
しかし、その直後。
店の奥に座っていた、年の頃30代前半の若い男性が、何を思ったのか突然立ち上がると、拭き続けている華へと音もなく近づく。
そして見向きもしない彼女に恐る恐る話しかけた。
「あ、あの……」
「はい、どうされましたか?」
男性は、今にしてみれば緊張していたのであろう。
その時の彼の体は小刻みに震えていて、声もそれっきり出すことが出来ない。
華の左側にボーッとしたまま立っていた若者は兎に角何を考えているのか分からない程、表情が固まっていた。
訪ねた華も、彼に対して何をしてあげたらいいのか悩み、矢張りこれ以上は声をかけられない。
黙っている時間が長くなればなる程、2人もそして周りの人間達も気まずくなり……
ついに我慢の限界に達してしまった華は、思わず口を開こうとした。
だが、それとほぼ同時に彼もパーカーの真ん中にある大きなポケットに、左手を勢い良く突っ込む。
そして、自分の突発的なその行動に驚きを隠せないでいる華の事など気にも留めず、ポケットの中にあるであろう物を掴んで引っ張り出した。
それから青年は顔を強張らせながら、震える左手をサポートするように、右手を素早く添える。
“何かしら?”と不振に思い、黙って様子を見ていた華に青年は
「ずっと、あなたを見ていました。
だから……その……結婚を前提にお付き合いして下さい!!」
と、唐突だがプロポーズをした。
「え、……えっー!?」
華は一瞬何が起きたのか分からないまま、再び驚きの声を上げる。
それもそのはず、華と青年は15才近くも
だが、華は“こんな偶然あるわけがない”と自分に言い聞かせ、直ぐに言い返した。
「15才も年上のおばさんで本当にいいのなら、お付き合いしてあげる!」
“からかうのもいい加減にしてよ!!”と、華は強気から弱気な心に変化していく自分の気持ちが辛く且つ疎ましく思い、澄んだ瞳に薄らと涙を溜めていく。
(これで彼も少しは目が覚めるはず)
華は悔しさを胸に秘め、内心でポツリ呟いた時、またも予想出来ない言葉を耳にした。
「ほ、本当ですか?
僕はあなたがいいので、どうかお付き合い下さい!」
“是非ともお願いします!!”と、先程よりも更に熱いアプローチー丁寧に頭を下げた彼の姿ーを受けてしまった華は困惑し、暫くの間かける言葉を失う。
(ちょっと待って!?
この人本気じゃないの?)
華は、“それは困る”という感情と“一生に一度の大きな決断”の
しかし、自分達を好奇心の眼差しで、事の成り行きを見守る他の客を気にし始めた
(兎に角、この場を何とかしなければ!)
考えに考えた末、どう考えても彼の熱意あるプロポーズを上手く断るアイデアが思い浮かばず……
そして何よりも、何故か何処となく“面白そうだ”と思ってしまう自分がここにいるということに気付いてしまった華。
「……分かった、まずは3ヶ月間だけね」
そう言って華は2つ返事ーしかし、内面では渋々であるーでプロポーズを受けることにした。
勿論、華はこのプロポーズから1年はしっかりお付き合いをして、青年の誠意を見極めた上で、結婚を決めているから、そこは心配しないでほしい。
これが、華という少しお年を召した人間が経験した、人生最初で最後の素敵な恋物語である。
お気に召したら幸いであるし、また別の物語を聞きたくなったら、ここへ足を運ぶといいだろう。
取って置きの物語達があなたを待っている……
そんなお話の館へ。
お仕舞い☺️
令和3(2021)年6月18日~8月7日9:24作成
Mのお題
平成29(2017)年11月22日
「飲食店スタッフとして働いていた時の思い出」
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