第7話小さなお店のサンドイッチ

「今日のお昼は……サンドイッチ!」


 大手企業の事務課に配属されて、10ヶ月が過ぎた新人―青野範子は、レタスやトマトが描かれた、ピンク色のビニール袋を、自身の机にトンッと置きながら、さも嬉しそうに呟いた。


 ビニール袋特有の“ガサッという擦れる音に掻き消される、範子の楽しそうな鼻歌が、目の前で“今か今か“と待つそのサンドイッチの美味しさを、物語っているのが分かる。


「おっと、青野さん……

また今日も、例のサンドイッチ屋さんのだね」


“余程気に入ったとみえるな!”と、彼女の背中越しから明るく爽やかな声をかけてきたのは、事務課の二歳年上の先輩で範子にお店を教えた張本人であった。


「そうなんです!

ここのハムチーズサンドが美味しくて、止められなくなっちゃって」


“教えてくれて有難うございます!”と、鼻筋が通った先輩を見ながら、嬉しそうにお礼を言う範子。


 彼女は過ぎ去る先輩から瞳を再びビニール袋へと移し、満面の笑みを浮かべる。


 そして、待ちに待ったと言わんばかりに、ガサガサと音をたてサンドイッチを取り出した。


 範子が勤める紙を扱う会社は、海が良く見える小高い丘にある。


 その会社では、複数の大きさのデザインノートから、その場に合わせて使える原稿用紙といった専門的なノートまで、自社で製作・販売していた。


 ここまで大企業に育ったのは、街中にある支店・郊外にある子会社、全国の協力店はもとより、ネット販売や口コミの力もあったと、初代社長は社内冊子にコメントをよせている。


 また、社員一同も“見晴らしが良い”と口を揃えて言う程、働く側にとっても良い環境が揃っている為、毎年新入社員を数人迎え入れていた。


 そんな会社に勤める範子の目下の楽しみは、町の中心部にあるパン屋のサンドイッチ全種類を制覇することである。


 どうやって知ったのか。


 それは、今から1週間前に実際に行った先輩から、“あそこのパン屋のサンドイッチは、手作りで美味しい!”と聞き、帰る道すがら立ち寄ったのという経緯がある。


 目の前に佇む店は、先輩が言っていた通り小さいが、赤い看板が目立っていた。


 それは、種類豊富なサンドイッチを沢山の人に知ってもらう為である。


 定番の玉子サンドやハムチーズサンドは勿論のこと、季節限定―今は2月故、店特製の甘酸っぱい梅ジャムをたっぷり塗ったサンドイッチと、ポンカンをふんだんに使ったマーマレードに甘さ控えめの生クリームを挟んだサンドイッチがある―を含む20種類前後の品物が所狭しと並んでいた。


 何故こんなに種類があるのかは、この際置いておいて。


 範子は夕飯前ではあったが、こし餡と生クリームのサンドとハムチーズサンドを購入し、家でおやつ代わりに摘まんだ瞬間、頬が落ちそうになったのである。


 それ以来、“お昼はこのサンドイッチで決まり!”状態に陥り、今も尚続いているのだった。


「はぁ、昨日食べたこし餡と生クリームサンド、甘くて美味しかったな……」


“これで2回目だわ”と感慨深く呟いた範子は、うっとりとした表情で

「食後のデザートにぴったりだし、疲れも取れるし、最高のサンドイッチだよ……」

と、サンドイッチを食べていた姿を思い浮かべ、幸せに浸っているのかニンマリと笑う。


 そんなニヤけたままの彼女の目の前に、先程ビニール袋から出されたハムチーズサンドが、口に運ばれるのを今か今かと待っている。


 チラリと壁に掛かる時計で現在の時刻を確認した範子の手が、サンドイッチへと延び、それをゆっくりと口許へ運んでいった。


“パクリと一口、口に頬張る範子の心は、一瞬でこの上ない幸福感を味わったようで

「うーん、幸せ……」

と、思わず満面の笑みを浮かべながら、今の気持ちを素直に言葉に表してみる。


 ご満悦の彼女の口に次々と運ばれていくハムチーズサンドには、見た目も楽しめるようにと、沢山の野菜が挟まれていた。


 緑豊かなレタスと胡瓜、それと相対する薄切りトマト。


 そして、具材を大切に守るように薄く塗られた辛子バターが、主役のハムとチェダーチーズをしっかりと支えている。


 また野菜達のシャキシャキ感と、チェダーチーズのコクのあるまろやかな味が、口一杯に広がった刹那……


 トマトの程良い酸味が後味を引くのだ。


 それにプラスして、半ばしつこく感じ始めた味にピリオドを打つかのようにスーっと広がっていく、この爽快感が堪らなかった。


 更に、ハムの塩気と辛子バターの少々ピリッとした辛さも手伝って“一口、また一口”と、食が進んでいく。


 倉皇しているうちに、今回も完食した範子は思わず

「あーあ、美味しかった!」

と、周りにいる数人の社員達など気にせず、満足した台詞を呟いて笑った。


「ふぅ……お腹一杯!」


“また今日も買って帰ろう……”と、いつまでも美味しさの余韻に浸っていた彼女の耳に、午後の仕事開始10分前を知らせるチャイムが、“気持ちを切り替えよ”と言わんばかりに届いた。


「よし、午後の仕事も頑張るぞ!」


 自らを鼓舞し、机の上を手際良く片付ける範子の頭には、もう明日食べたいサンドイッチが幾つも浮かんできて仕方がない。


 当分の間彼女の笑顔は、小さなお店であるパン屋さんのお陰で、暫く絶えることはなかった。


お仕舞い


令和3(2021)年2月12日14:21~2月20日23:54作成









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る