速水 廉一郎

 速水 廉一郎は、小説家を目指していた。


 廉一郎は、作家に成るのが夢だった。

 其れも廉一郎は世界的な作家に、新時代の作家に成るのが目標だった。


 廉一郎は、出版社を怖がった。


 廉一郎は、新人賞を怖がった。


 先輩作家を怖がった。


 自分以外の人間の考えを畏れた。


 此れは単に、彼が純文学を好むからでも、ライトノベルと、そうで無い作家との間には何があるのかといった考察があるからでも、大衆小説が、ミステリが、その文体が、どうもこうも、そうであるからでも無いのである。


 作家に何て成りたくもないし、特に小説家に何て成りたくもない。


 キモイ陰キャのすることで、僕は小説何て大っ嫌いだ。


 小説のいい処なんて、金の掛からないのに、大抵の事は表現が出来てしまう事位のものだ。有名作家に成ればテレビにだって出られるし、大した事をしていない、書くだけの人間が偉そうに、何からしい事を言えるのもまた、この残念な仕事の醍醐味だろう。


 小説は、決して残念なものでは無い。


 其れが、ライトノベルや、大衆小説が、人間を感動させるし、内容が腐っていなくて、やたらに難しくなくて、そういった童心を忘れていない作品は唯一其れが、純情である事の証ではないだろうか。


 思うのは、子供の其れも穢れの無い子供の、途方もない夢を追う姿にこそ、唯一、其の小説の救いがあるのでは無いだろうか。


 主人公は、ヒーローのような、存在の、そういった、少年漫画や少女漫画のような、作品にこそ、救いようの或るものだと思うのである。


 ひねくり曲がったもの、にも面白さ。

 何かしらのよさ。

 寧ろそういった既存の倫理や価値観をぶち壊しにするものに、真の文学、評論としての価値は或るのであろうが、やはり、其の中に、曲がり様の無い人間性質言わば、感性が付きまとっては来るものだ。


 こういった、小説というのは、何か此れに全てを払ってだとか、もう書いて居ずにはいられないだとか、兎に角小説を美化する人間は小説に、文章に人間を求めるが、文章に人間などいるはずも無く、この世界は唯物的で、実際は、ただの組み合わせ、異なる意味と概念の組み合わせでしかないのだ。


 「経験何てものは、何の役にも立たない。」


 「此処でいう経験とは、一体何か。」


 「非効率的で、無駄な徒労の事だ。」


 そう。

 如何して分かり切った事を、考えればわかってしまうことを人間あ経験せずにはいられないのか。

 バカなんだ。

 作家何て言うのは旅行を好む奴や、やたらと社会に積極的な人間が多いが、馬鹿ばっかりだ。


 「馬鹿だから、作家に何てなるんだったなああ。」


 そう、真に頭のいい作家何て、有名作家の中でも指で数えられるくらいのものだ。有名だからといって、その作品が、品があって、素晴らしくて、賢いものだとは限らない。そもそも、何が基準なのか、が分かったものではない。


 「数学は答えが在るが、こういった物は何が正解か分からない。」


  廉一郎は、そういって考え込んでいた。


 「只、分かる事が或るとすれば其れは、感情が原動力になると言う事だけだ。」

 理性、認識。感覚。イメージ。

 そういった物が、唯一、書く意味になる。

 善悪。

 生死。

 有無。


 そういった、誰もが考える事も面倒臭くなって、忙しくてそんな事を考える間も無いような、倫理や哲学を考えることが、社会の問題を掘り下げる事が、その隠喩が、唯一書く事に重要な意味を持たせているに違いない。


 誰も言えないような、そういった深い話題は、日常では口にしないような専門的な話は、其の、社会での役割は評価は、其の実際の成果は、偏りのない、事実は、風評は、虚構は、そんなものに何の価値が或るのだろうか。


 いない存在を創って、いない存在に語らせる事に一体何の意味があるのだろうか。

 分からない。


 神話を創って意味などあるのか。


 神話。


 神が出てきようがこまいが、虚構である。ストーリーには虚構が入り混じる。


 完全な、ノンフィクションもあるだろうが、その大半はフィクションである、如何して話を語るのか、創るのか。


 話の中に、入れるのは、此れ迄の精々、人間が、此れ迄見て、聞いて来た事の、何かそういった事の、中から考え出された、伝えるべき事だろう。


 如何して、こんな物語という形式で伝える必要があるのか。


 其れは、人間が物語る生き物だからだろう。


 唯一人間が、物語るからで在ろう。


 話の中に、その人の人生の身ならず、他者の発見、宗教、哲学、科学、歴史が、そういった産物が文字と成って簡潔に表せるからで在ろう。


 「面白い。とは何だ。そんな者は決まっている。面白いには法則が或るのだ。」

 と 車海老 錬三郎は言いました。


 「ほう。其れは一体どういった法則ですかな???。」

 と 速水 廉一郎は言いました。


 「其れはタイミングと、集中ですかな。」


 タイミングと集中。確かにそうだ。


 間は面白さを引き立てる要素だ。


 又面白い事、いわば気になる事、好奇心、上下関係、反抗心、そういった物は集中して考えて、一つの抽象化された言葉を手短に、其れも解りやすい短いワードを作り出して、そのタイミングで話す事、その状況を切り取って来て考え続けること、此れが人間が感心する事、いわば面白さ。


 其れは他者では決して出来ない事、確かな真理、皮肉、ユーモア、他人のいう事の先の行動の先読み、そして、其のストーリ、いわばあるであろう。起こるであろう未来の予言、そういった仮定の、核心。


 また、状況からかけるもっともらしい言葉。


 此れが、ギャップを生み出す。


 あの人が言えば面白いのである。


 「空気何てクソの役にも立たない。」


 「ああ、そうだ。その通りだ。」


 「真実。確かな真実が大切なんだ。科学と論理で分かる真実がな。」


 「環境が作り出す事の大半は人間の作り出した虚構だ。実際は何らその数値は数式から算出される量は値は、何ら変化していない。」


 重要なのは、科学的知見、真理なのだ。


 其れから、直感である。


 直感は大事だ。

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