一日目:「はじめましてさん」 その2。
はじめましてさん。
放課後、誰もいない三階の廊下を歩いていると、ふと後ろを振り返れば、その廊下の突き当たりのところで、首をぐにゃりと捻ってニヤニヤしながらずっとこっちを遠巻きに見てくる男の子。
そして小夜いわく、この男の子は違うところからやってきた「
「……小夜」
私は小声で、小夜に耳打ちする。
「私、嫌な予感が凄い」
「そうだね、分かる分かる。ありゃ面倒くさいほうのヤツだわ」
すると、同じく小声で返事した小夜は、そのまま私より一歩前に歩み出た。
「あーと、あ、とりあえず改めまして、初めましてぇ。私、この学校で怪談やらせてもらってます、小夜っていうんですけど」
小夜はあんまり聞いたことがない自己紹介で話を切り出す。腰を低くして、頭を軽くぽりぽり搔きながら、困り笑いを浮かべて、片手で「ごめん」のサインを相手に送る。
「いやごめんね、さっきは急に乱暴な言葉遣いになっちゃって。お互い初対面にそんなんじゃ、こっちも失礼だったね。いやぁ失敬、失敬」
その左腕が、後ろにいる私を庇う。
「でもさぁ、そっちもそう、そんな風に身構えてくれるとねぇ。こっちもそういうのには敏感ってなもんで。――――だから、改めて訊くけど、何か用かい。用があるんだったら、そっからで良いから、教えてくれないかな?」
軽い口調だったが、明確な威嚇だった。相手が身構えているというのなら、小夜の立ち振る舞いにも同じものがある。彼女は明らかに相手を圧を以て牽制している。私は後ろから小夜を見ているが、彼女には「もし相手に少しでも不要な動きがあれば容赦はしない」という、一切の隙と情が感じられなかった。それは怪異ならではの畏れ多いもので、ひりひりと、守られている側の私にも、その威圧感を肌で感じている。
しかし。
それでも。小夜の肩越しに見える怪異は、まるで意にも介さないと笑う。
その場に突っ立って、首を曲げて、ただニヤニヤと笑う。
――――そして。
「え?」
次の瞬間、その子は消えていた。
「おっと?」
小夜も怪訝な声を出す。でも、それも当然だ。
だって、その消え方というのが、
「いつ消えたの」
消えたということに、記憶が無い。
いつのまにか消えた、とかではない。消えたことを、私たちが覚えていない形で消えている。
明らかに、自らの記憶に穴があった。小夜も同じようで、見逃すわけが無いと辺りを見渡すも、しかし何処にも見当たらない。彼女は舌打ち一つ、吐き捨てる。
「……私が見逃すだと。馬鹿言え、そこまで耄碌してねぇぞ」
怪異、はじめましてさん。その気配が、霊感が全く無いの私でも、完全に消えたと分かった。小夜が私の後ろを振り向き覗いても、そこには誰もいない。間違いなく三階の廊下には、誰も居なくなった。
小夜は、辺りを何度も確認する。急であり得ないほどの消え去りに、彼女自身も理解が追いついていないようだ。幾度か周囲を見た後、最後、怪異が立っていた廊下の先を見遣り、不機嫌混じりの苦い顔をする。
すると彼女は私の手を握った。幽霊の、ひんやりとした体温を感じる。
「瑠衣。とりあえず、今日は普通に帰れるから大丈夫だよ。私は下駄箱までしか行けないけれど、ひとまずそこまでは送らせてもらうね」
と、彼女は先導して、そのまま二人して階段を下りていった。とんとん、とやや早足で降りていくが、その間に、誰ともすれ違わない。部活動の子だけがまだ残っている時間帯ではあるが、それでもここまで人気無い時間だっただろうか。
「大丈夫。今、七不思議の全部がこの状況を見てた。みんなそれぞれ睨み効かせてるから、安心してほしい。瑠衣は必ず私が守るし、この学校も、私含めた皆で絶対に守るよ」
先を歩く小夜は常に周囲に注意を払ってくれている。時折、じろり、じろり、と、何も無いところに怪しいモノはないかと、つぶさに確認している。私も念のためにきょろきょろと、目視で確認しながら歩いて行く。でもやはり、あの男の子の姿や気配は、何一つ見当たらない。
一体、あれはどんな怪異なのか。私たちの記憶に残らない消え方ができるモノ。そも、記憶というなら、はじめましてさんなんて、ここ最近のどこかで聞いた試しなんてあっただろうか。はじめましてさんは、この学校に間違いなく実在する。だというのに、あの小夜でさえ知らない、覚えが無いといった存在だった。だから最初、彼女は私に訊ねてきていたのだ。こんな怪異を知らないかと。
(……)
何も分からないだけで、今日が終わる。でも今日は無事に帰れそうなのは間違いないようだ。だから最後に一言、二言、話しても良いくらいの余裕はあるように思えたので、おずおずと、小夜に話しかけてみる。
「あ、あの。こうやって守ってくれたの、本当にありがとう」
「あぁいや、こっちも怖い目に遭わせてごめんね。まさかあんなヤツだったとは。適当に会っちゃヤバい案件だったね」
「ううん、今、放課後だったから。分からなきゃ会えば分かるだろって空気にしちゃったの、私だから。私のせいだよ。こっちが謝らなくちゃ」
「いやいやなんでさ。それいったら私だって同じ空気作っちゃたし、それにアイツのこと、どうせぽっと出の木っ端なヤツだと思って舐めてて、瑠衣を危険な目に遭わせちゃったのは、間違いなくこっち。謝らなくちゃいけないのは、全面的に私だよ」
前を歩く小夜は、気まずく振り向いて、また片手で「ごめん」のサインを見せた。私も私で、話の締まりは悪いが、その小夜の謝罪で、一旦会話を終わらせた。このままじゃお互い謝り倒しで、話に着地点が見えないだろうから。
だからここで切り替えて。私がさっきから知りたかったことを、小夜に訊いてみた。
「ねぇ、さっき、七不思議の全部がなんとかって言ってなかった?」
「言ったね」
「それって、あの七不思議、学校の七不思議のこと?」
「そうそう。その七不思議だよ。それもまた、明日話すね。今日は説明の時間がないからさ」
私たちは一階、下駄箱まで辿り着いて、自分はそのまま外履きの靴に履き替える。その際も、あのニヤけた顔から感じた気配など感じなく、グラウンドでは、部活動の子達がいつもと同じように練習していた。そんな日常の景色を見ていると、今し方、三階で怪異と出遭ったことが、あまりにも希薄になっていく。
振り返れば、小夜が笑って立っていた。いつもの小夜だ。誰にも見えないが、私だけはちゃんと見える。
「校門まで一人で歩いて行っても平気だからね。皆、瑠衣のこと見守ってるから」
そのままひらひらと手を振って、私も別れの挨拶を済ませた後、校門まで一人で歩いて行った。
グラウンドでは運動部がまだ練習をしていたから、まだ人気があるとして安心ができた。いつもの帰り道と変わらずで、このまま普通に歩いて行ける。
だけど、最後に小夜が言った「皆、瑠衣のことを見守ってる」という意味が、その日常に重なった形で、理解できた。
ふと、校舎の窓を、どこでも良いから見上げてみる。そこには誰も居なかった。だけど、何かが窓越しから私を見ている感覚があった。
またふと、グラウンドを見てみる。運動部が相変わらず練習に精を出しているが、今、目に見えるその全員は、果たして全員と言って良いんだろうか。誰か一人、知らない子が混じっているような――――いや人ではなく、異質な何かが、その中に混じっているような気がした。
学校の七不思議。
今、そんな方達が、私のことを見守ってくれている。
そのまま校門を潜り、外に出る。その時にも、門の脇から視線を感じた。こういう所にもいるんだと驚いた。私の学校の七不思議って、校門にも関わる方がいるのかと初めて知った。
「……」
我ながら、不思議な体験をしている。霊感ゼロであっても、出会おうと思えば出会える。
……今日は、寄り道せず帰ろう。夕陽が沈み、夜が迫っている時間帯だし。なんだか大丈夫と言ってはくれたけど、別に小夜達を疑うわけじゃないが、まだ安全じゃないような気がして、そのまま小走りで、本日は帰路につくことにした。
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