第17話 リズベッド・ランクォード
「リズベッド……まさか、本当に君だっていうのか……?」
「ああ、そうだとも! リオン君、本当に懐かしいな……どうやって、この世に復活したんだい?」
レオバード……否、リズベッドが嬉しそうに訊ねてくる。
「女神に生き返らせてもらって……いや、それはこっちのセリフだ!」
リオンは素直に答えそうになった、慌てて問う。
「君は邪神との戦いで死んだはずだ! 邪神の眷属、側近であった奴に胸を刺されて……俺はたしかにそれを見たぞ!? それなのに、どうしてそんな姿で……!」
「ああ、なるほどなるほど。そこから説明しなくてはいけないかな?」
リズベッドはニコニコと笑いながら、リオンの質問にしっかりと答える。
「僕は自分自身の肌に呪印を刻みつけ、それを代償にして『復活』の呪いをかけていたんだよ。乙女が二十年間、自分の肌を台無しにすることを代償としてね」
「復活……?」
「ああ、胸を刺された僕はしばらくして起き上がったんだけど……その時には戦いは終わっていた。君も邪神も死んでいて、戦場にはわずかな生き残りの兵士がいるばかりとなっていたよ。アルバートやエトワール……主だった連中はみんな逝ってしまったけどね」
「ま、待ってくれ、リオン! さっきから何の話をしているんだ!?」
リオンとリズベッドの会話に、アルフィラが割って入ってきた。
「その人は王太子殿下ではないのか!? だったら、いったい何者……」
「五月蠅いなあ。静かにしてくれないか?」
「ッ……!」
リズベッドの顔が親しみのあるものから一転、恐ろしく冷たいものになる。
軽い仕草で人差し指を振ると、アルフィラの首に呪印が蛇のように巻きついた。
呪印がギリギリとアルフィラの首を絞め、窒息させる。
「「お嬢様!」」
膝をつくアルフィラの姿に、後ろに控えていたミランダとティアが駆け寄る。
呪印を引き剥がそうとするが、形のない平面の文字は掴むことすらできなかった。
「あ……が……」
「やめろ、リズベッド!」
リオンが慌てて叫ぶ。
このままでは、アルフィラが窒息死してしまう。
「君が言うのなら」
リズベッドが両手を上げると、アルフィラの首に巻きついていた呪印が解けた。
アルフィラが地面に両手をついて、ゼイゼイと荒い呼吸をする。
「呪いの力……リズベッド……大戦時代の英雄の一人、『呪いの女王』リズベッド・ランクォード本人だというのですか……?」
呆然としてつぶやいたのは、それまで言葉を失った様子で立ちすくんでいたシュエットである。
「おや……僕の名前を知っている人間がいたとは驚いたな。てっきり、この国の王族は僕らを歴史の闇に葬ったものだと思っていたよ」
「…………」
リズベッドが恨めしそうにシュエットを見やる。
絡みつく視線。そこに込められた情念を感じ取ってしまい、シュエットが肩を震わせた。
「……俺も聞かせて欲しい。リズベッド、お前はどうしてそんな姿になっているんだ?」
友との再会に混乱していたリオンであったが、ようやく落ち着きを取り戻して、冷静な口調で訊ねる。
「君が大戦を生き残ったのはわかった。だけど、どうして百年後の現在に王太子の身体に宿っているんだ? お前に何があったんだよ」
「君が知りたいのであれば、喜んで」
リズベッドはリオンに向き直る。
アルフィラやシュエットに向けていたものとは、別人のような優しい表情。
「僕はたしかに大戦を生き残った。君達が倒れてから、僕は生存していた兵士達をまとめ上げて戦場を引き上げた」
リズベッドが朗々とした口調で、語りはじめる。
「満身創痍の怪我人が多かったからね。苦労して、戦場から近くの町に戻ろうとしたんだけど……そこで、驚くべきことが起こったのさ」
「驚くべきこと……?」
「兵士に囲まれていた。味方であるはずのセントラル王国の兵士にね」
「…………!」
「兵士の指揮を取っていたのはルセルバード・セントラル。君も知っているであろう『臆病者』のルセルバードさ。奴ら、邪神との戦いには参加しなかったくせに、戦いに勝利して凱旋した僕達を待ち構えていたのさ」
「ルセルバード……」
シュエットがつぶやく。
それはセントラル王国の中興の祖。この国の歴史において、勇者と呼ばれている人物の名前である。
「ルセルバードは僕達に弓矢を射かけてきた。傷ついて、歩くのもままならない兵士達に向かって。邪神との命がけの戦いを切り抜けてきた、英雄たちに向かってね」
「そんな、まさか……!」
「そう、まさかさ! 彼らは僕達の功績を横取りするため、『勇者』の称号を奪い取るために、僕達を殺したのさ!」
「…………!」
「そこから先は、おそらく君も知っているんじゃないかな? ルセルバードは勇者になって、アイツに率いられていた兵士達が英雄となった。その中には、君の祖先だっていたよ……ノースウィンドの末裔」
「ッ……!」
膝をついたままのアルフィラが瞳を見張った。
そんなことを言われるとは、夢にも思っていなかったのだろう。
「どうして、僕が生きているかだけど……ルセルバード配下の兵士に弓で射られながら、僕は咄嗟に持っていた呪術書に魂を移したんだ。ほら、君にも見せたことがあるだろう?」
リズベッドが懐から本を取り出した。
古い羊皮紙、動物の皮で装丁されているそれは、百年前にリズベッドが持ち歩いていたものである。
「奴ら、がめついことに死んだ僕達の持ち物を奪っていったのさ。仮にも最前線で邪神と戦っていた歴戦の兵士達。装備も高級なものばかりだったからね。あのまま呪術書ごと死体を焼かれていたら、僕もお終いだったはず」
「…………」
「僕は生き残り、王家の宝物殿に収められることになった。忌々しいことにね」
「リズベッド……」
リオンが友人の名前を呼ばう。
友軍であったはずの連中に裏切られ、殺され、本に魂を移しての百年間。
それはどれほど辛いものだったのだろう。
苦しく、悔しく、呪わしいものだったというのだろう。
ある意味では、そのまま死んでヴァルハラに逝っていたほうが楽だったかもしれない。
「心配せずとも、そんなに寂しくはなかった。宝物庫には友人もいたからね」
「友人……?」
「君も後で会うと良い。きっと、喜ぶよ」
「…………?」
リオンが首を傾げる。
いったい、誰のことだろうか?
「それはともかく……僕はこうして、
「「…………!」」
アルフィラとシュミットが同時に目を見開いた。
「彼はどうやら、病で死にかけている父親を救うための力を求めていたようだね。そのために宝物庫にある呪術書を読んで、そして、僕と対話した」
リズベッドは掌で顔を覆って、口元を吊り上げる。
愉快で仕方がないとばかりに嘲笑う。
「『父親の命を助けてやる。だから、身体を貸してくれ』……そう囁いたら、彼は喜んで頷いたよ。貸した身体が二度と戻ってこないとも知らずにね」
「そんな……お兄様が、酷い……!」
シュミットが思わずといったふうにつぶやくと、リズベッドが噛みつくように叫んだ。
「酷いのはどっちだ!? 僕達を裏切って殺した、君達一族じゃないか!」
「ッ……!」
「だから、僕はこの身体を利用して復讐をすることにした。僕や仲間達の死を利用して繁栄を享受している者達に、残らず罰を与えるためにね……!」
恍惚とした表情で、リズベッドは宣言する。
美しく、けれど妖しい笑み。リオンには、王太子の顔と百年前の彼女の姿が重なって見えた。
「後宮を作ろうとしているのも、断った令嬢達に呪いを振りまいているのも、そのためさ。多くの人間に悪意と絶望を植え付けて、彼らから生じる負の情念を呪いの力として集めるため……この回答で納得できたかな、僕らの勇者様?」
「…………ああ、良くわかったよ」
良くわかった。理解できた。
嫌というほどに……わかってしまった。
かつて友と呼んだ女性が、敵となってしまったことに。
「一応、確認させてくれ……もう止めるつもりはないか?」
「やめる? どういう意味だい?」
「復讐を。気持ちはわかるが……やり過ぎだよ」
リオンは無駄だと知りながら、それでも最後に言い募る。
「彼らの祖先は俺達を裏切った。きっと、俺が生きていたとしても殺そうとしたんだろうな。だけど……百年後の子孫である彼らに罪はない。呪いを消して、王太子の身体から出ていくんだ。ヴァルハラで仲間達が待っている。俺もすぐに行くことになる」
「……つまり、僕の復讐を否定するということかい。僕らの勇者様は」
「そうだと言っている。リズベッド」
リオンは真っすぐな眼差しで、戦友を睨みつける。
「俺達は勝った。勝って、世界を救った。みんなの犠牲によって築き上げられた平和を壊さないでくれ」
「……決裂だよ。リオン君」
「…………」
「僕は矛を引くつもりはない。止めたいのであれば、殺して止めると良いよ」
リズベッドの……王太子の全身が呪印によって覆いつくされる。
背中が張り裂け、そこから昆虫の節足が六本飛び出してきた。
端正に整った顔面が崩壊して、いくつもの複眼が出現する。口が裂け、ヨダレを垂れ流す牙が伸びた。
『正直、君の姿を見たときからこうなると思っていた……僕らが尊敬した勇者が、今の僕を許すわけがないからね』
「残念だよ、リズベッド」
リオンの手に炎の魔法剣が出現する。
悲しそうに表情を歪めて、リオンは剣を片手に友人と相対した。
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