第16話 王太子レオバード

「……お久しぶりですね、お兄様」


 兄の挨拶に応じるシュエットであったが……その表情は硬い。

 親しみとは正反対の顔は、実の兄に向けるものとは程遠いものに見える。


「お兄様が私を王宮から追い出して、聖堂に押し込めてもう三年になりますから。面会を願い出てもいっこうに応じてくれず、とてもヤキモキしていましたわ」


「仕方がないだろう。政治的な理由だ」


 その男……レオバードはクツクツと喉を鳴らして、答える。


「知っての通り……父が病になって、いつ身罷られてもおかしくない状態となっている。臣下の中には、次期国王が誰になるか気になっている者も少なくはないだろう。順当に考えれば王太子である僕が王になるのが正解だが……君を国王として、自分の息子を王配として押し込みたがっている野心家も少なくはない。シュエットが王位継承から降りたことを世に示すため、神殿に入ってもらうことは仕方がないことだ」


「それは……わかります。ですが、三年間も王宮への立ち入りを許さなかった理由は何でしょうか?」


「聖職者として神殿に入ったんだ。修行も十分に終えていないのに実家に戻って来ていたら、他の修道士に示しがつかないだろう? せめて、一通りの神聖魔法を修めてからでないとね」


「…………」


 レオバードの言葉は筋が通っていないこともない。

 しかし、全体的に相手を小馬鹿にするような態度であり、まともに取り合うつもりがないのは初対面のリオンにも良くわかった。

 この人物が、アルフィラやフェリエラの言う『優しい王太子』なのだろうか?


「…………」


 リオンは隣のアルフィラの顔を窺う。

 アルフィラは愕然とした様子をしており、唇を小刻みに震わせている。

 明らかに驚いたような表情である。その反応が、今のレオバードの状態が普通でないことを物語っていた。


「……お兄様、いつまで椅子に座っておられるつもりですか?」


 シュエットが兄を睨みつけながら、後ろのアルフィラを手で示す。


「私だけならばまだしも、今日はアルフィラ様も来られているのです。座ったまま挨拶をしないだなんて、無礼ではありませんか!」


「ああ……それは失礼。気がつかなかったよ」


 指摘されて、渋々といったふうにレオバードが立ち上がる。


「久しぶりだね。アルフィラ・スノーウィンド嬢。お会いすることができて嬉しいよ」


「……私も、です。お久しぶりでございます、殿下」


 アルフィラがどうにか挨拶の言葉を搾りだすと、レオバードは引くそうに口端を吊り上げた。


「妹さんが病で臥せっていることは聞いているよ。是非、彼女にも側妃として後宮に入ってもらいたかったんだが……残念だよ」


「…………!」


 アルフィラが息を呑んだ。

 妹……サフィナ・スノーウィンドが呪いにかけられて寝たきりとなっていることは、ごく一部の人間しか知らないことである。

 それをレオバードが知っているということが、もはや無関係ではないことを示していた。


「もしもスノーウィンド公爵家が持て余しているようなら、王宮で引き取っても構わないよ。僕は以前から呪術の勉強をしているし、あるいは呪いを解いてあげることもできるかもしれないからね」


「レオバード、殿下……まさか、貴方が本当に……!」


「おや? まさか僕が妹さんに何かしたというのかな? それは下衆の勘繰りというものだ。証拠も無しに滅多なことを言わないでもらいたいね」


 レオバードが両手を広げて、ケラケラとおどけた様子でわらう。


「僕はね……とっても寂しがり屋なんだ。だから、一人の令嬢と結婚するだけじゃ満足できない。だから、後宮を作って大勢の妃を娶るつもりなんだよ」


「お兄、様……?」


「まだ五十人ほどしか了承は得られていないけど、いずれは百人以上のうら若き女性達がそこに集められて、共同生活を送ることになるだろうね。ああ、楽しみだよ……大勢の女性が僕の寵愛を巡って争い、呪い合うのが。きっと素晴らしい『蟲毒』が出来上がるはずだ……!」


 嘲笑うように、自分に酔っているように、王太子は奇怪な野望を語っている。

 その様は正気を無くした狂人のそれのよう。まともでないことは初対面のリオンにもわかった。


「これはもう、確定じゃないか……」


 リオンがつぶやく。

 相手が王太子であることなど、関係ない。

 目の前にいる男が多くの女性を傷つけた敵であると、確信していた。


「コイツはどう考えても頭がおかしいよ。ここでどうにかしないと、もっと悪いことが起こるに違いない……!」


「んん? そこの君は護衛じゃないのか? 王太子である僕に随分な口を……」


 レオバードがリオンの無礼を咎めようとして……言葉を止める。

 そこで初めて、リオンの存在を認識したのだろう。

 リオンを見つめるその瞳……何故か見開かれたそれから、狂気の色が抜け落ちていく。


「…………リオン」


「え?」


「リオン・ローレル……だって? 嘘だろう?」


 レオバードが……王太子であるその男が、リオンの名前を呼んだ。

 ハッキリと、百年前の人間であるリオンの存在を認識していた。


「そんな、まさか……君は邪神との戦いで死んだはずじゃ……!」


「お兄様?」


「王太子殿下……?」


 シュエットとアルフィラが怪訝にレオバードに声をかけるが、すでに二人の言葉は耳に入っていない様子だった。

 レオバードの目はリオンだけを見つめている。

 限界まで見開かれた瞳。その虹彩の奥に……リオンは見覚えのある『印』を見つけた。


「呪印、だって……?」


 それは呪いの刻印。

 しかも、見覚えのある形である。

 フェリエラやサフィナの身体にあったものとは、微妙に異なっている。


「まさか……」


 しかし、リオンには見覚えがあった。

 それと同じ呪印を身体に刻んでいた人物を、一人だけ知っていた。


「誰だ……お前は……?」


「君に問われたのであれば、偽りなく答えるしかないな!」


 レオバードが興奮した様子で叫び、歓喜の笑みを浮かべた。

 先ほどまでの嘲りやおどけが消える。

 親しい知人に挨拶するかのように、胸に片手を当てて丁寧に頭を下げた。


「僕の名前はリズベッド・ランクォード! 百年前、大戦の時代に『呪いの女王』と呼ばれた女だ!」


「…………!」


「久しぶりだね……我が友よ。また会うことができて嬉しいよ、リオン君……!」


 感極まった様子で、レオバードはその名を告げた。

 かつて、共に邪神と戦った戦友の名前を。

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