第5話 舎弟の事情

「フウ……やっぱり、本職の人間は違うな」


 朝になって、リオンは娼館を後にした。

 視線の先にはダイヤモンドのように輝く太陽。今まさに山の向こうから昇ってきたばかりである。


 昨晩、リオンはフェリエラを抱いた。

 呪印で顔の上半分を覆われてはいたものの、やはり彼女はプロである。

 最初こそ困惑しているフェリエラに優位に立っていたものの、後半は責められっぱなしだった。

 最終的に体力の差で逆転することができたが……勝ち負けを付けるのであれば、フェリエラの判定勝ちといえるだろう。


「あ、兄貴! お疲れ様っす!」


「ム……」


 娼館から出て大通りに戻ろうとするリオンにジェイルが頭を下げてきた。

 いつからそこにいるのかは知らないが、待ち伏せをしていたようである。


「……出待ちとは熱心じゃないか。まさか、昨晩からここにいたのか?」


「まさか……一時間前に来たばっかりっすよ。この時間帯に出てきたってことは、姉ちゃんと一夜を過ごしたんすね?」


「……色々と隠し事をしていたようだな。舎弟とか言って、俺を利用してたな?」


 睨みつけると、ジェイルが「へへへ……」と誤魔化すように笑いながら頬を掻いた。


「勘弁して欲しいっすよ。黙ってたのは申し訳なかったすけど、兄貴を慕ってるのはマジなんすから」


「…………」


「昨日、喫茶店で絡まれてる女の子を助けてるのを見て、俺っちは思ったんすよ。この人だったら、きっと姉ちゃんのことを助けてくれるって」


「……歩きながら話そうか。事情を説明してくれるんだろ?」


 リオンは路地裏を歩きながら、ジェイルに話を促した。


「今はこんな感じだから信じられねえかもしれねっすけど……俺っちと姉ちゃん、実は貴族の出身なんすよ」


「貴族……?」


 リオンは目を瞬かせた。

 この軽薄な男が上流階級の出身とはとても思えない。


「もう五年も前っすからね。平民としての生き方にも慣れるっすよ」


「へえ……」


「親父は王宮に仕えていて、姉ちゃんも王族に仕えるメイドをしていたんすよ。だけど……親父が権力争いに巻き込まれて、爵位を奪われちまったんす。ウチは多額の借金を背負わされた挙句に、平民落ちになったんすよ」


「それは悲惨だな……」


「親父はあらぬ罪を被せられて島流し。おふくろはショックで寝込んじまってる。姉ちゃんはメイドをクビになって、借金を返すために娼婦として身売りして……いったい、俺達家族が何したって言うんだよ!」


 ジェイルが感情をあらわにして路地の壁を殴る。

 近くの民家の屋根に停まっていたカラスが、驚いて空に飛び立った。


「この時代にも政治とかの争いがあるんだな……本当に、変わらない」


 リオンは苦々しく顔を歪めた。

 やはり、この時代にも権力者同士の争いがあるようだ。


(救いようがないな……人間は時々、驚くほどに愚かになる)


 邪神によって追い詰められ、人類が一丸にならなければいけない時でさえ、他人を蹴落として利権を握ろうとする権力者がいた。

 足を引っ張る愚かな人間のせいで無駄な時間や労力を払ってしまい、救える命を救えなかったこともある。


「娼婦になった事情はわかったけど……顔の呪いはどうしたんだ? あの呪印は生まれつきのものじゃないよな?」


「あの変わった痕は半年くらい前に浮かび上がってきたらしいっす。原因はわからねっすけど、医者の話だと誰かに呪いをかけられたって……」


「呪いね……専門外だけど、素人にはできないだろうな」


 呪術は特殊な魔法だ。

 単純な攻撃魔法や治癒魔法よりも遥かに難解で、使用するには長い研鑽が必要となる。


(つまり……それだけ優れた呪術師がわざわざ彼女を呪ったということになる。いったい、誰がそんなことを?)


 王宮にいた頃の因縁でもあったのだろうか?

 他人であるリオンには、皆目見当もつかないことである。


「事情はわかったが……ジェイル、お前は俺にどうして欲しいんだ?」


「……姉ちゃんのことを助けて欲しいっす。身受けしてくれねっすか?」


 ジェイルが脚を止める。

 苦渋に満ちた表情で、血を吐くように言う。


「姉ちゃんはまだ多額の借金が残ってるっすけど……顔の呪いのせいで客がつかなくなっちまって、このままだと処分されることになりそうなんすよ。魔法を研究している連中が実験材料として買おうとしてるって」


「実験材料って……そんなことが許されるのか?」


「借金負って身売りした時点で人権なんてあってないようなもんすから。どんな非人道的なことをされたとしても、官憲は動いてくれねっすよ」


「…………」


「改めて、兄貴にお願いするっす! 姉ちゃんのことを身請けしてください。あの場所から救い出してください!」


 ジェイルがその場に土下座をして、額を地面に擦りつける。


「呪いをかけられた娼婦なんて、どんな好き者だって買ってはくれない……兄貴だけが頼りなんすよ! 姉ちゃんだったら子供も産んでくれるし、良い母親になれるはずっす! 頼みます……お願いしますっ!」


「……困るなあ、本当に」


 リオンは頭痛を堪えるように指先で眉間を押さえた。


 リオンは勇者ではあるが聖者ではない。

 目に映る全ての人間を救済することなどできないし、するつもりもなかった。

 ましてや、今は女神から与えられた使命を果たすための旅の道中。

 一時の情に流されて、見知らぬ他人のためだけに動くつもりはない。


(だけど……)


「……約束はできないが善処しよう」


 それでも、リオンは頷いていた。

 見知らぬ他人のために動くつもりはなかったが……すでにフェリエラは他人ではない。

 客と娼婦という関係ではあるが一夜を共にした女性であり、いずれリオンの子供を産んでくれるかもしれない相手なのだ。

 次代の勇者の母になるかもしれない女性である。それ相応の便宜は図ってやろうではないか。


「あくまでも善処するというだけだ。期待はするなよ」


「それでこそ兄貴だ……やっぱり、アンタを選んで良かったっす……!」


 ジェイルは感極まって瞳に涙を浮かべ、リオンの脚に縋りつく。


「兄貴のためならば火の中水の中、魔物の群れにだって飛び込んで見せるっすよ! 一生ついていくっす!」


「……程々にしてくれると助かるよ」


 脚を掴んでくるジェイルの手を引き剥がしながら、リオンは困ったように苦笑するのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る