第3話 初めての娼館
リオンの返答を聞いて、ジェイルがパチリと指を鳴らす。
「マジすか!? やったあっ!」
「どうして、君が喜ぶんだよ。もしかして……そういう店の呼び込みだったりするのかい?」
「いやいやいや、違いますよ。俺っちは娼館とは無関係です! ただ……兄貴にはどうしても買ってもらいたい女がいましてね!」
「それはいいけど……俺はあまりお金を持ってないぞ?」
リオンはほとんど金銭を持っていない。
魔窟で倒したオークの素材は孤児院に置いてきてしまった。
ここに来る途中で出くわした魔物の素材を行商人に引き取ってもらったりはしたのだが、雀の涙ほどの金額である。
この都に入るための通行税と今晩の宿代を支払ったら、ほとんど残らないだろう。
「あ、そうなんすか? なんか意外っす。てっきりお金持ちだと思ってたのに」
「どうして、そう思うんだ? 別に身なりが良いわけでもないだろ?」
「いや……あの乱暴者の冒険者二人を叩きのめすほどの腕前っすから、てっきり名のある冒険者か傭兵だとばかり思ってたんすよ。兄貴ほどの強さだったら、ギルドに行けば稼ぎたい放題でしょ」
ギルドというのは『冒険者ギルド』、あるいは『傭兵ギルド』のことである。
冒険者ギルドは魔物退治、傭兵ギルドは用心棒や戦争のための兵士の仕事を斡旋しており、どちらも腕自慢の荒くれ者が集う場所だった。
「まあ、近いうちに資金調達のために登録しようとは思ってるけどね。今のところはフリーだよ」
「つまり無職っすか。俺っちと同じっすね!」
「…………」
無職といわれると、無性に腹が立つ。
リオンは抗議の意思を込めて、目の前の男を睨みつける。
「あ、いやいやいやっ! すんません、失言でした!」
ジェイルが慌てて両手を合わせ、謝罪する。
「マジですんません! お詫びに今晩の宿……つまり、女を買う金は俺っちが出させてもらいます! 是非とも楽しんできてください!」
「おいおい……そこまでしてもらう理由がないぞ? どうして、そんなに俺に女を買わせたがるんだ?」
娼館を紹介するばかりでなく、代金まで支払うとなればサービスが良過ぎである。
ここまでくると気持ちが悪い。何か裏があるのではないかと疑ってしまう。
「いや、まあ……それはちょっと事情がありまして……」
ジェイルが言いづらそうに言葉を濁す。
怪しい。怪しいのだが、ジェイルが悪人のようにも見えなかった。
あくまでも直感ではあるのだが、少なくとも悪意をもって企みを巡らせているわけではない気がする。
(まあ、いいか……もしも罠だったら叩き潰せばいい)
リオンは勇者であり、激動の大戦時代を乗り越えた歴戦の強者である。
ジェイルが罠に嵌めようとしても、どうとでもできる自信はあった。
「わかった。それじゃあ、その娼館とやらに案内してくれ。代金を払ってくれるのなら渡りに船だ」
「やったあ! そうこなくっちゃ!」
ジェイルが嬉々として町を先導する。
いつの間にか、日が傾いて夕暮れになっていた。
じきに夜になることだろう。夜の店に入るにはちょうど良い時間帯である。
「こっち、こっちに店があるっすよ!」
ジェイルがリオンを先導して夕暮れの町を歩いていく。
どんどん大通りから外れていき、人気のない区画へと入っていった。
「…………」
太陽が徐々に沈んでいき、辺りが暗くなっていく。
すでに時刻は夜になっている。
どんどん人の姿が無くなっていく街並みを見て、リオンは本当に嵌められたのかもしれないと思い始めた。
「ここっすよ。着いたっす」
ちょうどそのタイミングで、ジェイルが進行方向上の建物を指差す。
宵闇の中、ぼんやりと赤い光が浮かんでいる建物が現れる。
明かりを灯すマジックアイテムを門扉に掲げているのは、一目には宿屋のように見える建物だった。
「ここが例の店っすよ。良さそうな店でしょう?」
「……どうかな」
見た目には小綺麗な宿屋である。
夜の店に来るのは初めてのことなので、良い店かどうかなどまるでわからない。
「受付にこの金を渡して、『フェリエラ』という名前の女性を指名して欲しいっす。いいっすか? 『フェリエラ』っすよ、他の女を頼んだら怒るっすよ!」
「……別に構わないが。随分と拘るんだな」
そのフェリエラという女とどういう関係なのか。
おそらく、今それを聞いたとしても答えることはないだろう。
「俺っちの名前は出さないで欲しいっす! それじゃあ、頑張ってくださいっ!」
ジェイルがリオンの手に金の入った麻袋を押しつけて、パタパタと去っていく。
店の前に残されるリオンはしばし途方に暮れたように立ちすくんでいたが、やがて諦めたように首を振る。
「…………入るか」
子供でもあるまいし、今さら怯えて逃げるわけにはいかない。
リオンは覚悟を決めて娼館の扉を開いた。
「ッ……!」
店に足を踏み入れた途端、独特の香りがリオンを包み込む。
花を煮詰めた香油の匂い。女性が肌に塗ったり、服にかけたりする化粧品のことだ。
邪神との戦いに明け暮れた末、命を落としたリオンには生涯無縁であった匂いである。
「いらっしゃい、初めての人だね」
受付カウンターに座っていた中年男性が声をかけてきた。
「金は先払いだよ。指名する女性はいるかい?」
男がタバコの煙をくゆらせながら、面倒臭そうに言ってくる。
リオンはジェイルから渡された金の袋をカウンターに置いた。
「あー……『フェリエラ』という女性はいるだろうか?」
「あん……?」
男がピクリと片眉を跳ねさせた。
リオンのことをジロジロと怪訝な目で見やる。
「……アンタ、ジェイルの紹介か?」
「…………いや、違うが?」
ジェイルは自分の名前を出すなといっていたので、一応はシラを切っておく。
男は疑うような目をしていたものの、やがて肩をすくめてタバコを灰皿に押しつけた。
「ま……金を払ってくれたら何でもいい。誰の紹介だろうと、誰を指名しようと。客の素性は詮索しないのがこの店のマナーだ」
男が壁に掛けられていたキーを取って、リオンに差し出してくる。
「二階の奥の部屋だ。フェリエラは後から行くから、そこで待っていな」
「……わかった」
リオンは無駄なことを口にすることなく、カウンターに置かれている鍵を手に取る。
カウンターから少し離れていた場所にある階段を上っていき、キーに彫られているのと同じ番号が付けられている部屋に入った。
「ム……」
部屋の中には大きなベッドが置かれていた。
一人で使うには大きすぎるベッドだ。
こういった店に来るのが初めてのリオンにもわかる。男女がそういう行為をするためのベッドである。
「…………」
今になって緊張してきた。
リオンはベッドに座り、渋面になる。
壁に掛けられた時計の音がやけに大きく聞こえた。時間が経つのが遅い気がする。
(落ち着けよ……本当に、子供じゃないんだから……)
今のリオンは戦うことしか知らない童貞の勇者ではない。二人の女性を一晩で抱いた経験者なのだ。
戦場に立ったことのない新兵と、たった一度でも本当の殺し合いを経験した兵士は天と地ほどにも覚悟に差がある。
(今の俺は経験者だ。恐れるな。覚悟を決めろ……!)
「お客様、入ってもよろしいでしょうか?」
「…………!」
扉がノックされて、くぐもった女性の声が聞こえてくる。
(来た……!)
「ああ、入ってくれ」
リオンは努めて緊張が声に乗らないように、入室を促した。
「失礼いたします……」
扉がゆっくりと開いて、細い影が現れた。
赤いドレスを着た女性である。
身体つきは痩せており、開いた胸元は矢や女性らしさに乏しい。
しかし、深いスリットから覗いている長い脚は白く、とても魅力的に見える。
「は……?」
しかし、リオンはすぐに女性の脚から視線を逸らすことになった。
扇情的に伸びた長い脚よりも、ずっと目を引き付けるものがあったのだ。
「……仮面?」
その女性は顔の上半分を白い仮面で隠しており、口元しか見えなかったのである。
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