第2話 勇者、フラれる

 勇者リオン・ローラン。

 かつて仲間と一緒に邪神を討伐して世界を救った英雄であったが、複雑な事情があって、一年間限定で女神から生き返らせられてしまった。

 生まれ故郷に百年ぶりの帰郷を果たし、新しい出会いを遂げたリオンであったが……村を出て、セントラル王国西部最大の都市である『スノーレスト』へとやってきていた。


(フラれた……失敗した……)


 大通りをトボトボと歩きながら、リオンは力なく肩を落とす。

 たまたま立ち寄った喫茶店で悪党に襲われていた村娘を助けたのだが……御礼をしたいという町娘に子作りをお願いしたところ、見事に玉砕してしまった。

 思いきり引っぱたかれた頬は赤くなっており、ヒリヒリと鈍い痛みが頭に伝わってくる。

 頬の痛み以上に、同年代の女性から「変態」呼ばわりされたことがリオンの精神を苛んでいた。


(いったい、何が悪かったんだ? 二人の時はこれで抱かせてくれたんだけど……)


『二人』というのは、先日、故郷で出会った少女――メイナとアルティのことである。

 先日、百年ぶりに生まれ故郷に帰ってきたリオンは、幼馴染によく似た二人の女性に出会った。


 魔物に襲われていた彼女達を救い、病に侵されていた修道院の院長を救った結果、二人と身体を重ねることになったのだ。

 勇者の血を引く子供を作るという使命の第一歩を果たしたわけだが……今度は失敗してしまったようである。


(本当に何が違うんだ? 危ないところを助けてあげたという点では二人の時と同じだったはずだけど……?)


 リオンはタダでもらったアップルパイを齧りながら首をひねる。


 かつて勇者として邪神を撃ち滅ぼしたリオンであったが……残念なことに、救世の英雄であるこの男にも弱点がある。

 最大の弱点こそが恋愛経験が皆無であること。女性の気持ちが全く分からないということである。


 リオンは人生の大部分を邪神討伐、世界救済に費やしており、異性と恋愛をした経験が全くない。

 生まれ故郷の村に住んでいた頃には親しい幼馴染もいたが……惚れた腫れたの関係になるよりも先に、勇者として見出されて村を旅立っている。


『相手を助けたら抱かせてくれる』……これは現在のリオンにとって、唯一の成功体験。

 ついつい、同じ方法に縋ってしまうのも仕方がないことである。


(助けただけじゃダメなのか? 敵が魔物ではなく、人間だったことに問題があるとか? いや、もしかすると恋人とか婚約者がいるのかもしれないな。それだったら、口説いて殴られるのもわからなくもないけど……?)


 そういう問題ではなかったのだが……それに気づくことができる恋愛経験もなければ、女心について指導をしてくれる師匠もいない。

 リオンが自分を納得させてアップルパイの最後の一欠片を口に放り込むと……後ろから声をかけられた。


「兄貴、兄貴! ちょっと待ってくださいよ!」


「は……?」


『兄』という言葉に眉をひそめながら振り返ると、そこには軽薄そうな赤毛の男がいた。


「もー、さっきから呼んでるんだから止まってくださいよ! 兄貴ってば、意地が悪いんだからー」


「兄貴って……俺のことを言っているのかい?」


 リオンは不思議そうに首を傾げた。

 リオンに兄弟はいないはずだし、いたとしてもここはリオンが死んでから百年後の世界である。

 兄弟が生きているはずがなかった。


「俺に弟はいなかったはずだけど……誰かと間違えてないかな?」


「いやいや! 兄貴で間違いないっすよ!」


 軽薄そうな男が拳を突き出した。


「さっきのパンチ、スゲエ格好良かったっす! あの悪漢共は名のある冒険者だったはずなのに、一撃でのしちゃうなんて最高っすよ! 兄貴のケンカ魂にマジ惚れました! 俺っちを舎弟にしてください!」


「舎弟って……おいおい、勘弁してくれよ」


 リオンは苦笑しながら、左右に手を振った。


「俺は弟分の面倒をみられるような立派な人物じゃないよ。いまだ人生の路頭に迷って、自分がこれからどうしたら良いのかもわからない未熟者さ。兄が欲しいのなら他をあたってくれ」


「そんなあ! 頼みますよ、兄貴!」


 軽くあしらい、その場を立ち去ろうとするリオンであったが……赤毛の男が追いすがる。


「俺っちの名前、ジェイルって言います! 絶対に兄貴の役に立ちますから舎弟にしてくださいって!」


「ダメだって、付いてくるなよ」


「ちょ……そうだ! 女! 兄貴ってば女が抱きたいんでしょ!?」


「ム……?」


 ジェイルと名乗った男の言葉に、リオンは振り返ることなく足を止めた。


「さっき、あの店の看板娘を口説いてたのを見てましたよ! 『俺の子供を産んでくれって』……ストレート過ぎる口説き文句、マジ尊敬っす!」


「フラれた男を弄るなよ……怒るぞ?」


「あ、いやいやいやっ! 馬鹿にしてるわけじゃねっすよ! 誤解っす!」


 リオンが半眼で睨みつけると、ジェイルが慌てて頭を下げる。


「ただ……兄貴ってば、この町に来たばっかりっすよね!? だったら、俺が良いところに案内できるなって思いまして!」


「……どうして、俺がここに来たばかりだとわかるんだ?」


「わかりますよお。俺っちはこの町に住んで長いっすから、兄貴みたいな強い人がいて耳に入らないわけがないっす!」


 ジェイルが自信満々に胸を叩いた。


「俺っちはこう見えても顔が広いっすから。女を抱ける店にも伝手があるし、紹介できますよ?」


「…………いらない」


 リオンは首を振った。

 おそらく、ジェイルが紹介しようとしているのは、この都にある風俗店だろう。


 リオンは別に女性が抱きたいわけではない。

 勇者の血を引く子供を産んでもらいたいというのが目的であって、女性を抱くのはあくまでも手段でしかなかった。


「さっきの口説き文句を聞いていたんだろう? 俺は子供を産んでくれる女性を探しているんだ。娼館に行きたいわけじゃないよ」


「子供を産んで……事情は知らねっすけど、兄貴のことだからさぞや壮大な事情があるんすよね」


「…………まあ、な」


「だったら、なおさら娼館にいったら良いんじゃねっすか? 娼婦を見受けして、その見返りに子供を産んでもらえばいいんすよ」


「身受け?」


 リオンが不思議そうに目を瞬かせた。


 風俗事情に詳しくないリオンは知らなかったが……娼婦の多くは借金などがあり、店に縛られて男に春を売ることを強制されている。

 借金を返し終えるまでは自由がなく、自分の意思では出歩くことすらままならないのだ。

『身受け』というのは娼婦の借金を肩代わりして、彼女達の身柄を引き取ることである。

 主に気に入った娼婦を妻にしたり、介護などの仕事を任せたりすることが目的で行われていた。


「娼婦の中には好きでその仕事をやっている人もいますけど……大半は嫌々ですからね。借金の肩代わりと引き換えだったら、子供を産むことを快諾する人もいるはずっすよ」


「なるほど……」


 理屈はわからなくもない。

 正直、手詰まりを感じている現状を打破するため、検討する価値はあるだろう。


(問題は……女性を金で買うという行為に俺の心が耐えられるかだな)


 ジェイルに気がつかれないよう、リオンはそっと溜息をつく。


 リオンは娼婦に対して偏見は持っていない。

 一部の男が……あるいは女がそうであるように、身体を売っている女性を汚れたものだなんて考えてはいなかった。

 だからといって、自分が女性を買うことができるかと聞かれたら首を横に振るだろう。


(女性を……人間をモノのように扱うだなんて、許されることじゃない。金で売り買いして良いわけがない)


 綺麗事だということはわかっていた。

 しかし、リオンは貧しい田舎の生まれである。

 日照りや蝗害などが原因で十分な作物が取れなかった際に、口減らしのため村の女性が売られていく場面を見たことがあった。

 奴隷や人間の売買という行為に強い嫌悪感を抱いたのである。


(とはいえ……甘ったれたことを言っていられる状況でもないか)


 リオンは百人の子供を作らなければいけない。

 そうしなければ、復活した魔王によって世界が滅ぼされてしまうのだ。

 一度は命を落としたリオンが地上に留まることができる期限は一年間。すでに五日が経過している。


(すでに未婚の女性を二人も抱いてしまっている。いい加減に自分がもう綺麗な身体じゃないことを自覚して、清濁を併せて吞んでいこう)


「娼館……行ってみようかな」


 リオンは悩みながらも、溜息混じりにそう決意したのである。

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