第2章 冒険者編

第1話 看板娘の危機

 大陸中央にあるセントラル王国。

 かつて北方に現れた邪神を食い止め、世界を救済した勇者が生まれた国としても知られている大国である。

 温暖な気候に恵まれたこの国は豊かな穀倉地帯を持ち、鉱山資源にも恵まれている。

 周辺諸国に睨みを利かせる強国としての立場を揺るぎないものとしており、まさしく『太陽の沈まぬ国』として君臨していた。


 そんなセントラル王国の中央には国王のお膝元である王都が存在するが、東西南北の四方にもそれぞれ王都に次いだ規模の大都市がある。

 国王を支える四本の柱……四人の公爵が収めているそれらの都市の一つ、王国北部の物流の中心が公都『スノーレスト』。

 スノーウィンド公爵家が収める都であり、王国北部の各地から人や物が集まる心臓部である。


「いらっしゃいませー。お茶とお菓子は如何ですかー?」


 そんなスノーレストの都の大通りに一軒の喫茶店があった。

 喫茶店の入口では、若い女性の店員が大声で呼び込みをしている。

 ブラウンの長い髪をポニーテールにまとめた活発そうな雰囲気の少女だった。


 彼女の名前はエイリー。

 喫茶店『ピンク・クロッカス』の看板娘であり、多くの男性客から人気を集める美少女店員である。

 健康的に日焼けした肌は化粧などしておらず、アクセサリーの類も身に付けてはいない。

 しかし、そんな垢抜けない雰囲気こそが良いというファンがたくさんいて、足繁あししげく店に通ってきていた。


「アップルパイが人気ですよー、食べていってくださーい!」


 エイリーの声に道をゆく男達が振り返り、その何割かが喫茶店に入っていく。

 今日も元気な声で売り上げに貢献するエイリーであったが……その黄色い声が誘蛾灯となり、余計なものまで引き付けてしまった。


「おいおい、可愛い姉ちゃんがいるじゃねえか!」


「ヒヒッ、堪んねえなあ! こんな嬢ちゃんが酌をしてくれるとか最高じゃねえか!」


 下品に笑いながら入店してきたのは、山賊のような格好の二人組である。

 垢と泥で身体を真っ黒にしており、ヒゲは伸び放題。獣の皮を纏っていて、血のような鉄サビの匂いを纏っていた。

 背中にはバトルアックスを背負っており、カタギの人間ではなく冒険者か傭兵……あるいは、本当に山賊の可能性もある。


「えっと……い、いらっしゃいませ?」


 エイリーが顔を引きつらせながらも、精いっぱいの営業スマイルを浮かべて接客をする。


「申し訳ありませんが、当店はお茶とお菓子の店になります。お酒は置いていないのでお酌はできないんですけど……」


「ああ? なんだとおっ!」


「酒も置いてねえのかよ、シケた店だぜ!」


「キャッ!」


 男達が忌々しそうに言って、店内にあった椅子を蹴飛ばした。木製の椅子が壁に当たってグシャリと潰れる。


「ちょ……困りますよ、何してるんですか!」


 騒ぎを聞きつけ、厨房から中年の男性店員が出てきた。


「お、お父さん……」


「ウチの店で暴れないでください! 衛兵を呼びますよ!?」


 店主の男性……父親の登場にエイリーが安堵の表情を浮かべる。

 しかし、直後その顔が引きつることになった。


五月蠅うるせえ! 口出ししてんじゃねえ!」


「ゲフッ……!」


「キャアッ!? お父さん!?」


 男の一方が店主を殴り飛ばす。

 店主の身体が先ほどの椅子のように撥ね飛ばされ、テーブルを巻き込んで昏倒する。

 父親が殴られたのを見て、顔を青くしたエイリーが慌てて駆け寄ろうとした。しかし、もう一方の男に腕を取られて掴まってしまう。


「おっと……お前はこっちだ! さっさと来やがれ!」


「ヒッ……離してください。お父さんが……!」


「ヒャヒャッ! 離すわけねえだろうが! 若い女は良い匂いがするなあ!」


「最近はスレた娼婦ばかり抱いてたからなあ! たまにはガキを可愛がってやるのも悪くねえぜ!」


 男達が奥のテーブル席にどっかりと座り、エイリーを抱き寄せて強引に抱き寄せた。

 ブラウスのボタンを引きちぎって胸を露出させ、短めのスカートを無理やりにまくり上げる。


「嫌! やめてください!」


「ヒャヒャッ! 良い乳だ!」


「太腿も美味そうだなあ! ヨダレが出るぜ!」


「ヤダアッ! 誰か……誰か、助けてください!」


 ニタニタと笑う男に身体をまさぐられ、エイリーが泣きながら助けを呼ぶ。

 しかし……店内にいた客は気まずそうに顔を背け、騒ぎを聞きつけて店をのぞき込んだ者達も慌てて去っていく。


 エイリーは知らなかったが、男達は最近になって町に流れてきた冒険者だった。

 外見は完全に盗賊のそれであったが腕は確かであり、先日もロックリザードという強力な魔物を狩ったことで名を上げていた。

 粗暴で恐いもの知らずの冒険者に一般人である人々が太刀打ちできるわけもなく、凌辱を受けるエイリーから目を逸らして逃げていく。


「どうしてよお、何で誰も助けてくれないの……」


 半裸に剥かれて、エイリーはポロポロと涙をこぼす。

 普段は冗談交じりにエイリーのことを口説いている常連客でさえ、二人組の冒険者を恐れて見て見ぬふりをしていた。

 信頼していた町の人々の薄情ぶりに、人間不信に陥ってしまいそうだ。


「おいおい……嫌がってるじゃないか。それくらいにしておけよ」


 しかし、そんなエイリーに救いの手が差し伸べられた。

 現れた救い主は顔見知りの町の人間ではなく、衛兵でもなかった。初めて店を訪れた見知らぬ青年である。


「ああ? 誰だあ、テメエは」


 エイリーの身体に手を這わしていた男が不愉快そうに眉を跳ねさせた。

 そんな男に、現れた青年が穏やかな笑みを浮かべて話しかける。


「ここは甘味を楽しむ店なんだろう? せっかくのお菓子が不味くなるようなことはやめてくれないか?」


「おいおい……女の前で格好つけているのか? 死にてえみたいだなあ」


 二人組の男達が目配せを交わし、エイリーを解放して立ち上がった。

 おもむろに青年に近づいて拳を振り上げる。


「ヒッ……!」


 次の瞬間には青年が殴られ、店主と同じように吹き飛ばされるだろう。

 そんな未来を思い浮かべてしまい、エイリーが両手で顔を覆って目を閉じる。


「まったく……こういう連中はいつの時代にもいるんだな」


「ガハアッ!?」


「グフウッ!?」


 しかし、予想外なことにエイリーの耳に届いたのは野太い悲鳴とうめき声である。

 エイリーが恐る恐る目を開くと……二人組の冒険者が床にうずくまっていた。


「ヂク、ショウ……俺達が……こんな……」


「タダで済むと、思ってんのか……ぶっ殺して……ぐううううう」


「偉そうなことを言うのなら、まずは二本足で立ってくれないか? 倒れてうめいている奴に追撃するのは気が引けるんだけど?」


 言いながら、青年が右手の拳を握りしめている。

 どうやら、彼が二人の冒険者を殴り倒したようだ。床で悶絶している二人組の首根っこを掴んでズルズルと店の外に放り出す。


「えっと……大丈夫かな? 見たところ、怪我はないと思うんだけど……」


「あ……」


 青年が気遣うような口調でエイリーの身体に上着を被せる。

 エイリーはしばし呆けたように青年の顔を見つめていたが……やがて「カアッ」と顔を真っ赤にした。


「あ、あの……ありがとうございます! おかげさまで助かりました!」


「別に構わないよ。当然のことをしただけだ」


 青年がエイリーに笑いかけてきた。

 まるで草原を吹き抜ける風のように爽やかな笑みである。エイリーはドキドキと胸が高鳴ってきて、落ち着かない気分になってしまう。


(な、何なの。この気持ち……この人の顔を見ていると胸が痛くなってくる……)


 それはエイリーの胸に生まれた初めての感情だった。

 青年から被せてもらった上着を胸の前で合わせて、モジモジと身体を震わせる。


「その……何か御礼がしたいんですけど、お名前を聞かせてもらえませんか?」


「いや、別に名乗るほどのものじゃないんだけど……俺はただここのアップルパイが美味いって聞いてきただけだし」


「あ、すぐに持ってきますね! 是非とも食べてくださいっ!」


「いや、そっちで店主さんっぽい人が倒れてるし、別に無理はしなくても……」


「お父さんだったら身体が丈夫だから大丈夫ですっ! すぐに叩き起こしてアップルパイを焼かせますから、絶対に食べていってください!!」


「は、はあ? それじゃあ、ごちそうになるけど……」


 有無を言わせず言い募るエイリーに、青年は少しだけたじろぎながら頷いた。


「アップルパイくらいじゃ御礼になりませんよね……できれば、他にも御礼がしたいんですけど……何が良いでしょう?」


「あ……そうか。それじゃあ、一つだけしてもらいたいことがあるんだ。もちろん、君さえ良ければだけど……」


 目元を潤ませるエイリーに、青年は気まずそうな顔で切り出した。


「何でも言ってくださいっ! 私って意外と器用で何だってできるんですよっ!」


 エイリーは胸の前で両手を握りしめた。

 命の恩人、貞操の恩人である男の頼みである。どんなことでもしてあげようと気合を入れた。

 しかし……青年の口から飛び出してきたのは、エイリーが覚悟していたよりもさらに上回るような要求であった。


「それじゃあ……勇者オレの子供を産んでくれないか?」


「へ……?」


 青年の……女神によって復活させられた伝説の勇者であるリオン・ローランの要求を聞き、エイリーはキョトンとした顔になって固まった。

 しばらく思考停止していたエイリーであったが……やがて言葉の内容を理解したのか、火が点いたように顔をさらに赤くする。


「へ、へへへへ……変態っ!」


 エイリーの右手が降り抜かれ、喫茶店『ピンク・クロッカス』の店内に小気味よいスナップ音が響きわたった。

 十数分後、包んでもらったアップルパイを片手に持って、リオンが「何でもするって言ったのに……」と頬をさすりながら店から出てくるのであった。

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