第2話 勇者と邪神

 邪神オクタヴナーヴァ

 その存在が初めて人類の前に現れたのは、遡ること百二十年ほど前のことである。


 大陸の北方にある大国、世界でもっとも強靭な軍隊を有しているはずの大国に邪神は降臨した。

 もちろん、大国の王は突如として現れた邪神を討伐しようとした。精鋭を集めて討伐隊を編成して、邪神を倒すべく送り込んだ。

 結果は惨敗。討伐隊は一人として帰ってくることはなかった。

 精鋭を失った大国は邪神と配下の魔物によって喰い尽くされることになり、一年ほどで滅亡することになったのである。


 世界最大の大国の滅亡に人々は震撼した。

 次は自分達の番かもしれない……そんな恐怖に憑りつかれて、あらゆる国々がそれまでの禍根を絶って同盟を組んだ。

『神聖連合』を名乗る大同盟は邪神に立ち向かい、人類の生存のために戦いを挑むことになった。


 しかし、やはり邪神は強かった。

 二十年のうちに十を超える国々が滅亡に追いやられ、大陸の半分が邪神の手に落ちた。

 人類の運命は風前の灯火。遠からず、この大地から人間は一人残らず死滅することになるだろう。誰もがそんなふうに考えた時……その男は現れた。


 勇者リオン・ローラン。

 女神の加護を得た英雄が地上に降臨して、邪神に挑みかかったのである。



     〇          〇          〇



「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!』


 光り輝く剣を手にした青年と、漆黒の巨人が正面からぶつかり合う。

 白と黒。二つの色彩がぶつかった衝撃によって空気が震え、大地が割れる。


 白き光をまとって戦っている青年こそが勇者リオン。

 この世界でただ一人、邪神に立ち向かうことができる女神の使徒である。


 黒き闇をまとって戦っている巨人こそが邪神オクタヴナーヴァ。

 数多の眷属を率いて、人類を滅ぼそうとしている邪悪と破壊の化身である。


 両者の戦いはまさに神話の戦いである。

 剣を振り、腕を払うたびに激しい衝撃波が巻き起こり、周辺の地形が変わっていく。

 余人の立ち入りを許さない熾烈な戦いを繰り広げる勇者と邪神であったが、彼らの足元には無数の死体が散乱していた。

 勇者と共に戦ってきた兵士や騎士の死体。邪神によって生み出された眷属の魔獣の死体もある。

 人間の兵士達は勇者が無傷で邪神のところにたどり着くことができるように、命を捨てて眷属の魔物に立ち向かった。

 邪神の眷属は主人である邪神を守るため、こちらも命を捨てる覚悟で人間の兵士を迎え撃った。

 その結果、すでに戦場には勇者と邪神以外の誰もいない。

 人類と怪物の生存競争は、両者の戦いによって決定づけられることになったのである。


(アルバート……ミーサ……エトワール……リズベット……サイゾー……)


 光輝の剣を振りかぶりながら、勇者はここまで共に戦ってきた仲間の姿を思い浮かべた。

 気の良い奴らだった。勇敢な奴らだった。

 強くて、優しくて……長生きしてもらいたい、幸せになってもらいたいと心から思えるような仲間達だった。

 しかし、彼らはもう誰もいない。

 眷属の魔物に立ち向かい、リオンを邪神のところに送り出すことと引き換えに命を落としている。


(勝つんだ、絶対に……! みんなの死を無駄にしないためにも……!)


「オオオオオオオオオオオオオオオッ!」


 勇者は涙がこぼれ落ちそうになるのを堪えて、邪神の身体に剣を叩きつける。

 もしも自分が倒れてしまえば、ここにくるまでに落命した仲間達の死が無駄になってしまう。

 彼らだけではない。多くの兵士や騎士、傭兵、冒険者、神官達が邪神討伐のために命を投げ出している。

 彼らの魂を背負って戦っているリオンに敗北は許されない。

 絶対に勝利しなければならない理由がそこにはあった。


『SYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!』


 一方で、邪神もまた奮迅していた。

 漆黒の巨体を持った邪神がドラゴンのようなあぎとから怒声を発して、リオンの身体に拳を叩きこんでくる。

 正直、戦いが始まるまではリオンは邪神を理性も信念もない獣のような存在だと思っていた。

 しかし、こうして必死な形相で戦っている様子を見るに、そうではないのだと感じるようになっている。


(コイツの拳には思いがある。譲れない何かのために戦っている……そんな信念が感じられる……!)


 いったい、邪神オクタヴナーヴァは何のために戦っているのだろう。

 そんな疑問がリオンの頭をよぎるが、すぐに消し去った。


(邪神が何のために戦っていようが関係ない! 負けられないのはこっちも同じだ。絶対に勝つ!)


 勇者も邪神もどちらも傷を負っており、満身創痍に近い状態となっている。

 どちらも長くは保つまい。長く激しい戦いに終着の時がやってきたのだ。


「フー……」


 リオンは脚を止めて呼吸を整える。

 身体に残っていた全ての力を振り絞り、光り輝く剣に込めていく。


「わかっているだろう……これで締めだ」


『…………!』


 言葉はわからずとも、意思は伝わったのだろう。邪神もまた動きを止めて大きく息を吸った。

 どちらも自分達に限界が近いことはわかっている。だからこそ、次で決着をつけるために渾身の力を集めていく。


「征くぞ……!」


『GYAAAAAAAA!』


 両者は同時に動き出した。

 リオンが地面を踏み砕く勢いで蹴って、邪神に向けて飛びかかる。

 同時に邪神が限界まで口を開いて、そこから強烈な破壊光線を吐き出した。

      

 白と黒。光と闇が正面から衝突する。

 目を焼くような閃光があたりを包み込み、大爆発が生じる。

 巻き上がる砂塵と炎のカーテン。吹き抜ける風によって徐々に周囲の景色が明らかになっていく。


「ハア……ハア……」


 戦場となった平原は辺り一面が焼け野原になり、まるで隕石でも墜ちてきたかのようにクレーターが生じている。

 明瞭になっていく風景の中、ボロボロになりながらも立っていたのは勇者リオンである。


「勝ったのか……本当に……?」


 警戒を解くことなく周りを見回すが、邪神は影すらも存在しない。

 あれほどの巨体、あれほど圧倒的な気配が跡形もなく消えるだなんてあり得ない。

 邪神は滅んだ。

 リオンは勝利したのだ。


「やった……みんな、俺達の勝利だ……」


 リオンはつぶやいて、握りしめていた剣を手放した。

 カランコロンと音が鳴って剣が地面を転がり、そこに宿っていた白い光が消え失せる。

 邪神を倒して世界を救ったにも関わらず、リオンの胸を満たしているのは虚空のような喪失感だった。

 生き残ったのは自分だけ。仲間はみんな逝ってしまった。


「そして、俺もここまでか……」


 リオンの身体が傾ぎ、そのまま仰向けになって倒れてしまった。

 リオンは全身に傷を負っており、そのいくつかは内蔵や太い血管に達している。

 勇者だからどうにか動くことができていたが、常人であれば即死していただろう。


(エトワールが生きていたら、きっと治してくれたんだけどな……)


 聖女であるエトワールは治癒魔法の達人であり、死んでさえいなければどんな怪我でも治すことができた。

 しかし、彼女はもういない。邪神と眷属によって負傷させられた兵士を治すために命を削って治癒魔法を使い、力を使い果たしてたおれている。


(エトワールだけじゃない。アルバートや他のみんなも、先に死んでしまった)


 そして……自分も彼らと同じ場所に行くことになるのだろう。

 信じた仲間と同じ大地に還るのだと思うと、不思議と死ぬことも怖くはなかった。

 意識が徐々に薄れてくる。

 血液が乾いた地面に広がっていき、リオンは自分の身体が徐々に冷たくなっていくのを感じていた。


(ああ……寒いな……寒いよ……)


 リオンは凍えるような冷気を感じながら、そっと意識を手放したのであった。

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