第4話 第4章

 虚空にて

  糸の垂れたるほのかなる

   空の合間の傀儡なりけり


「さっきまでどこにいたというのかしら?」

 気が付けば、ナース服を着ていて、病院の中にいた。名札を見ると「浅間」と書かれている。気が付いたというより、眠っていた人が目を覚ましたという感覚なのだが、そのわりには眠っていたという感覚ではない。どこか知らない世界から飛び出したというべきなのか、知らない世界が広がっている。

 遠い記憶で、私は確かにナースをしていた記憶があるので、ナース服に違和感もないが、実際に職務に就いて、やっていけるかどうかは疑問だった。

「浅間くん、ちょっと」

「あ、はい」

 初老のドクターが声を掛けてきた。見覚えはあるのだが、自分にどのようにかかわっていた人なのか、すぐには思い出せそうにもない。

「今度来る患者なんだけど、まったく記憶を失っているようなんだ。まだ意識不明なんだけど、君がそばに付き添っていてあげられるかい? 難しいことがあれば、私がいるから心配しなくてもいいんだ」

「私は何をすればいいんですか? 正直申しまして、私も何が何だか分からないところがあるので、何をしていいのか分からないんです」

 正直に答えるしかなかった。できないことをできるような顔をして、後で取り返しのつかないことになってしまうと、これが一番大変だからである。

「君が今、どんな心境なのかということも私には分かっているつもりだよ。でもそれを今いちいち説明していては時間がいくらあっても足りない。それに時間を使ったわりに、君が納得のいくような求めている答えをこの私が出せるとも思えないからね」

「はい、分かりました。私もどこか記憶の欠如しているところがあると思っていいんですね?」

「そうだね。そう思ってもらっていいと思う。君もここでナース服を着て、今できることだけをしていれば、それでいいんだ。君にとっても、治療の一つだと思ってくれればいいからね」

 ドクターの口調はあくまでも優しかった。安心感を与えられ、それ以上の質問は愚門でもある。

「私がつくことになる患者さんってどんな人なのかしら?」

 私も治療の一環なら、難しいことはできない。そばにいてあげて、話を聞いてあげられるかどうかくらいしか思い浮かばないが、薬や注射の投与など、私にできるのだろうか?

 ただ、ナース服に違和感がないことで、以前はナースをしていたのだという思いが頭をもたげる。いつ、どこで、どれくらいの期間していたのかも思い出せないが懐かしさだけは残っているようだ。

「そういえば、私はいくつくらいなんだろう?」

 年齢も分からなければ、名前も憶えていない。「浅間」というネームプレートがついているが、これが私の苗字なのだろうか? 先生は「浅間くん」と呼んでくれている。私が本当は誰であるのか分からないが、ここでは「浅間」で通すしかないのだろう。

「浅間くんは疲れているようだね。ゆっくりと休めばいい。開いているベッドがあるので、そこで仮眠しなさい」

 さっき意識が戻ったばかりだというのに、疲れているというのはどういうことなのだろう? 浅間というナースはここではずっと眠っていないということなのだろうか? 私のこの身体に他の誰かが入っていて、その人を押しのけるようにして、私の意識がこの身体の中で目を覚ましたということなのだろうか?

「分かりました。少し眠らせていただきます」

 疑問とは裏腹に、口から出てくる言葉はドクターの意見に従順な答えだった。それを聞いたドクターも、満面の笑みを浮かべ、満足そうにしている。恵比須顔のドクターを見ていると私も安心感が生まれてきて、あまり余計なことを考えなくてもいいのではないかと思うようになってきたのである。

 それにしても、この病院はお世辞にも綺麗とは言えない。最近はどこの病院も立て直していて、綺麗な病院が多い、特に個人病院は、昔のような自宅兼病院といった感じのところは少なくなってきているように思う。ただ、ここは個人病院ではなさそうだ。相互湯病院というには寂しいが、他にいまだ誰とも会っていないのが不気味である。

 私の記憶がないことで、ドクターは治療だと言ったが、心療内科の類なのだろうか? すると私もナースというよりも患者としての方が強く、ナースは完全に治療の一環だとすれば、本当に深く考える必要はない。深く考えるだけ、治療が遅れるのかも知れないと思うと、ドクターの優しい表情を思い出すようにした方がいいのかも知れない。

 私はそれから、寝てしまったようだ。気が付けば西日が差し込んでいた。ゆっくり眠ったはずなのに、疲れが取れていないように感じたのは、寝ているベッドの上に、まともに西日が当たっているからだった。

 西日がこれほど疲れを誘うなど、今まで知らなかった。だが、感じていると、最初から分かっていたように思えるから不思議だったが、病院で目が覚めた時の疲れは、他のところで目覚めた時の疲れとは違ったものがある。

 私が寝ていた病室は患者が入っていない開いている個室病棟だった。特別室なのか、部屋の中には大きめの冷蔵庫や、トイレ、シャワーまで完備していた。あまり綺麗とは言えない病院の中でも特別に綺麗にされた部屋は、薬品とは違う匂いが籠っていて、私は嫌いではなかった。

 テレビのスイッチが目の前に置かれていて、私は手に取りスイッチを入れた。コマーシャルをやっていたが、懐かしいコマーシャルが流れていた。

「こんなコマーシャル。まだやってるんだ」

 あまりテレビを見たという記憶が残っていない私は、始まった番組を少し見ていた。子供の頃に見たことのある番組で、再放送されているようだったが、思わず見入ってしまったのは、テレビに見入ったというよりも、その番組を実際に見ていた頃の自分を思い出そうとしていたのかも知れない。

 番組を見ていると、思い出せるような気がするのだが、番組に集中していると、今度はなかなか自分のことを思い出せない。自分のことを思い出そうと番組を漠然として見てしまうと、思い出すものも思い出せない気がしてくるのだった。

 私は一つのことに集中すると、他がまったく意識できなくなってしまう性格のようだ。どちらも中途半端だと、すべてが中途半端に終わってしまうようだし、番組を見ることで昔の自分を思い出すのは難しいようだ。

「そのうちに思い出すのかしら?」

 ドクターの笑顔が、また頭をよぎった。

「余計なことは考えない方がいい」

 と、言っているドクターの表情である。

 私もそう思っている。無理することはないのだ。下手に無理をすれば自分が苦しいだけであるし、せっかくのドクターが考えているはずの治療法を邪魔するような気がしてくるからだった。

 テレビを見ている時間がどれくらいだったのか、三十分番組を丸々見たのだが、見ている時間は長く感じられたが、見終わって思い起こすとあっという間だったような気がする。時間が経つにつれて番組を見たことが遠い過去になっていくようなのだ。

「意識が希薄になっている」

 これが記憶のない原因なのかも知れない。

 覚えようとしてもその傍から忘れていっているのだと思えば、なるほど覚えられないのも当たり前のことだ。

 だが、私は最初からそうだったのだろうか? 覚えられないことで悩んだりした記憶もない。もしかすると、その記憶すらなくなってしまっているのではないだろうか。

 すべてが夢のような気がする。夢だと割り切ってしまえば気も楽になるが、そこまで楽天的にはなれない。逆にすべてが夢であるならば、ここにいる私は何なのだろう。自分が誰なのか、何の目的でここにいるのか、そして、ここにいなければいけないのかということが分からなければ、頭を整理することなど不可能であった。

「浅間さん、ちょっと」

 ドクターから呼ばれた。

「はい、何でしょう?」

「もうすぐ夕食の時間になるので、患者さんの配膳のお手伝いをしてくれないかな? 君にそんなことをさせるのは気が引けるのだが、まずは慣れてもらうことから始めようと思うんだ」

 ドクターは慣れることから始めようと言った。私が先ほどまで、ここの意識がなかったことを知っているというのだろうか? 私の記憶がないことはドクターは知っていても、私の考えていることまで分かるというのはすごいことだ。それだけ偉大なドクターだということなのか、それとも……。

 ドクターに対して疑念が湧いてきてしまったが、それも仕方がないことなのかも知れない。記憶がないだけ、私はその分、さとくなっているようだ。

 目が見えない人は、耳がよく聞こえたり、鼻が効いたりと、五感の他の部分が発達していたりするものだが、私も記憶がない分、他のところがしっかりしているのかも知れない。そのことをドクターが知っているのかは分からないが、完全に信じることはできなくても、今はドクターを信じるしかないようだ。

 一通りの配膳が終わるまで、約一時間というところだろうか。さっきまで他の入院患者も、病院の人もどこにいるのか分からないと思っていたのが不思議なくらいだ。この落ち時間の間にたくさんの人と出会い、ここが普通の病院と変わりないことを知ったのだ。

――ドクターの意図は、ここにあったのかしら――

 口で言って分かることと分からないこともある。実際に病院を回ってみて、自分のいるところを確かめるのが一番いい、それには、配膳が最善の方法だと思ったに違いなかった。

 一時間というのもあっという間で、さすがに病院ということで賑やかさや活気はなかったが、入院している人の顔を見れただけでもよかったと思っている。やはり病院ということで、老人が多いのと、子供も結構入院しているのが目立った。二十代から四十代くらいまでの人はほとんどいなかったように思う。

 子供は無邪気なものだけど、病気で入院しているのだから、いつも無邪気というわけにはいかない、本当なら学校で友達と遊びたいと思っている子供がほとんどなのだろうが、こんなところで一人でいなければならないと思うと、身につまされる思いを感じるのだった。

 中には、

――この子の中に、無邪気さってあるのかしら?

 と思わせるような子供もいた。そんな子は目の色から違っている。目を見ていると、どこを見ているのか分からないほど、焦点が合っていない。口も半開きになっていて、精神疾患があるのは目に見えている。なるべく目を合わさないようにしようと思っても、見つめられているわけでもないのに気になってしまう。

 その子だけにかまっているわけにはいかないので次に移るが、気持ちがホッとしてしまった自分が少し怖くなったりもした。目を離すと、もうその子は私など見ていない。いったいどこを見ているというのだろう?

 精神疾患を思わせる子は数人いた。それ以外の子供は、傍から見ているとなぜ入院しているか分からない感じなのだが、きっとどこか内臓が悪いに違いない。ドクターの許可なく勝手に聞くわけにはいかないので黙っているが、そのうちにドクターが教えてくれるに違いない。

「ご苦労様」

 配膳担当のおばさんが、頭を下げて、ねぎらってくれる。どこかで見たことのあるような人だったが、きっと家に帰ると、優しいお母さんなのだろうと感じた。病院でも子供たちから、なつかれているように思えてきた。

 配膳を見ると、一つ余っているのに気付いたが、

「これは?」

「いつも一つ多めに作っているんですよ。誰が食べるというわけではないんだけどね」

 そういうと、おばさんは少し影のある表情になった。何か理由があるのだろうが、今敢えて聞くようなことはしなかった。

 おばさんはいろいろなことを知っているようだった。考えてみれば、私が一番何も知らないのではないか。ナースとして仕事をしていく上で、記憶がないことは、何ら問題はないというのか。

 ドクターもいろいろ知っているはずだが、言葉にしない。時々怯えを感じるように見えるのは、うっかり喋ってしまいそうなのが怖いからなのだろうか。どうやらドクターはこの病院の主でもあるようだ。そのわりに威張ったところはどこにもない。人懐っこさが低姿勢を嫌らしくなく見せている。ドクターくらいの威厳のある立場でまわりに低姿勢であれば、いやらしさが見え隠れしていそうだが、あっさりとして見えるのは、それだけ人間らしさを醸し出しているからなのかも知れない。

 ここの病院は、誰も余計なことを喋らない。まわりに気を遣っているという雰囲気もなく、自分の考えで勝手に動いている。余計なことを言うと、相手だけでなく、自分本人のペースを崩してしまうことになる。自分の考えで勝手に動いている世界では、リズムを崩されることを一番嫌う。逆らうものをなるべく排除してしまおうという意識も働いているのかも知れない。

 自分の知らないところで、真面目に排除を企まれていたら、これほど恐ろしいものはない。排除されないようにするには、波に乗るしかないのだが、乗れない人はどうなるのか、私は考えただけでゾッとしてくるのだった。

 おばさんはそんな中でも饒舌だった。言葉を選びながら話していたが、何も喋れなくなるよりもいいと思っているのだろう。思っているよりも肝が据わっているのかも知れない。

「おばさんと話していると、落ち着くんですよ」

 配膳も朝、昼、晩と数日間こなしてくれば、患者さんはともかく、おばさんとの仲は日増しに深まっていく。

「私はね、家に帰っても一人なんだよ」

 本当は、帰る家があるおばさんが羨ましかった。いくら仲が良くなったとはいえ、自分はどこの誰かも分からず、言葉は悪いが、ここで監禁されているようなものである。夕方の配膳が終わる頃の時間になると、なるべく気付かれないようにしようと気を遣ってくれているのだろうが、顔が綻んでいるのが分かる。きっと、この中では私しか分からない表情に違いない。隠そうとしても隠しきれずに表に出てくるのだから、却って厄介だ。私はいったいどんな顔でおばさんと接すればいいというのだ。

 相変わらず、配膳は人数分より一人多めに作られていた。余ったのだったら誰かが食べるわけでもなく、捨てるところを見たわけではない。最初は気にしないようにしようと思ったのだが、次第に気になって仕方がなくなってきた。

 そのうちに我慢できなくなり、おばさんが配膳を持っていく先を後ろからつけてみた。つけられていることを知ってか知らずか、おばさんは地下に続く通路を降りていった。

「こんなところに秘密の通路があるなんて」

 さすがに一緒に入っていくわけにはいかない。中は一本道なので、おばさんが何かを思い出し振り返らないとも限らない。その時の表情を想像してみたが、これほど気持ちの悪いものはなかった。

 おばさんが消えていった場所をしばし呆然として眺めていたが、しばらくして帰ってきた。息切れしているのがハッキリと分かるが、待っていた私の方が息苦しくなっている。息遣いを気付かれないかどうか気になったが、おばさんは来た道をまた戻っていった。私はといえば、通路が気になってしまい、そこから動くことができなくなった。それと同時に金縛りに遭い、身動き自体が取れなくなった。

 動けないことがここまで焦りを呼ぶとは思わなかった。ここまで来て引き下がるのも癪に障ったが、それよりも、なるべくこの場から立ち去りたいという気持ちが強かった。足を動かそうとしても痺れてどうにもならない。もしこんなところを誰かに見られたらと思うと、言い訳する言葉も生まれてこない。

 通路への興味を少しでも薄めると、身体が簡単に動いた。また変な好奇心が頭をもたげてくる前に退散した方がよさそうだった。また身体が痺れてしまっては、どうにもならないからだ。

 何とかその場から立ち去ると、今まで出たことのなかった庭に出てみることにした。すでに西日は傾いていて、夜のとばりがすぐそこまで迫っているようだった。蒸し暑さは先ほどの焦りの気持ちにも似て、額から汗の滲みを漂わせたが、一番の原因が凪の時間であることを悟ると、

――自然現象というものは、どうしようもないものだ――

 と自分に言い聞かせたのだ。

 夕日が最後の抵抗で地表をオレンジに染めているその頃、舞い上がった砂塵が、視界を悪くしていた。遠くにはショッピングセンターのようなものが見えるが、そこまではずっと砂漠のような更地が広がっていた。ここだけが浮いて存在しているのか、ショッピングセンターが幻のように浮かび上がっているのか、私には分からなかった。

「あそこまでどれくらいの距離があるというのだろう?」

 とても小さく見えるので、四、五キロくらいありそうにも思う。砂漠の中にも道があり、一直線に続いている。その途中にはいくつかの起伏があり、道が見えたり見えなかったりで、それが遠くに見せているのかも知れない。

「夕日だから遠くに見えるのかな?」

 風もないのに黄砂が舞ったかのように砂塵が上がっているのも、遠くに見える原因の一つになっているのかも知れない。近い時にはより近く見え、遠いところはより遠く見えてしまうというのは、今までにも感じたことがあった気がした。

 私は、気付かないうちに、空と砂漠と地平線の狭間の中で、バランス感覚を取っていた。絵心があるわけではないはずなのに、バランスを感じようとしているのはどうしてなのだろう。

「ひょっとして、記憶を失う少し前に、絵に関する何かを感じていたのかも知れない」

 絵心がなくても、絵について誰かの説明でも受けていた途中だということであれば、分からないだけに、新鮮な気持ちで聞いたことだろう。

 絵を描きたいと思ったこともあったが、どうしてもバランス感覚がない自分には無理だと早い段階で挫折した。もう中学に入る頃には、芸術と名のつくものとは、おさらばしていたのだ。

 だが、潜在意識はどうだったのだろう? 自分でやろうとするから挫折を味わうことになるのであって。誰か芸術に造詣の深い人と知り合いになれば、自分も芸術に親しもうという心の余裕も生まれてくるだろう。

 芸術に関していえば、知り合いの中には芸術に親しんでいる人もいた。その人はいつも落ち着いていて、何かあっても、一歩下がって見るので、大きな失敗はしない人だった。ゆっくりなので、相手によって感じ方もいろいろなのだろうが、私は憎からずに思っていた。どこか頼りがいがあって、知り合いであったことを誇りに思うくらいだ。

 芸術が好きそうな患者もいた。彼は絵画よりも彫刻が好きだと言っていたが、最近は絵画にも興味を持っているということも話していた。

 絵画に興味を持つようになったのは、喫茶店で一枚の絵を見たからだと話していたが、それ以上のことは本人も覚えていないということ、やはりここは記憶がある程度欠如している人が病気を伴ってくるところのようだ。何らかの原因が記憶の欠如にあるとすれば、病気も多種多様なのかも知れない。いずれ私もドクターと一緒になーそとしての仕事をするようになれば、何かを少しずつ思い出してくることになるのだろう。

「思い出すことが怖くありませんか?」

 ドクターから訊ねられ、少し返答に困った。さすがに、表情が変わったのであろう。ドクターも答えを焦って引き出そうとはしない。恵比須顔を壊すこともなく相手に安心感を与えるものだった。

 だが、最近では慣れてきたのか、それとも自分が臆病になってきたのか、ドクターの表情に怖さを感じるようになってきた。

「怖くないと言えばウソになります」

 最初の頃は、

「大丈夫です」

 と即答していたのだが、それが自分の中でウソだったことに気付くと、この言葉があまりにも軽い言葉に感じられた。簡単に即答していた自分が逆に怖いくらいになっていて、今は自分の気持ちをそのまま返答するようになっていた。

「正直でいいですよ」

 ドクターも満足したようにいい。その表情は大丈夫ですと答えた時とほとんど変わりはなかった。

 病院の中でドクターが見せる表情は、

――ずっとあのままで疲れないのかしら?

 と思わせるものだった。私だって、どんな表情であれ、いつも同じ顔をしていると疲れてくると思う。ましてや笑顔というのは思ったよりも疲れそうな気がする。寝ている時までずっと笑顔を絶やさないのではないかと、その顔を想像してみたが、ゾッとするほど気持ちの悪いものとなってしまった。

 同じ表情をずっとしている人の耳には輪を作り丸くなったゴムが引っかかっていて、それは縁日などで買うお面のようであった。恵比寿のお面もあればひょっとこのお面もある。私はなぜか翁のお面を思い出すのだった。

 わずかな記憶がある中で、いや、お面を想像することで思い出したのか、縁日を思い出した。

 私は浴衣を着ていた。子供でも一年に一度楽しみにしている縁日くらい、浴衣を着てもいい日だという意識は残っている。綿菓子や金魚すくい。鉢巻きに腹巻をしたおじさんが、声を荒げていて、会場は活気に溢れていた。

 会場は、大きな神社の境内だったように思う。ただ、出店が並んでいるから大きく感じたのだが、閑散としている時は、だだっ広いだけで、何もない分、余計な広さは感じないことで、狭く感じたかも知れない。

 お面の横では、風車が揺れていた。綿菓子も魅力的だが、私はお面をしばらく見ていた。

「お嬢ちゃん。気に入ったのあったかい?」

 活気に溢れたおじさんたちが多い中で、お面を売っているおじさんは比較的静かで優しさを感じさせた。その雰囲気が安心できて嬉しかったので、

「うん、でもなんだか怖い気がするわね」

 と、普段なら、話しかけられたりすると、すぐにその場を離れていた私が、その時は平然と答えた。

「お面には、かぶった人と違う表情が浮かぶからね。しかもまったく表情が変わることはない。本人が悲しくても笑っているお面であれば、ずっと笑ってるんだよ。そういう意味ではお面というのは表情を隠すこともできるけど、まわりに不気味さを醸し出すし、かぶっている本人も気持ち悪さを感じるかも知れないね」

 おじさんの話は難しかったが、分からなくもなかった。人のセリフをすぐに忘れてしまう私だけど、なぜかこれだけは覚えていた。疑問が残ってしまったものは、忘れようとしても忘れられないようになっているのかも知れない。

 縁日も時間が経ってくるにつれて。お面をかぶっている人が多くなってきたような気がした。誰が素顔で誰がお面なのかと、不思議な気持ちにさせられた。お面をかぶっていないのに、まったく表情が変わらない人がいるような気がして気持ち悪い。それが誰だかわかっていれば探しもしたが、ただの予感であり、大勢の中で一気に見た顔の中に、何となくいそうな思いがしただけで、根拠のないものだった。

 喧騒とした雰囲気が、急に静かになり、人の動きがスローモーションになったように見えた。目をこすってみると、また喧騒とした雰囲気に戻っていた。錯覚というのは気持ち悪いものだと感じさせられたのだ。

 縁日は終日行われ、夜がクライマックスだった。一日で終わるのがもったいないくらいに誰も疲れたと言う者もいなかった。特に子供はパワフルで、誰に気兼ねすることなく過ごせるのが、縁日だった。

 私は夕方近くになると、いつも疲れを感じていた。皆汗は掻いているが疲れた表情はしていない。誰もがお面をかぶっているかのように、疲れを感じさせない表情だ。ひょっとすると、疲れていても、まわりの元気な表情に疲れた顔は見せられないという一人一人の心境が、相乗効果となって現れているのかも知れない。

「顔の下にも顔がある。お面を取れば素顔が出てくる」

 私がそんな風に思っているなど想像もできないが、縁日を思い出すと、まさしく私が考えていたことだった。縁日だけがお面の日ではない。交差点ですれ違う人の中にも、どれだけの人がお面をかぶって生活しているのかを思うと、自分もお面をかぶっていて、お面を取った時と違う世界が見えているのではないかという思いが頭を巡った。

 時々違う世界が見えている。二重人格だと思っているが、それだけではないのかも知れない。記憶がなくても、違う世界が見えていたという感覚は残っているのだ。

 そんな中で、縁日にはあまりふさわしくないと思えるような少年がいたのを覚えている。毎年の縁日で見かけるにも関わらず、縁日以外の時に見ることはなかった。それでも毎年の縁日には顔を出していて、鳥居のところに座り込んでは恨めしそうな表情で、まわりを見ていた。

「誰も気にならないのかしら?」

 最初は私だけを見つめているのかと思っていたが、そうではないようだ。明らかにまわりが気になっているようで、彼に見つめられた人を見ていると、平然としたな顔をしている。

 鳥居のところに座っているだけでも目立つのに、誰も気にしないのもおかしい。人が多い時など、押されて誰かに踏まれるのではないかと思うような時でも、彼は決して逃げようとはしない。

 逃げないどころか、さらにまわりを気にしていないようで、人を見つめることが自分の仕事だと言わんばかりに、凝視すると、表情は本当にお面をかぶっているかのように無表情になる。

 人は、ある程度、感情をあらわにした表情をした後は、能面のようにあっさりした顔になるという。

 一番恐ろしい顔ってどんな顔なのかと聞かれて、能面のような顔と答える人もいるという。まさしくその話を思い出させる少年だった。

 どこにでもいそうな少年なのだろうが、最初にインパクトが強ければ、この場でしか存在しえない特殊な少年に感じられる。縁日のような場所では明らかに場違いでありながら、まわりの誰にも気にされることはない。

「他の人にとっては、まるで道端に落ちている石ころと同じ感覚なんだわ」

 確かに道端の石ころは、そこにあっても誰からも気にされるものではない。私はそんな石ころのことを、何度か気にしたことがあった。石ころのような少年である。彼は私が今までに気になった「石ころ」少年たちとは、雰囲気が違っている。能面のような顔の中に、険しい感情が目を瞑れば浮かんでくる表情に表れているのだった。

 砂漠を見ていると、表に一度は出てみたい衝動に駆られてしまった。砂漠に見えているのは錯覚ではないかと思えてきたからだ。ただ、表に出ることをどうしてもためらってしまう。理由は表に出ると、二度と戻ってこれないような気分になるからであった。

 私が砂漠に足を踏み入れる。その瞬間に、目の前に見えているショッピングセンターが姿を消してしまいそうで、ハッと我に返って、今度は後ろを振り返る。

 するとどうだろう。一歩踏み出しただけの病院が、かなり遠くに控えているではないか。大きく聳えているのを想像していたのに、ショッピングセンターが見えていたのと同じくらいに遠くに感じられる。

――私は、取り残されてしまったんだわ――

 と感じるだろう。

 進むに進めず、戻るに戻れず、途方に暮れてしまうに違いない。だから、表に出ることをためらってしまうのだ。

 砂漠にオアシスというが、そんなものがどこにあるというのだ。動くはずのない土地が動いたのである、そんな時、縁日の少年の顔が思い浮かぶ。

 しかも、彼の顔は空に大きく浮かんでいた。雲一つない空いいっぱいに顔が広がっていて、私を見下ろしている。だが、その顔を意識すると、今度は私が安心感に包まれた。見下ろしている彼の顔には恐ろしさを感じることはなく、救いの神であるかのように微笑んでいた。何もかもが錯覚なのだろうが、その顔は、油絵で描かれた絵のようにも思えたのだった。

 その時私が本当に表に出たのか出なかったのか分からない。しかし感じたことは妄想だった。妄想とは果てしなく広がるものだという意識から、その時に思い出したものが広がって見えてしまうという発想なのかも知れない。やはりどこか病んでいて、私の中で消化できないものが溜まっているのだろう。このことはドクターにも相談はできない。自分の胸にだけしまっておくものなのだと思った。

「でも、ドクターは分かるかも知れない」

 これも根拠のない考えだが、それはこちらから言わなくても分かってほしいという他力本願的な考えであろう。それでも思い至る発想は、お釈迦様の手のひらで踊らされている孫悟空のように、すべて分かった上で、ドクターは敢えて何も語らないのかも知れない。もしそうだとすれば、いくらもがいてもどうにもならないのであれば、無理をすることはない。事態を見守っていくしかないのだ。

「明日、新しい患者さんが入ってきます。いよいよあなたにも働いていただきましょう」

 院長室に呼ばれたので、何事かと思って向かったが、新しい患者の話だった。今までにも患者が入ってきたが、ドクターが最初から話してくれたのは、これが最初だった。私にも働いてもらうということも、今までのように助手ではなく、正式に患者を受け持つことになるのだ。

「どんな患者さんなんですか?」

「君もここに来てだいぶ経つので、ここが精神疾患を抱えた患者の受け口であることは、すでに分かってくれていると思う。いよいよというと大げさではあるが、今は記憶をなくしているだけで、君も元はナースだったんだ。ある程度勘も取り戻してくれているので、後は経験だけだね。私は君に期待してるよ」

 相手をおだてるのがうまいのだろう。俄然やる気が出てきた。

「はい」

 と元気よく返事をしたのは、ドクターの罠にかかったのかも知れない。

 院長室を出ると、また風が吹いてきた。院長室は閉め切っていたわけではないのに、表の熱さを感じさせないようにしようと、湿気を遮断するかのごとく、風はなかった。

 ドクターは汗かきなのに、よく我慢できるものだ。汗は確かに噴き出していたが、必要以上に汗を掻かない努力だけは怠らない。汗の中に厚さを吸い取る成分が入っていて、院長室は汗が納涼の役目を果たしているかのようだった。

 ドクターの顔を見ていると、安心感を与えられることで、いつも睡魔が襲ってくる。その後に本当に眠ってしまったかどうか定かではないが、妄想が膨らむ隙間があるとすれば、ドクターの顔を見た後が多いのは事実のようだった。

「どんな患者さんなんだろう?」

 同じ睡魔でもいつもと違う波のような睡魔が襲ってきた。普段は静寂の中で眠りに就くのだが、この日は、夜中に何度か目を覚ましてしまいそうな予感があった。きっと長い夜になるに違いない。

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