第3話 第3章

 姿見に

  映して見たる我が躯

    微動だにせぬ山のごとくかな


 普段から持ち慣れない大きなカバンを手に持ち、疲れ果てた顔や、疲れの中に楽しかった思い出を消したくないという思いから、楽しそうな表情というより、満足そうな顔を浮かべている集団が、新幹線口の改札口から少し離れた場所で列になって座り込んでいる。

 先頭にはメガホンを手に持った背広の男性を中心に、数名の大人たちが、一様に疲労困憊しているのも関わらず、最後まで気を引き締めておかなければならないとばかりに、気合がにじみ出ているようだった。

 手に持った荷物は、来る時よりも確実に増えている。ボストンバッグだけだったものが、手提げ袋をいくつも手に持っている光景が見られるのは、駅ならではの光景である。新幹線に初めて乗ったという人もいるだろう、修学旅行とは、それまで表に出ていなかったそれぞれの家庭の貧富の差が露呈されるところでもあるが、それは自分たちが身につまされるものでもあった。

「修学旅行には行きたくない」

 という生徒も多い。貧富の差だけではなく、学校での立場が、修学旅行ではさらに確立されるからなのかも知れない。被害妄想なのかも知れないと思うが、先生の目の届かないところが一番出るのが、修学旅行なのかも知れない。

 私はずっと修学旅行に行きたくないと思っていた。普段から苛めに近いものを受けていたことで、知らない土地でどんな目に遭わされるかという恐怖が消えなかったからだ。

 だが、修学旅行に来てしまった。

「修学旅行、楽しんでおいでね」

 何も知らない親は、子供の修学旅行を心底喜んでくれている。そんな親に、

「苛めが怖いから、修学旅行には行かない」

 などと言えなかった。普段の学生生活も、無難にこなしていると思っていることだろう。

「お土産なんて気にしなくてもいいからね」

 と言いながら、いかにも「お土産代」も含んだところでのおこずかいを弾んでくれていた。

 おこずかいを自分勝手に使うくらいの気持ちを持っているのなら、学校で苛めに遭うようなこともないだろう。言われたことだけを忠実にこなすことを信条としている私には、人に逆らうなどという言葉は出てこないのだった。

 お土産は誰もが買うようなもので、別に珍しいものは買っていない。下手なものを買っていって、

「何なの、これ」

 と、一瞥されてしまっては、せっかく真面目に買ったお土産が惨めになるだけだ。お土産が惨めだということは、自分が惨めだということである。それは思考回路が停止している証拠だった。

 何かを考えようとすると、必ず堂々巡りを繰り返す。大切なことを決めなければならない時、

「すぐには決められないだろうから、三日ほど時間をあげよう」

 と、そんなセリフをテレビドラマで聞いたことがあったが、考えているとすぐに壁にぶつかって、再度戻って考えるようになる。それ以上のことを考えようとしても、考えが及ぶことはない。いくら考えても繰り返すだけで、下手をすると一度決めかけたことを、ふりだしに戻してしまう。

――皆、時間があればあるほど、いい考えが浮かんでくるんだろうか?

 一度考え付いたことを、再度考えようとすると、自分の考えが一番素晴らしいと思い込んでしまうらしい。本当はまだまだ考えが浅いのだと分かっていても、潜在意識から逃れることはできないのだ。

 修学旅行に来ようと思ったのも、いろいろ余計なことを考えて袋小路に入ってしまうくらいなら、最初に思い浮かんだ結論を正しいと思うのが一番だと思った。二度目の結論、三度目の結論が出たとしても、結局は最初に考えたものよりもいいものはないのだと思うからだ。

 修学旅行というのも本当に疲れるものだ。

 ただ、私が危惧していたような苛めはなかった。取り越し苦労だったわけだが、何もなければそれに越したことはない。それでも、余計なことを考えさせられたことに、私は少し苛立ちも覚えていたのだ。

 中学の修学旅行ということで、国内となった。その中でも三つの班に分かれての行動となったのだが、私が行った中で一番楽しかったのは、民話の里と言われ場所だった。昔ながらの茅葺屋根が残っていて、博物館になっているところもあった。だが、中には本当に昔ながらの家に住んでいる人もいて、町おこしとして、観光客には家を解放し、観光案内も家主が自ら行っていた。

 小さい頃から怖がりのくせに、遊園地のお化け屋敷などに入るのが好きだった。お化け屋敷とは趣旨が違っているかも知れないが、ミラーハウスのようなところも好んで入ったものだった。

 ミラーハウスには、最初従妹の女の子と一緒に入った。自分よりも年が一つ下だったが、私には、同い年か、年上と思えるくらいに頼りがいがあるように見えた。実は彼女の方では一つだけの差以上のものを感じていたようで、上から見下ろすのと、下から見上げるのとでは感覚が違うようだ。

 だが、それは子供の頃の年齢にだけ言えることで、実際に建物の上から見ているのと、下から見上げるのとでは、誰が見ても見下ろす方が遠く見えるのではないだろうか。年齢にしても、私と彼女が感じたことだけであて、他の人は違って感じるかも知れない。それを思うと、彼女とは、気が合う性格だったように思えてならない。

 ミラーハウスの中に入ると、すぐに息が苦しくなる。入ったことを後悔する瞬間だった。息苦しさもある程度まで来ると、元に戻そうとする意識が働くのか、次第に楽になってくる。一度楽になってくると、今度は、鏡が見せる広さと狭さの狭間にある不思議な空間を、一緒に誰かと味わいたくなってくる。それが彼女であり、彼女も同じことを思っていたようだ。

「お兄ちゃんと、一緒にいると安心するのよ。私のそばから離れないでね」

 この言葉をいつも待っている。鏡に映った無数の彼女の誰がしゃべっているのか分からないが、彼女も無数の私の誰に話しかけているのか分からないのだろう。普段は恥かしくて言えないことも、ここでなら言えると思っているのかも知れない。無数の自分が聞くまでの時間は、どれだけあればいいというのだろう。表に出てくるとドッと汗が噴き出しているのは、時間が永遠であるという錯覚を無数の自分から感じたからだった。

 遊園地のお化け屋敷はそれから比べると、子供だましに感じられる。ミラーハウスを知ってからというもの、お化け屋敷への興味は薄れていった。だが、お化け屋敷のチャチイが妖気な雰囲気を醸し出しているようで、健気な様子が伺える。

 茅葺屋根の世界は、私にとって新鮮だった。以前家族で行った飛騨高山の合奏づくりの家を思い出し、一緒にいるのが家族ではなく、学校の友達だというのも、新鮮あ気分だった。

 学校ではあまり目立たない性格で、いるかいないか分からないようにしていた。苛めの対象になってしまうのが嫌で、いつも端っこにいた。しかし最近ではあまり端っこに寄らないようにしている。あまり端っこに寄りすぎると、今度は目立ちすぎてしまうことに気付いたのだ。自分の立ち位置を気にするようになって、苛めている連中の気持ちも苛められている子の気持ちも少しずつではあるが分かるようになっていった。

 その時々で気持ちが変わっている。一度に考えることは、どうしてもどちらかに寄ってしまうのだ。苛められている側を贔屓目に見る場合と、苛めている側を贔屓目に見る場合があるのだ。

「苛められる方も、それなりに理由があるのさ」

 これが苛める側の言い分なのだろうが、それなりの理由というだけで、具体的に言葉で言い表せないことで、言い訳にしか聞こえなかったが、苛める側に立ってみると、なるほど、時と場合によっては、全面的に否定できないところもあった。

 元々、小学生の頃、私も苛められる側の人間だったので、苛める側の気持ちなど考えようとも思わなかった。すべてが理不尽で、

「俺は悪くないんだ」

 という気持ちに凝り固まり、意固地にもなっていた。

 それでも中学に上がる頃には、友達からの苛めはほとんどなくなった。卒業してから最初の同窓会にも参加したが、

「あの時は悪かったな」

 と、苛めの中心になっていたやつが謝罪してくれたのだ。

 私にとって想定外の行動だったので、ビックリしたが、それだけ二人とも大人に近づいたということか。対等の友達として評価してくれているのだと思うと、感無量でもあった。

「昔のことさ」

「そう言ってくれると、気が楽になるよ」

 ここまで低姿勢だと、こっちが恐縮してしまう。大人の世界を見ているようで、複雑な気分になった。建前だけでの低姿勢はこれほど嫌なものはなく、子供の会話であることが救いでもあった。相手が本気で謝ってくれているのが分かるだけに、建前抜きの態度であった。

 彼は苛めのリーダーでもあったが、成績もよかった。中学から私立を受験し、見事に合格していたのだ。私も小学生時代好きになれば相手であったが、頭の良さは認めざる負えなく、

「住む世界の違うやつなんだ」

 と思ったものだ。

「でも、私立は私立で大変なんだ。何しろまわりは俺と同じで、受験の難関を通り越して入学してきた連中ばかりだからな。よっぽどそのことを最初から肝に銘じておかないと、痛い目に遭う」

「どういうことだい?」

「俺には俺で自信があったということさ。誰にも負けないって自信がね、でも、それはまわりの人間皆が思っていることで、どれだけその気持ちを強く持っているかということさ。気持ちが強くなれば、それだけ考え方も変わってくるようで、考えが変わらないと、置いて行かれてしまう。要するに競争世界の真っただ中にいるということさ」

「大変なんだな」

「そうさ、受験に合格してそれで終わりじゃないんだ。それからが始まりなんだよ」

 彼が逞しく見えた。

――これが俺と同い年の考え方なんだろうか?

 逞しさとともに、羨ましくもあった。自覚のないぬるま湯に浸かっていることを思い知らされる気分であった。

「まあ、でも子供の頃は、子供らしく余裕のある気持ちでいたいものさ。お前が羨ましいよ」

 言葉だけを聞けば、皮肉に聞こえるが、彼は本心から言っていた。競争社会というのは、それほど気持ちの中の余裕をなくさせてしまうものなのだろう。

 彼と話をしていて、苛めに遭わないようにするためには、端っこに寄りすぎないことが大切だと教えられた。

――誰もがあいつのような性格なら、苛めも次第に減っていくんだろうけどな――

 と思った。修学旅行は、同窓会があってから、二か月後だったので、余計に新鮮な気持ちになった。茅葺屋根の世界は、私に気持ちの余裕と、帰ってきてからも残像として頭の中に残るであろうことを感じさせるものだったのだ。

 修学旅行は、新幹線口での解散となる。皆各々で帰っていくのだが、同じ方向であることは間違いない。なぜかその時私は皆と一緒に帰ろうという気にはなれなくて、駅の近くをうろうろしていた。

 行く当てがあるわけではない。目的もなくただ漠然と歩いているだけではなかったが、あまり一人で出歩くことのない私には何もかもが新鮮であったが、逆に怖さもあった。それは後ろめたさを含む怖さだったのだ。

 中学生が一人でうろうろするのはあまりいい傾向ではない。修学旅行中は制服着用だったが、帰りは私服でもいいということだったので、服装に関しては違和感はなかった。それでもあるいるとまわりからジロジロ見られているようで、ついつい萎縮してしまう。どこかの店に入るのも躊躇してしまうのだが、以前から一度一人で喫茶店に入ってみたかったこともあって、適当なところでいい喫茶店がないかを探しながら歩いていた。

 あまり細い路地には入り込まないようにしていた。昼間とはいえ、一人で歩くのは危ないところがあると聞いたことがある。商店街を中心に歩いてみたが、ちょうど外れたところに、白壁が目立つ喫茶店を見つけた。庭木が生い茂っていて、最初は分からなかったが、白さがそれだけ目立つのだろう。一度気になってしまうと、確かに白い色は印象に残るものだった。

 私は引き寄せられるように近づくと、表は駐車場になっていて、車が十台くらいは止められるスペースがあった。それほど狭い店ではなさそうで、少し臆したが、せっかく見つけたのだから、入ってみることにした。駐車場には車は止まっていない。そのことも、私が引き寄せられた理由の一つなのかも知れない。

 店の中は、想像したよりも広さは感じなかった。こじんまりとした店内は、表の白壁とは裏腹に、木目調の壁だった。

 表は高貴な雰囲気で、中は落ち着きという趣きを感じさせる佇まいに、私は落ち着いた気分になった。扉を開けた時に聞こえた重低音を響かせる鐘の音も、想定の範囲内であったことは嬉しかった。

――喫茶店は、こうであってほしい――

 というのが、私の中にはあった。最近はカフェばかりになってしまって、いわゆる「喫茶店」と呼ばれる店が少なくなった。カウンター席の前に置かれているサイフォンでコーヒーが炊き上がるのを見るのも楽しみのはずなのに、私はテレビでしか見たことがない。本当にもうなくなってしまったのかと思うほど、喫茶店を見ることが今までにはなかったのだ。

 店の中は思ったより涼しかった。修学旅行は涼しい場所から帰ってきたので、歩いていてうんざりするほどだったが、店の中でクーラーが効いているのはありがたかった。

 他に客はおらず、私が入り口でうろうろしながら戸惑っていると、マスターも少し訝しそうな表情になった。

「お前のようなガキが来るところではない」

 とでも言いたげな目線に思わず尻込みしてしまったが、せっかく入ったのだから、臆する必要など何もない。知らない相手なのだから、鬱陶しく感じたら、すぐに出ればいいのだ。

 さすがにカウンターに座る気にはなれず、奥のテーブルに腰かけた、マガジンラックにある新聞と雑誌を手に持って行ったのは、手持ち無沙汰になるのが嫌だったからだ。

 奥のテーブルに座って店内を見渡すと、最初に感じたよりも広く感じられた。どうやら見る位置によってこの店は、感じる広さにかなりの幅があるようだ。こんな店も初めてだった。入ったことを後悔もしたが、座ってみると、まんざらでもなかった。

 持ってきた雑誌は、芸術関係の雑誌で、学校では美術部に所属している私には興味のあるものだった。美術部では絵画よりも、彫刻の方が好きだった。平面よりも立体の方がよりリアルに表現できるというのと、やはり現実に近い形というのが、私の興味を誘ったのだった。

 彫刻の写真が雑誌には掲載されていた。そこには光と影が存在している。背景はハッキリ言って暗いもので、より幻想的なイメージを引き出そうとしているのかと思えたが、それよりも、

――どこからこんな光が差しているのだろう?

 と思うほど、写真の端の方から、白い閃光が煌めいている。

――本当に白い閃光なのだろうか?

 まわりが暗いので、余計に白が浮き立つ。黒い色に目が慣れてしまっていることで、白い色だと錯覚してしまっただけではないか? そんな思いが頭を過ぎる。

――なるほど、ピンクと言われたら、ピンクに見えなくもないかも知れないな――

 と、自分に問いかけて、自分で勝手に納得してしまった。

 私が絵画に興味がないのは、自分の中で色彩感覚に疑問があるというのも一つの理由であった。

「君の色彩感覚は、絵画をするには面白いかも知れないよ」

 と、私の色彩感覚に対しての考えを唯一知っている美術部の顧問の先生は、そう言ってくれている。

「でも、絵画って、目に見えているものを忠実に描くことが大切なことではないんですか? 私の感覚で忠実に描ける自信はありません」

 というと、

「いやいや、忠実に描くことだけが絵画の世界というわけではないんだよ。絵画ってもっと広いものだと私は思うんだ。絵画だけに限らず芸術というのは、「表現」だからね。その人の個性を表現できればそれでいいと思うんだよ」

 先生と話をしていると、私が芸術に対してどこまで求めているのか、自分でも分からなくなってくる。目に見えていることだけが真実だと思う反面。先生のいうことも一理あると思っている。

 何を求めているかということではなく、「どこまで」求めているかということである。私の中で芸術とは、

「求めるもの」

 であった。

 それは先生も同じ意見で、

「求めるから欲が出る。欲を表に出すのが芸術だとすれば、それこそ、人それぞれにある「表現」こそが芸術なんじゃないかな?」

 まったく同意見。先生の言葉に感化されてか、私は絵画にも少しずつ興味を持つようにした。

 絵画とは、バランスの問題であった。色彩感覚に疑問のあった私が次に疑問を抱いたのはバランス感覚である。自分の中にどれだけのバランス感覚があるのか、実際に疑問であった。描き始めはバランスから始まる。遠近感が微妙な影響を与えるが、その遠近感に自信がなかった。

 これは色彩感覚よりも深刻だった。

「本当に僕のような人間が芸術をしていいんですか?」

 愚門であったが、先生にぶつけてみた。

「いいんじゃないかな。芸術は誰のものでもない。やりたいと思っている人のものさ」

 先生は、やりたいと思っている人のものだと言った。やりたい人「全員のもの」とは言わなかった。ここにも先生なりの考え方があるように思う。人それぞれの中に、それぞれの人の芸術があるということが言いたいのだろう。そう思うと、私も少し気が楽になってきた。そう、芸術は何も人と共有する必要などないのだ。

 彫刻の絵を見ていると、自分で作った作品を、描いてみたいという衝動に駆られた。今までは彫刻を作ってしまえば、次の彫刻と、出来上がった後のものへの興味は薄れていく。

 確かに自分で作った作品はかけがえのないものである。だが、いつまでも執着するわけにはいかない。執着できないのであれば、最初から次の作品を見据える方がいい。数をこなすことが私にとってのやりがいであり、それは出来栄えよりも、数をこなすことの方が楽しいと思っているからかも知れない。

 素人の作品なので、何度も手直ししてもたかが知れている。どこまでの作品に仕上げたいのか、どこかのコンクールにでも応募したいという思いがあるわけでもない。作りっぱなしと言えば言葉は悪いが、まず数をこなしていけば、そのうちに納得のいく作品ができるのではないかというのが、私の考えだったのだ。

 この店にも壁を見ると、いくつもの作品が飾られている。思ったよりも明るい作品が多く、目を引いたのは、茅葺屋根の家を描いた絵であった。さっきまで頭の中に残像として残っていた茅葺屋根の家、同じ場所だとは思えないが、頭の中でリンクしてしまい、かぶって見えてくるから困ったものだ。せっかく残っていた残像が、絵によってかき消されてしまうのが嫌だったが、絵の中の茅葺屋根も捨てたものではない。

「この場所にも行ってみたいな」

 と思わせるほどの絵であった。

 決して分かりやすい絵ではない。ただ、残像に残ってしまう絵ではあった。何よりもさっきまで残像として残っていた景色に、打って変ったのは一瞬だったからだ。

 絵画を見続けていると、次第に小さくなってくるのを感じた。いや、それこそ錯覚で、遠ざかっているように見えたのだ。

「この絵の中に自分が入り込んでしまったら怖いな」

 という思いもある。じっと見続けていると、その世界に入り込んでしまうのが私の悪い癖で、本当に入り込むわけではないのに、余計な心配からか、小さくなってしまったら、自分が入り込む隙間はないという、根拠のない思いが頭の中を巡るのだった。

 絵画への思いが先生との会話を思い起こさせる。

「私も学生時代はプロの絵描きになろうと志したものさ。でも、そのうちに人に教える方が性に合ってるように思えてきたんだ」

「それは急にですか?」

「そうだね、急に思ったんだ。絵画というものは色彩感覚とバランス感覚。違うもののようにも思えるが、結局は同じところから派生しているんだよ」

「先生はどうして先生になろうと思ったんですか?」

「絵を描いていて、急に自分が受け身になっていることに気が付いたんだ。目の前に見えることを忠実に描くのが絵画だって僕もずっと思ってきたんだけど、それだけじゃないんだ。時には不要なものはカットしたり、想像の世界で見えたものを描いてみたりするのもプロなのかも知れないね。でも、一度目に入ってきたものを加工するなんて僕にはとてもできそうにない。だから、絵を描くのが受け身に感じられるようになったんだ。もう、そうなってしまっては、攻めながら描くなんてできないんだよ」

「攻めながら描く?」

「そうだよ。どんなことでもプロと呼ばれる人は攻めの気持ちを忘れない。忘れてしまっては、もはやプロとは言えないんだ。実は、僕もプロの仲間入りをしかかったことがあったんだけど、攻めの気持ちを忘れてしまって、結局はプロになる前に引導を渡される結果になってしまったんだ」

 先生も苦労したのだろう。話を聞いていれば身につまされるものがあった。まるで自分の将来ではないかと思うほど、真面目に聞いてしまったが、時間が経つと、気持ちも萎えてしまう。しょせんプロなどなれるわけもないし、なったとして、苦労は目に見えている。余計なことを考えないに越したことはないのだ。

 教えるということなら、何とかなるかも知れない。

――先生か、それもいいな――

 小学生の頃、先生に憧れたこともあった。勉強が嫌いなくせに、先生になろうなど、笑い話もいいところだが、なれないからこそ憧れていたのかも知れない。尊敬の念がそのまま憧れとなり、子供心に、

――成長していくうちに、勉強だって好きになるさ――

 などという楽天的な発想は、実におめでたい考えだといえよう。

 冷静だというわけではないが、時々自分を客観的に見ていることが真剣で真面目な自分を表現しているように思えることがある。楽天的な発想は、そんな客観的に自分を見る目が生み出しているのかも知れない。

 芸術的な絵を見ていると、母の顔が思い浮かんだ。

 と言っても、今の母の顔ではない。母が若い頃に知り合いの画家に描いてもらったという絵が、母の部屋に飾ってあった。

 父と去年離婚した母は、元々若く見えたが、離婚して独身になると、さらに若く見える。子供の私が若く見えると思うのだから、他の男性が放っておくはずもない、保険のセールスをやっているので、ビジネススーツがよく似合い、さらに若さが引き立った。

「お得意様の中には、結構言い寄ってくる人もいるのよ」

 と、帰ってきてから嘯いていることもあったが、まんざらではないと思いながらも、その中の誰かと付き合おうと考えているとは思えない。父と離婚してからしばらく鬱状態に陥った母は、それが男性不信から起こったのだという意識が最初はなかった。

「意識がないというのはねぇ。少し長引くかも知れませんね」

 心療内科に通い始めて、母はそう言われたという。仕事をしている時に男性と話をする分には問題ないのだが、相手を男性として意識することはないだろうというのが、医者の話だという。

 なぜ子供の私がそこまで知っているかというと、母が隠さずに話してくれているからだ。男性不信になったかわりに、子供の私には隠し事など一切なく、接してくれている。さすがに息子を男性として意識するはずもなく、免疫をつける練習にもならないが、気分転換にはいいだろうということで、隠し事はしないようにしているらしい。病院の先生からも、

「息子さんがおられるなら、なるべく息子さんとお話をして、一緒にいることをお勧めしますよ。ただ、息子さんも中学生ということで難しい年頃ですので、そのことだけは意識しておいてくださいね」

「はい、分かりました」

 返事をした時から、母は変わった。いい方に変わったのだが、精神的にも楽になったのか、それとも先生のいうように隠さずに話すことが開放感を引き出すのか、顔色が随分とよくなってきた。最初の頃は顔面蒼白、病院に連れていく方としても、いたたまれない気分にさせられるくらいだった。

 母の部屋にも出入り自由となったはいいが、母親とはいえ、女性の部屋はさすがに刺激的だった。父兄参観に小学生の頃、母が来てくれることが多かったが、そのたびに、羨ましがられていた。

「いいよな、お前の母ちゃん綺麗で」

 まんざらでもなかったが、母親が参観日に来る理由が分からなかったので、まさかそれが夫婦の間の亀裂であることなど、私は知る由もなかった。

 元々は、父が父兄参観を拒んだのが始まりだった。どうやら不倫をしているらしいという話は結構早い段階で母親の耳に入っていたが、自分の胸にしばらくは収めていた。母が何も知らないということをいいことに、したい放題の増長を促してしまったのは、母の責任になるのだろうか。

 知らずにいたのなら、しょうがないかも知れないが、少しでも知っている素振りを見せれば少しは違ったかも知れない。

 中学生の私がなぜそこまで知っていたのかというと、その時に分かっていたわけではない。両親が離婚し、その後も少しごたごたしたことで、噂が噂を呼んだ。噂の出どころはいつも決まっていたが、知らなくてもいいことを知らせてくれるおせっかいがいたということで、私にとっては有難迷惑でもあったのだ。

 それはともかく、不倫を楽しんでいる父親は、次第に家庭を顧みなくなる。最初は、浮気なら許せると思っていたのか、いずれは父が家庭に戻ってくるだろうという期待を持っていたが、それは淡い期待であった。一度味をしめてしまうと、抜けられなくなるのが父の性格でもあった。

――最初から分かっていたわ――

 と母は思ったことだろう。

 この時の両親の心の動きが分かる自分が不思議だった。後から聞いた話なのに、疑いもなく聞いていると、両親それぞれの心の中まで見えてきそうだった。ただ、あくまで勝手な想像で、心境にはもっと複雑な気持ちも含まれていたはずだ。少なくとも、私には嫉妬による愛憎絵図など、想像することは不可能だった。

 父親に愛想を尽かせた母親は、意固地になっていた。苛立ちは目に見えてひどくなり、ノイローゼになりかかっていたのも見て取れる。それだけは、その時の私にも分かった。一時期は苛立ちの矛先が私に向いたからだ。黙って耐えるしかなかった私だったが、短期間だったのでまだ我慢できたが、もう少し続いていたら、どうなったか分からない。それでも後遺症は残ったようで、母親へのコンプレックスは結局抜けなかったのだ。

 私への矛先が収まったのは、母も心の拠り処を見つけたからだ。心の拠り所とは、

「目には目を歯には歯を」

 と、思ったのかは分からないが、母も不倫に足を踏み入れたのだ。それを責めることは私にはできないが、これで家族の分裂は決定的になったともいえる。後は時間の問題だった。

 相手は、クラスメイトの父親だった。お互いに家庭のことを話していくうちに、情が移ってしまった。同じような境遇であれば、仲が深まるまでに、時間はそんなにかからないだろう。燃え上がりも早いが、逆に両刃の剣でもある。

 それぞれに家庭があり、事情は違っている。お互いに家庭内で辛い立場にいるということは同じだが、それぞれの伴侶も違えば、環境も違う。どちらかが心境に変化を示せば、後は拗れる一方であろう。

 しかも、お互いの子供同士はクラスメイトというつながりがある。子供を相手に考えるならば、少しは考え方も変わってくるのかも知れない。

 最初に変わったのは、母の方だった。離婚の二文字を真剣に考え始めると、不倫相手への見方も変わってくる。

 相手は真剣に離婚は考えていないようだ。そんな相手にいつまでもしがみついている必要もない。離婚してしまえば、いくらでも相手は探せるのだという気持ちが母親を離婚に向かわせる一つであったことも否定できないだろう。

 表に見えることとして、父親の暴力が母を苦しめていた。最初は私も暴力をふるう父親が恐ろしかったが、それよりも暴力に耐えながら父を睨んでいる母の顔の方が恐ろしく感じた。

「よくあんな恐ろしい顔ができるな」

 怒っているというよりも、冷たい目で見つめているのだ。怒っていたのであれば、ひょっとすると、父はもっと逆上したかも知れない。だが、冷静な冷たい視線で見られると、さすがの父も臆してしまったようだ。後ろめたいという気持ちもあるのか、母に見下ろされている気持ちになったのだろう。

 本当は父が不倫に走った理由の一つに、母が時々見せる、「見下ろす」ような目線があったのかも知れない。どちらかというと小心者の父の気持ちは分からなくもない。私も同じように小心者だからである。見下ろすような視線は見下すような視線に変わり、相手には、自分だけが先に進んで、置いてけぼりにさせられたような心境に叩き込んでいくのではないかと思うのだった。不倫の良し悪しは私には分からないが、微妙な心境の変化で、どのようにも移り変わっていくもののようであった。

 母が無理に離婚を迫ったと思っていたのだが、どうやら違うようだ。離婚してどちらが得をしたかなど分からないものだが、父は適当に楽しんでいるとも聞いたことがある。それに比べ、母は私もいることだし、不倫相手の父親も、相手がフリーになってしまってから、離れ気味になってしまった。

 お互いに同じ立場なら付き合いもあるだろうが、相手がフリーになってしまえば、自分の立場は微妙である。相手は肩の荷が下りたのだから、立場的には見下ろされると思ったのだろう。母にそのつもりはなくとも、相手の男性からすれば、「裏切り行為」と映っても仕方がない。

 それでも、母の肩の荷が下りたのは間違いない。元々やっていた仕事もそのまま続けていて、仕事的には別に問題ない。一人になったという自覚から、仕事への情熱が増したおかげか、男性を気にすることもなくなった。生きがいを見つけることができたというべきか、生まれ変わったかのようだ。損得の問題ではないのだろうが、母も離婚して、それなりにメリットがあったのだ。

 父親はというと、自暴自棄になった時期があったと聞いたことがある。信じられないが、女性恐怖症になったというが、ひょっとすると、不倫相手から捨てられたのかも知れない。お互いに同じ立場であるからこそ成立する不倫、離婚してしまえば、相手に重荷を背負わせることになるかも知れない。

「君のために、僕は離婚までしたんだ」

 などと言われると、嬉しいと思うよりも、拍子抜けし、我に返るのかも知れない。百年の恋も冷めるというものだ。

 元々が遊びなのかも知れない。どちらかが重たくなればバランスは崩れる。父はしばらねく放心状態に陥り、そのうちに酒に溺れたというが、私には信じられなかった。滅多なことでは取り乱すことはなく、息子の手本になってきた父だったのだ。仕事も真面目で、家に部下を連れてくることもあった。

――部下に慕われる上司――

 それが父だったのだ。

 落ち込んでしまった父を想像もできなかったが、立ち直ったという話を聞いた時、ホッとした気持ちと、どうやって立ち直ったのかが、とても気になった。私と性格的なところが似ている父がいかに立ち直ったのか、今後の参考のために聞いておきたかった。会うことはでき、たまに食事に行くこともあるが、真面目な父親であることには変わりなく、そんな父が不倫をしたという事実だけで、頭が上がらないという気持ちになっているのか、とても、立ち直りのきっかけなど聞ける雰囲気ではない。世間話に花を咲かせている程度であるが、それでも、話しができるだけよかったと思うようにしていた。

「お父さんと、お母さんは、元々大学の美術サークルで知り合ったんだぞ。だからお前も芸術に関しては、秀でたものを持っているかも知れないな」

 私が中学で美術部に入ると話をした時、父が話してくれた。母もその横から、

「何言ってるの。美術部にいたっていうだけで、才能があったかどうか分からないでしょう? そういえば、あなたは賞やコンクールというものには、まったく興味がなかったわね」

 と、母が呆れたように話していたが、それも父らしいと思った。

「賞に出したって、入賞できるわけではない。俺は地道に作品を描き続けることができればそれだけでいいんだ」

 負け惜しみに聞こえなくもないが、父が言うと、それももっともに聞こえてくるから不思議だった。強い口調ではないのに、どこか説得力を持った父の話は、魅力的だった。

 いい加減なところがあるくせに真面目であった。言葉が軽いのに、どこか説得力がある。悪いように見えて、実はいい印象を最後には相手に与えているのが父の特徴で、それが長所なのだろう。私も見習いたいと思うのだが、なかなかできるものではない、意識してしようとすればするほど、わざとらしく感じられるのだった。

 母もそんな父に魅力を感じていたのだろう。私を見ていて、時々、

「本当にお父さんに似ているわね」

 と、溜息交じりで声を掛けてくる。溜息といっても、諦めの態度ではない。一息つくときの溜息だ。深呼吸をしたい気持ちになって私を見ると、自分の若かった頃を思い出すのだという。

 美術部の顧問の先生が、父に雰囲気が似ていた。

「先生って、素敵よね」

 と、母が言っていたが、それは遠まわしに父が素敵だと言っているのだろうと思っていたが、そんなに甘いものではない。母にしてみれば甘い気持ちを抱きながら、離れていった父を忍ばせる気持ちになっているのかも知れない。両親の離婚は夫婦間では、決して悪かったと思っていないだろうが、私を挟んだところでは本当のところどうなのだろう。

「もし、離婚したことを後悔することがあるとすれば、あんたを見ていて思うくらいだろうね」

 これも負け惜しみに聞こえるが、精一杯の虚勢かも知れない。

 最近の私は絵画も描こうと思い始めている。新鮮な気持ちが今はあるのだ。その気持ちを与えてくれたのは、不本意ながら両親の離婚であった。

 世の中何が幸いするか分からないというが、私のこれからを考えると、まだまだ決めてしまうにはもったいない年齢である。これからいくらでも修正もやり直しもきく。やり直しというよりも、道をずれても戻れるだけのパワーがあるということだ。やり直しではない。

 喫茶店でコーヒーを飲んでいると、さまざまなことが頭に浮かんでは消えていく。気持ちに余裕が持てるというべきか、例えば電車の中で漠然として見ている車窓で、右から左に消えていく景色が、電車のスピードが速ければ早いほど小さく見える。遠くに見えると言ってもいいかも知れない。

 電車に乗るのが好きな私はいつも車窓を眺めている。通学電車のように毎日同じ路線に乗っていて、同じ景色を見ているとしても、別に飽きるということはない。逆に同じものが見えていることに安心しているのだ。

 安心感が気持ちに余裕を与える。眩しくても決してブラインドを下ろしたりはしない。下ろしてしまえば。見えているものが見えなくなり、広い世界が急に狭く感じられるのだ。

――狭い世界に、暗い世界――

 まさしく「三大恐怖症」の二つではないか。

 修学旅行の電車の中でも、自分から窓際に座った。きっと通路側だと、気分が悪くなったかも知れない。特に新幹線や特急電車は窓が開かない。普通電車で窓を閉めていても、開くのが分かっているので安心なのだが、新幹線や特急電車のように窓があかず、しかも新幹線のようにトンネルが多いと、恐怖は募るばかりだ。表だって恐怖症を知られないようにしているが、きっと見る人が見れば分かるはずである。

 飛ぶように流れる景色が頭の中をグルグル回る。自分の中では決して同じものだという意識はないのかも知れない。流れる景色を見ていると、遠くで小さく動いているはずの人が止まったように見える。まるで静止画像を見ているかのようだ。昔でいえば蝋人形の館とでもいうべきか。そんな時、

「前にも同じ景色を見たような気がするな」

 と、根拠のない意識が浮かび上がってくるのだった。

 喫茶店で一枚の気になる絵を見たことで、私は絵の世界に入り込んでいく気配を感じた。それはまるで電車の中から見た静止画に懐かしさを感じたからだったのだが、絵の中から誰かが飛び出してきて、そのかわりに私が絵の中に閉じ込められてしまったのだ……。

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