第5話



「すいません……気が緩んでいました」


「俺はてっきり木行符もくぎょうふで拘束したのだから五行相生、木生火で鬼を焼き殺してくれると思っていたのだが……過度な期待をしすぎたようだな」


「申し訳ありません」


「今回は気にするな……元とは言え俺はS級陰陽師だ。死なない限り学事が出来る。次に失敗しなければいさ……失敗の代償は最小でお前の命、最大で周りの命だ」


――――と死んだ父親の言葉を借用し、後輩をさとす。


弟子を持つとこう言うフォローや助言をしなくちゃいけないなんて実に面倒だ。だが、仁科の御技を教えを絶やす訳にはいかない。


「俺も昔はミスをしたものだ」


「仁科先輩がですか?」


「ああ、良く父に怒られた。今回の鬼は牛鬼ぎゅうきあるいは土蜘蛛つちぐも推察すさつされる神霊だった。土蜘蛛つちぐもであれば『土気どき』、牛鬼であれば『水気すき』、『木気もっき』、『火気かき』『金気ごんき』の順に可能性が高かったと推察できる」


「牛鬼なのに『木気もっき』、『火気かき』、『金気ごんき』ですか?」


「牛鬼が、人を食い毒を吐く魔物とされている事はしっているな?」


「ええ、類似する土蜘蛛つちぐもは、おこり……現代で言えばマラリアを蔓延まんえんさせ、妖怪退治の専門家であり、武家系陰陽師の祖ともいえる源頼光みなもとのよりみつ公を苦しめた逸話いつわを持っています」


「基礎の知識はしっかりしているようだな。マラリアとは『悪い空気』を意味し本質的には、即ち我々の言う『瘴気』と同じモノを指している。

 医聖大ヒポクラテス曰く『悪い空気や水土を摂取する事で病気に至る。こうして病気になった人間も瘴気を発し、周囲の人間を感染させる』と言う。

 少しファンタジーが混ざっているが、当時としては先進的な考え方をしている。日本の江戸末期、蘭学として西洋医学が学ばれた時代になると、京都市二条通にじょうどおりに位置する薬祖神祠やくそじんしでは、日本の大国主命オオクニヌシノミコト少彦名神スクナビコノカミ、中国の神農しんのうに加えて希波克拉底ヒポクラテスも薬祖神として祀られている……」


 俺は咳払いをすると解説に戻る。


「牛鬼が『木気もっき』である理由としは日本では古い椿つばきには神霊が宿るという伝承があり、牛鬼を神々の化身とし、悪霊を払う者とする説がある。また椿は岬や海辺にも生える事から神聖視され、様々な境界に見たてられる事があるんだよ」


「『木気もっき』である理由は分かりましたが『火気かき』や『金気ごんき』である理由はなんでしょう?」


「民俗学者で最後の枢密顧問官すうみつこもんかんを務めた柳田國男やなぎだくにお氏は、岡山県苫田郡とまたぐんに伝わる牛鬼の民話に付いて自著のなかでこう述べている。『山でまつられた金属の神が零落れいらくし、妖怪変化とみなされたものである。』と

 また島根県北東部の出雲国いずもこくでは、『雨続きで湿気が多い時期に、谷川の水が流れていて橋の架かっているような場所へ行くと、白い光が蝶のように飛び交って体に付着して離れないことを「牛鬼に遭った」といい、囲炉裏いろりの火で炙ると消え去るという』

 新潟や滋賀でいう『蓑火みのび』と言う怪火かいかや鳥取県にもほたるのような緑光として登場している。これが牛鬼が『金気ごんき』や『火気かき』でもあると考えられる根拠だ」


「私がこの国の怪異かいいについて不勉強な事は認めますが、何てムダな知識量なんですか? 『木気もっき』と『火気かき』は納得できますが『金気ごんき』についてはどうも納得できません。あくまでも一個人の感想じゃないですか……」


「確かにその通りだ。俺のひそかな野望で『金気ごんきを帯びた牛鬼』のようなレアな妖怪をコレクションする。というものがあったんだが今の霊力では調伏ちょうぶし、使役できたとしても対価を払えないから土台無理な話だが……」


「水木しげる先生とか好きそうですね」


 イタコ爺のやっていた水木しげるのモノマネはシュールで面白かった。


「鬼太郎は好きだよ……」


「まぁ今回の鬼は、鬼が放つ独特の気である。鬼気ききが弱かったからな……今の俺でも何とか討てた。正確に言えば向こうも消耗しているように感じたんだが……」


「この穢れた霊場の主は倒しましたが、他にまだ同格が居るかもしれません。早く運転手さんの元に向かいましょう」


「それも、そうだな……一応救援要請を出しておこう。星川たのめるか?」


 元S級陰陽師とはいえ、現在は協会に階級を返上し隠居した身の上のため、気軽に連絡するのは気が引ける。


「いいですけど、私の報告だと多分対応が雑になると思うので、先輩の名前を出させてもらいますね」


「面倒だが致し方がない……俺の名前をだして民間人の保護を求めてくれ……」


 俺は指示を飛ばすと、喉の奥に引っかかっている違和感に気が付いた。先ほど説明した通り、今回の鬼は『水』・『土』、『木』、『火』、『金』の順でその気を宿している可能性が高い。

 もし、『木気』の鬼ならば……人間を近づけないようにしていただけとも考えられる……何かこの事件には裏があるのかもしれない。それを探すにはあの少年少女に聞いてみるのが一番だ。

 俺は運転手の男が消えた方向へ向けて先を急いだ。


 俺が運転手さんの元に辿り付いた時には、みんなの怪我の治療を始めていた。

 怪我と言っても雑木林で多少切った程度のもではあるのだが、傷口が瘴気しょうきによって穢れており、そうなると普通の怪我よりも治りが悪いためか『治癒符ちゆふ』が張り付けられている。


 俺の存在に気が付いたのか? 運転手の男性は状況を説明する。




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TIPS  『六甲秘呪ろっこうひしゅ九字護身法くじごしんほう摩利支天まりしてんの法、十字護身法じゅうじごしんほう


 『臨兵闘者皆陣列前行りんぴょうとうしゃかいじんれつぜんぎょう』と入山前に唱える事で悪霊を避けるという、六甲秘呪ろっこうひしゅは日本の九字とは異なり特定の印を結ぶ必要はないとされる。


 古くは、古代中国の道教家の葛洪かつこうが記した『抱朴子ほうぼうし』と言う本の中で唱えた呪文であり、中国では道教から仏教一派の秘密仏教(密教)に取り入れられ、とうから帰国した伝教大師・最澄さいちょうにより公に日本に紹介された。


 弘法大師こうぼうだいし空海くうかいにより、本格的に(中期密教が)持ち帰られ真言宗(東密)が産まれた。

 台密とも呼ばれる。日本の天台宗に本格的な密教を持ち込んだのは、長崎の出島で中国人の僧侶から知識を授かった豪潮ごうちょうと言う江戸時代の僧侶である。


 日本の密教は、空海、最澄以前から存在した霊山を神聖視する在来の山岳信仰とも結びつき、修験道などの神仏習合の主体ともなった。山岳曼荼羅まんだらには、それらや浄土信仰の影響が認められる。


 また武士系陰陽師にこの呪文を『急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう』と同じように使う使い手が多い。戦場に臨む武士が行う修法「摩利支天まりしてんの法」に由来があり、武士達の守り神であったのが理由である。


 また九字には十字と言う派生があり、九字の後に一文字の漢字を加えて効果を一点に特化させる効果がある。

 一文字の漢字は特化させたい効果によって異なり、作中では捕縛、拘束が目的であるため縛と付け加えた。


天台宗(台密)や道教 最も強力であるといわれている。

原文『臨兵闘者皆陣列

意味『臨む兵、闘う者、皆陣列べて前を行く』


真言宗(東密)

原文『臨兵闘者皆陣列在前』

意味『臨む兵、闘う者、皆陣列べて前に在り』


仏教系

原文『臨兵闘者皆陣在前』

意味『臨む兵、闘う者、皆陣烈(裂)れて前に在り』


原文『臨兵闘者皆列在前』

意味『臨む兵、闘う者、皆陳列べて前に在り』


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