幸せな選択肢のうちのひとつ

ヤガスリ

第1話

四畳半の窓もない締め切った部屋で私は長袖を着込みノートパソコンと睨めっこしながらタイピングをしていた。

天井近くまである茶色い本棚にはぎっしりと本が詰め込まれているが、入りきらないからか部屋中が本で溢れている。少し動けば至る所に山のように積み上げられた本が落ちてきそうな作業環境の中、クーラーもつけない状態でこの蒸し暑さと戦っている。

クーラーつけないと熱中症で緊急搬送という事態が脳裏をよぎったが、正直電気代すら惜しい生活環境である。木目調の机の上には参考資料に紛れて電気代などの公共料金の紙も挟まっていた。何度もなくしてはそのたびに痛い目を見てきた。


私は今、女性同士の恋愛をえがいた小説の執筆をしている。

数年前に小説コンテストに応募して賞をとり、縁があってこうして小説のお仕事を何本か頂いている。

収入はある。しかし絶望的なまでに金銭管理ができない為に公共料金を払うのもギリギリな生活を送っている。小説家という仕事をしていなければただの社会不適合者だ。


タイピングをしてはデリートキーを押すという動作を繰り返している。私は前髪をくしゃりと触った。染めたこともない黒い髪も伸ばしっぱなしで何ヶ月も切っておらず少し動くだけで前髪がだらんと落ちてくる。正直鬱陶しいが美容院に行く労力をかけるくらいなら目の前の仕事に集中していたいのだ。


薄暗く、タイピング音だけが鳴り響く部屋の中で突如バイブ音が木霊した。


「誰だよこの忙しいときに」


ノートパソコンの隣に置いていたスマートフォンの画面を覗きこんだ。心臓の上に錘が落ちてきたような感覚がした。

通話ボタンを押し、私は気だるそうに通話相手に話しかける。


「…もしもし」

「横山マヤせんせー?久しぶり。」

「なんだ、金か?それなら貸さんぞ」

「まだ本題にすら入ってないわよ」

「お前からの電話はろくなことがねえんだよ。切るぞ」

私はそう言って通話を切るボタンを押そうとしたとき、通話相手は言葉を続けた。

「あーあ、せっかく小説のネタになりそうな話をみつけたんだけどなぁ」

「どういうことだ」

「私と会ってくれたら詳細を話してあげる」

「ほう、もちろん飲食代はお前が持つんだろうな?つまらなかったら私は帰るぞ」

「あら、相変わらずね。つまんなくない話し奢ってあげるから来てよ」

「なら行ってやる。場所を教えろ」

私は相手と詳細な時間と場所のやり取りをし、通話を切った。私はこいつが色んな意味で苦手だ。だけど、相手は私の事を理解してやがるものだから、切っても切れないのだ。

私はスマートフォンを机の上に置き、再び執筆の作業を始めた。



七月の半ばだというのに、私は長袖のタートルネックにジーパン、そして櫛すらといていない髪の状態でカフェテラスに座っていた。多分、客観的にみてもだいぶ浮いている。

とても暑い。天気が好いことは良いことだが、あまりにも日光と夏特有の蒸し暑さのダブルパンチで正直心身ともにやられかけている。

白い丸いテーブルに対峙するように私と相手は座っていて、先程二人分のアイスコーヒーが運ばれてきたところだ。

相手は黒いノースリーブワンピースを着ていて、長袖タートルネックの私と違ってとても涼しげであった。それでもやはり蒸し暑いからかパタパタと手をうちわがわりにしているが。

暑いので先にアイスコーヒーを飲もうとストローに手をかけたとき、目の前の相手から私はとんでもない発言を受ける事となる。


「奥さんがいる彼と付き合って、奥さんにバレて訴えられちゃった」


「は?」


私は目を丸くして、目の前の相手を凝視した。

虫を見るような目で見る私とは対照的に目の前のこの女、間宮カンナは飄々としたような雰囲気で話を続ける。


「あら、聞こえなかった?もっかい言ってあげよっか。不倫がバレちゃって」

「いや、わかってるし言わなくていい。え、で今日はその相談なのか?このあいだも言ったが金は渡せないぞ」

「もう、お金の話をしにきたんじゃないんだってば」

「はあ」

本当に不倫相手の妻から訴えられたと思えないくらいお気楽な態度に正直私は吃驚している。間宮カンナという女は高校時代からの付き合いだが、今回の件に限らず頭のネジが一本どころか三本くらいは軽くぶっ飛んでいるような奴だ。特に男関係の問題は高校時代から非常に酷かった。何度私が尻拭いしたかわからないくらいだ。ただ、彼女は客観的に見ても非常に容姿が整った女性だった。私よりも低い152センチ程の身長でありながら端正な顔立ち、綺麗に手入れされた栗色の長髪、そして堂々とした振る舞い。彼女を花に例えるなら、紅い薔薇が似合うような人物だ。黙ってさえいれば男性は寄ってくるのだ。

「先生、小説のネタが欲しいんでしょ?お話してあげる」

「お前が話したいだけだろ」

「そういう事言わないお約束よ」

彼女は快活に笑いながらピアニシモアリアの箱から一本タバコを出し火をつけながら話を続けた。彼女がどのような言い訳をするか今から楽しみである。

「私さ、その奥さんのこと好きだったのよ。恋愛的な意味で」

「は?」

思わずニ回目の「は?」が出てしまった。

彼女はかまわずに話を続けた。

「で、奥さんの方を手に入れたくて男と別れさせようと思って男に手を出したのよね。そしたら奥さんにバレてこういうことになっちゃったってわけ」

「いやいやいやいやちょっと待て」

「あら、先生どうしたの?」

「お前男が好きなんじゃなかったの?!昔っからお前男とばっか付き合ってたじゃん?!」

「私、いつから男が恋愛対象って言ったかしら?」

カンナはにこにこしながら話を続ける。

「よくよく思い出してみなさいよ。私がどうこうしなくたって男が勝手に寄ってきただけよ。」

「いやでもお前彼女持ちの男取ってなかった?!」

「勝手に惚れられただけよ。そもそも寄ってきたところで私は付き合ってすらなかったわよ。」

カンナはさらりと言いのける。

お前のせいで私はどんだけ尻拭いさせられたと思ってるんだ…!と内心わなわなと震えた。

「ところで先生」

「なんだよアバズレ」

「その呼び名はやめて?私はね、思うのよ」

「なにが」

「本当に好きになった人との恋は実らないって。」

彼女はそう言うと悲しげな表情を見せた。本当にこの女はなまじ顔がいいから不意にドキっとさせられる。

「幼稚園の時の初恋のエリちゃんは隣のクラスの男の子に恋をするし、小学生のときに好きだったナナちゃんは同じクラスの男の子と付き合うし、中高時代は好きな女の子の好きな人が私を好きなパターンが多くて嫌われることが多かった。今もそうだわ。既婚者の女の子を好きになったから手に入れるために別れさせようと暗躍したら慰謝料請求されちゃうんだもん。恋ってうまくいかないわよね」

「さすがに最後のはお前の自業自得じゃ」

「ところで」

「今、話を逸らしたな。なんだ」

「先生の恋バナを聞いたことないんだけど、先生は人に恋をしたことがあるの?」

不意に聞かれて、私はドキっとした。

私は、はっと吐き捨てるように笑った。

「あったところでお前には一生教えねえよ」

「先生ならそう言うと思った。先生、今日話したこと小説のネタになったかしら?」

「さあな。カンナ」

「なあに先生」

「お前、いつか幸せな恋愛が出来るといいな。あと二度と不倫すんなよ。」

これ、お代な、と私はカンナにお金を渡しカフェを去ろうとした。

「私、先生の作品デビューのときから読んでるんだからね。次も完成したら買うからね」

カンナの声が私の背中越しに伝わってきた。

びりびりとした感触が身体中を駆け巡っている。

私は肩で笑い、手をひらひらとさせてその場を去った。



私のデビュー作の話をしようと思う。

つっけんどんで人付き合いが苦手だった主人公の女子高生が、快活でよく笑う薔薇のような女子高生と出会う。

主人公はアグレッシブな彼女にいつのまにか恋をしていた。

しかし彼女に想いを伝えると関係が壊れてしまうと危惧した主人公はこの想いを一生伝えないことを誓ったのだった。泡沫の関係よりもずっとそばにいることを選んだ彼女は一生幸せに暮らしたというストーリーである。

タイトルは「幸せな選択肢のうちの一つ。」


これは私しか知り得ない話だが、この話のヒロインのモデルは間宮カンナだ。

つまり、私は高校時代から現在進行形でずっと間宮カンナに恋をしているのだ。恋や欲に取り憑かれ、人間らしい一面を見せるあいつのことを恋い慕っている。

だけど、私はいつか終わる関係よりも、彼女と長く関係を続ける方を選んだ。そしてこれからも私はそうしていくつもりだ。


「やっぱ私あいつ苦手だよ。私の気持ちにいつまでも気づかないんだから」


素直じゃない独り言が漏れて、一粒、また一粒と雫が頬を伝った。

泣きながら同時に「これは幸せな選択肢なのだ」と自分に言い聞かせた。これからも鈍く重苦しい痛みを抱えながらこの幸せと共に私は生きていく。



夕方になってくると夏の日差しも少し和らいでいた。アイスコーヒーを飲んだというのに、もう喉の渇きがで始めていた。帰ったら今日のネタを存分に使おうと決め私は家路についた。

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