第一章 白常 週末

4 週末


 平日溜めたエネルギーは、週末に少しずつ消費される。主な原因はアルバイトだったが、勤務時間は所詮四、五時間、長くても八時間ほどだった。だが一昨日との一番の違いは、土日の両方がメインの店舗での勤務だったということである。客量も仕事量も倍近く増える当店では、店に着いた瞬間の混み具合で憂鬱になるときもある。ただ、本当に嫌ならば辞めればいいだけで、シフトが終了したときに自然とそんな気持ちが消えているというのは、僕の性格にるものなのだろうか。

 週末のシフトは大体が朝9時から13時までで、稀に17時まで残ることもあった。通常通り9時からのシフトであると、朝は7時半に起床した。それから身支度を済ませて家を発ち、出勤の十分前に店舗に到着した。

 土曜日の場合、朝の店内は平日明けらしく、穏やかな空気がただよっている。来る客も、平日と変わらず日課の買い物として訪れる老人がメインである。そういう日は、出勤して最初の作業である揚げ物作りに心置きなく打ち込める。その間に相方はトイレや駐車場を清掃して、これから来る波に備える。土曜日とはいえ、11時以降はなかなかの強度で客がやってくる。仕事関係と休日の人々が合わさるため、基本的に普段の平日よりも忙しかった。

 一方日曜日だと、朝から忙しい日も珍しくない。理由はやはり、二日ある休日の比重を後日に置いている世の中の影響だろう。服装や同伴者を見ても、この後の充実するであろう時間・空間を肌で感じる。また、選挙や近くの小学校の運動会など、イベントとバッティングする日も少なくない。そういう日は店にとっては特需だろうが、一人のアルバイトにとっては、誤算として付加の消費を被るか、もしくはある程度の覚悟が必要である。

 日曜日は他の曜日と比べ、家族や友人同士など、複数人で来店する客が特段多い。休日の風情ふぜいに乗せられた彼らの財布のひもは明らかに緩くなっており、一杯に商品が詰め込まれたカゴを見ていると、店の経営とは別個体である人間は憂鬱な気分になる。それと同時に来店してくる彼らからは、仕事の匂いは一切感じない。元来週末は部活動に終始していたため、週末を外出に費やすという感覚に乏しかった僕は、このアルバイトを通じて一般的なカレンダーが機能していることを実感していた。こんな小規模な販売店でも社会構造の一端に触れられたのは、若い頃にやっておくべき経験と呼べるのだろうか。確かに自分はこのコンビニエンスストアでのアルバイトを通じて、多くの常識を得た。反対に、今まで自分が学修してきた知識や学識は、こういう場ではあまり役に立たないことも知った。

 だが何より人生で最初のアルバイトで学んだことは、人は丸くあるべきである、ということだ。ここで講釈れるつもりはないが、やたらと大人同士の衝突を見てきた身からすれば、若者にとって素直であることはわざわいを回避するベターな立ち振る舞いである。それを心得ただけでも、一般的な休日の半分を捧げた価値はあるのかもしれない。

 しかし同時に、その効果が切れるときが来るのも自覚している。そのときになっても一度はまった環境を変える勇気がなく、ダラダラ留まっている姿も想像できる。これがある意味、僕の今の、或いは一年後二年後の生き方を象徴している。


 こんな色のない日常を送っている僕にも、情動を引き起こす瞬間が週に一度や二度ほど訪れる。それは大方、週末の午後に集結する。少し傲慢ごうまんな物言いだが、それ以外の折の僕を知り始めた人からすれば、この時間が唯一の楽しみと察知することに異論はないだろう。生きがいとまではいかないが、それなりに一週間を生きてきただけあって、待ち望んでいた一時であることは間違いない。

 それは日曜の朝に見かける、お出かけの人々が向かうであろうもよおしと何ら変わらない。バイト中は休日を犠牲にしたあわれな労働者のように振舞っていたが、実際はそれらの恩恵を享受している常人に過ぎない。労働者と消費者の裏表は、こんなにももろいものである。

 一言で言えば、僕の趣味はサッカー観戦である。これにピンとくる者もいれば、そうでない者もいるだろうし、理解さえできない者もいるだろう。基本的にこの趣味は受け身であり、若い時間を能動によるキャリアでつちかおうという信条の人間にとっては、退屈な人間に映ったことだろう。しかしこれに関しては、彼らの信念の一つである生き方という観念から、真っ向勝負を繰り広げるだけの構えはある。専らそのような人間が僕の周りにいるはずもないので、ただの誇大妄想の一つとして想像力を保っている。

 サッカー観戦及びスポーツ観戦の魅力を簡潔に言うと、月並みな表現であるが、筋書きのないドラマ性である。スポーツが生み出す結末は、常に未来の範疇はんちゅうにある。それは人間の領域では不可侵であり、誰にも操作を許されることのない自然の摂理せつりだ。映画や小説と違い、現実の人間は物語の登場人物にしかなり得ない。事前に脚本が存在しない欠陥舞台であり、閉幕を迎えて初めて、結果という名の脚本が完成する。ゆえに成り行きも幕切れも、我々は受け入れるしかない。操ってしまえばそれは、もはやスポーツとは呼べないただの茶番に過ぎない。だからこそその非法則性は、稀にひどく手持ち無沙汰な感覚に陥らせることもあるが、稀に夜が九十分で明けるほどの衝動を人々に与える。

 同時にスポーツの可能性となるのが、無限の生産性である。酸素と二酸化炭素の循環が日毎ひごとに違うように、キックオフからタイムアップまでに起きる出来事に再現性はないと言っていい。先ほど事前に脚本がないと述べたが、逆に言えば試合が始まれば、否が応でも脚本は自然の摂理に従い完成する。したがって我々は、試合が開催されるたびにゼロからの舞台を堪能することができる。たとえその結末が無味乾燥であると察しがつくような土台や条件だったとしても、人間にそれを操作するすべはない。これが脳みそという情報集合体の限界を超えた、スポーツの永続性である。

 これを論文にでもして提出しようと考えたこともあったが、このような突飛な研究課題を受け入れる有識者などどこにもいないだろうし、第一物事に対して本格的に従事したことのない自分では、説得力という要素に大きな欠損がある。脚本は自然に完成すると言い切ったが、選手たちからすればそれは自らの手で得ようとして臨んだ努力の結晶であり、ボンクラの傍観者が一言二言で表現していいようなタマではない。彼らは培ってきた技術と経験、精神の全てを、僕が一丁前に戯曲に比喩したものに注ぎ込み、同時に僕から生じた熱の何十倍もの量をぶつけ合うことで、「望んだ脚本」を手に入れようとしのぎを削っている。想像しただけでも潰されてしまいそうだ。

 そんな世界を批評できる土壌を築くために、僕はあとどれくらいもがけばいいのだろうか。もがいた先にあるのが自己満足だったなら、それを「結果」のように受け入れればいいのだろうか。

 少なくとも、今の日常から導かれる答えではないことだけは理解しているつもりだ。


 僕が物事の批評をやめたのは、無限の退屈の日々と格闘していた、今から二ヵ月ほど前の大学生活初の夏休みである。試験期間中はあんなにも待望していた束縛のない毎日も、殺風景な日々が一、二週間も続けば、世間から取り残されるという焦燥しょうそうに支配されるのが人間のさがだ。

 しかし性質たちが悪いのは、僕はアルバイトとその数倍はある余暇の繰り返しの日々に、ある程度の満足感を得ていた。得意のルーティン作りを遂行し、寝る時間も起きる時間もほぼ一定だった。そんな規則正しい生活が、逆に罪悪感をぬぐい取り、弊害的に作用したような愚か者は、世界中を見渡しても稀少なのではないだろうか。

 そんな風にして無意識に英気を徐々に衰退させ、非生産的な環状線を彷徨さまよう日々を送っていた。そうして脳が回転する機会が減るにつれて、思慮にふける時間も失われていった。この頃から斜に構えることもなくなったので、テレビを見ることが増えた。毎日ではないが、22時から23時くらいに始まるバラエティ番組を見るのが日課になったのは、ちょうどこの時期だったと思う。ダイヤモンドのように硬かったルーティンが変形したのは、僕にとってちょっとしたニュースだった。

 人によっては永遠を望んだ夏休みが終わり、再びモノレールが一時的に都会の満員電車だと錯覚させる日常が動き出した。自堕落じだらくな夏を過ごしていた僕にとって日常への復帰は不安要素だったが、規則正しい生活が今度は正常な作用をし、世間の波に合流することができた。今思えば、心までは夏に染まっていなかったことが、今に至る大きな要因だったのかもしれない。


 気付けば休日の尻尾まで時は進み、一限から始まる月曜日の朝に向けて、23時には寝る態勢に入っていた。ほどほどにタフな午前と、ほどほどに有意義な午後を終えて、二日間の週末は次の開催に備え、幕を閉じる。そうして社会は再び、消費から生産へとシフトしていく。

 次の一週間にも、問題なく同乗出来そうだ。

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