第5話

8月16日


 俺は朝から公園に行って一夏とおしゃべりをして、昼過ぎに一度帰宅した。


「………浴衣の着方が分からん」


 そして、見事なまでに途方に暮れていた。便利な動画サイトを使ったとしても、どうにもうまく浴衣が着られない。どこかがぐしゃっとなってしまい、俺の美的センスがどうしてもそれを許さないのだ。


「〜〜〜! くっそ腹立つ!!」


 もう一度帯を解いて浴衣を着直す。


「あ、………できた」


 五度にわたる着たり脱いだりは何だったのか、もう辞めようかと諦めかけた頃に、浴衣が上手く着られてしまった。


「はぁー、………そろそろ行くか」


 向日葵のように笑っている少女が映った写真に『いってきます』と挨拶をして、俺は決意を胸に家を出る。

 アパートを出てしばらく歩けば、目の前に一夏が現れた。

 白地に美しい大輪の向日葵の咲き誇った浴衣に、緑色の帯をリボンに結んでいる。髪飾りは浴衣と帯に合わせたのだろう、黄色い大きな花のつまみ細工に緑色の房飾りが連なっていた。


「どう?似合ってる?」

「あぁ。………想像していたよりもずっと、ーーー綺麗だ」


 ぼふっと赤くなる顔が可愛くて、俺は彼女に笑いかけて頭を撫でた。


「行くか」

「うん」


 どちらからともなく手が重なって恋人繋ぎに手を握り合って、俺と一夏はカランコロンと下駄を鳴らす。

 どんどん人混みの中に入っていくのが苦しくて、俺は少し眉間に皺を寄せてしまう。


「じゃあ、片っ端から遊ぶか」

「いいの?」

「あぁ。軍資金もたんまりだ」


 にししっと笑うと、彼女は困った子供を見るような眼差しをする。


「じゃあ、まずは射的だな」


 ーーーぱん、ぱん、ぱーん、


 景品が台からころころと落ちていく光景を他人事にように眺めながら、俺はやればできるものなのだなと少しだけ感心する。屋台のゲームというのは、インチキまみれで絶対に落ちないものだと思っていた。


「に、兄ちゃん、上手いな〜。じゃ、じゃあ、これ景品だから持っていきな」


 引き攣った笑みを浮かべている頭が淋しくなっているおっさんにぺこっと頭を下げて、俺は一夏を連れて次の屋台に並ぶ。


「はるくん凄い!!あんなに簡単にぱんぱんおとうしちゃうなんて!!」


 向日葵のような笑みを浮かべてぴょんぴょんと跳ねている彼女に笑いかけて、俺は屋台の店主をやっている大学生くらいのお兄さんにお金を払って可愛らしい黄色のヨーヨーを釣る。

 これも何故かサクッと取れた。

 手に射撃で手に入れた沢山のお菓子とヨーヨーを持って、りんご飴のお店に並ぶ。大きなりんごを丸ごとつるっとした飴に漬け込んでいるりんご飴は、魅惑の空気を垂れ流していて、子供から大人までみんながその甘やかな美しさに視線を釘付けにしている。


「おっちゃん、2つくれ」


 頭がまだ元気なおっちゃんから2つ買って、俺はたこ焼きの屋台に並んだ。

 そのあと、お好み焼き、いか焼き、焼きとうもろこし、綿菓子、東京カステラ、チョコバナナ、フランクフルト、その他沢山の食べ物を一通りお祭り特有のお高いお値段で購入して、俺は最後に紐くじの店に並ぶ。


 ーーーひょいっ、


 思いっきりよく引っ張って出てきたのは何と某ゲームメーカーの最新型ゲーム機だ。


「!? あのゲーム機には紐を繋いでなかったはずだぞ!?」


 どうやら俺は引いては行けないものを引いてしまったらしい。苦笑しながら泣く泣くおじいさんが手渡してきたゲーム機をお菓子やら軽食やらが突っ込まれた袋に追加で突っ込む。左手にはえげつない量の子供の夢が入った輝かしい袋、右手には愛しの人の手。

 俺は幸せ満載で花火を見るのに良いと聞いた穴場スポットへと向かうために、一夏と共に歩く。

 だんだんと人が減っていって、最終的には周囲には俺と一夏だけになった。


「ねえ、どうして太陽のペンダントに変えたの?」


 俺と“同じ”ペンダントのチェーンをいじいじと触りながら、彼女は唐突に問いかけてきた。


「一夏が身につけてたから」


 俺はにこっと笑って答える。

 この場で言葉を飾る必要なんてない。俺に必要なのは、ただ誠実になることだけだ。

 一夏は寂しそうに、けれど向日葵のように微笑んで問いかけてくる。


「ねえ、はるくん。心は決まった?」

「あぁ」


 ーーーひゅ〜、どーん、


 1発目の花火を皮切りに、どんどんと音を立てて色鮮やかな花火が打ち上がる。


「俺は君を愛していたよ」


 彼女は俺の言葉に、向日葵のような笑みを浮かべたまま瞳に涙を溜める。


「うん。わたしも、はるくんのことを愛してたよ」


 ーーーひゅるるるるー、どーん、ぱらぱらぱらぱら………、


『これにて、花火大会を終了いたします』


 アナウンスの音が、俺の耳に遠いことのように響く。


「晴〜!お前こんなところにいたのか!?」

「すまん、渚。ちょっと色々あってな」


 後ろから友人である渚の声が聞こえて、俺は苦笑しながら目元を拭って振り返る。


「ん?うおっ!?お前それどんだけ買ったんだ?!?“一人”で食べ切れるのかよ!?」


 左手にある袋を見て、彼は心底驚いたように目を見開いた。

 俺の右手には、もう何も残っていない。


「食べないよ。だってこれは、一夏への“お供え”なんだから」


 八月十三日から八月十六日までのお盆の四日間、俺は長い長い夢を見ていた。最愛の彼女が戻ってきて、今までどれだけ望んでも叶わなかったデートをした。


「さあ、帰って供えるかな」


 立ち上がってアパートに帰宅して、俺は写真の中で向日葵のような笑みを浮かべている一夏に『ただいま』と挨拶をする。

 そして、写真と一緒に飾られている向日葵のネックレスを撫でてから、山のような菓子や軽食を駄菓子が山盛りに供えられている写真の前に供える。

 駄菓子の中から塩せんべいを引っ張り出してがぶっとかぶりつくと、口の中に塩気が広がる。


「あぁ、………しょっぱいな」


 部屋の畳に、一滴の滴がこぼれ落ちた。


 俺の恋は花火とともに消えていった。

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