第4話

8月15日


 今日は海に遊びに行く日だ。俺はナイロンバッグを背負って、公園へと向かう。

 今の時間は午前七時。歩いて海に向かったとしても六時間ぐらいは遊べるだろう。


「おはよう、はるくん」

「おはよう、一夏」


 今日も向日葵のような笑みを浮かべた彼女は、本当に愛らしい。


「ペンダント、本当にいっつもつけてるんだね」

「お前こそ」

「ふふふっ、お揃い」


 恋人繋ぎに手を繋いで、俺と一夏は海に向かって歩き始める。


「あっ、」


 唐突に電信柱の隣で止まった彼女に合わせて足を止めると、彼女はきらきらと瞳を輝かせてじっと電信柱に貼られたポスターを見つめていた。


「花火、大会?」

「うんっ!行ってみたいなって」

「八月十六日、明日だな。………行くか?」

「いいの!?」

「あぁ」


 一夏は俺の頷きにぱぁっと顔を輝かせて、向日葵のような笑みをなおのこと深めた。


「今日は嬉しいことばっかり起こるね!!」

「まだまだこれからだろ?」


 ぎゅっと握る手を強めると、彼女は幸せそうにはにかんだ。


「明日は浴衣用意しなくちゃね」

「………俺もか?」

「もちろん!」

「分かった」


 俺の浴衣は多分押入れの奥深くに存在している。ちょっと昔に祖母ちゃんが作ったものだが、あの頃から身長はあまり伸びていないし、問題なく着られるだろう。


「ふふふっ、どんな柄にしようかな〜」

「向日葵」


 鼻歌混じりにスキップを始めた彼女は、俺の言葉にキョトンと首を傾げる。


「ん?」

「向日葵の柄がいい」


 ぼふっと顔を赤くした彼女は、悔しそうに赤く染まった頬を膨らませる。


「はるくんの意地悪」

「あぁ。俺は意地悪だ。だから、………言うことを聞いてくれるよな?」


 にいっと口の端を上げると、彼女は尚の事頬を膨らませた。


「ぼーくんはんたーい!!」

「どうとでも」


 開き直ると言う行為は比較的得意な方だし、彼女の可愛らしい服装がみたいという欲求を我慢する気もない。これは正真正銘の俺の我が儘だ。


「ほら、そろそろ海に着くぞ」

「マジ!?」

「あぁ。二時間は歩いたからな」

「わぁ!本当だ。もう九時」


 俺の腕時計を一夏に見せると彼女は驚いて目を見開いた後、目の前にいきなりぶわっと現れたどこまでも続く瑠璃色の海に目を爛々と輝かせた。


「きれい………」


 そう呟く彼女の横顔の方が綺麗で、俺は海ではなく一夏に見惚れる。


 ーーーざー、ざー、


  瑠璃色の海水が太陽の光を反射しながら薄茶色の砂浜へと押し寄せてくる。


「ねえ、早く着替えよう!!」

「足をつけるだけだぞ?今はお盆だから引きずられる」

「分かってるって!」


 ちゃんと分かっているかも怪しく見えてしまうような振る舞いをしながら、一夏は更衣室に駆け込む。お盆で田舎のマニアックな海故か、お客は俺と一夏以外いない。


「着替えた!!」

「………………………」

「なんか言いなさいよ!?」


 彼女は黄色いビキニを着ていた。レースのようにひらひらとした上半身の水着に、同じくひらひらのミニスカート。

 ビキニはビキニ環礁という地で行われた実験で用いられた原爆のように『小さくて破壊的』という意味が込められていると聞いたことがあるが、本当に小さいのに破壊的だ。


「………誰にも見せたくない」

「!? ………心配しなくても誰もいないよ」

「知ってる」


 ぎゅっと彼女の柔らかい身体を抱きしめると、彼女はビクッと驚いた後におずおずと俺の背中に手を伸ばしてきた。


「かわいい」

「知ってる」

「じゃあ、好きだ」

「それも知ってるし、わたしもはるくんのこと好きだよ」

「知ってる」


 ぎゅっと抱きしめあってから恋人繋ぎに手を繋いで、海の方へと足を進める。ぽちゃんと足の先を海につけると、彼女は嬉しそうにきゃきゃっと笑う。


「わたし、海って初めて!!」

「そうか」


 足の先だけでも冷たい水につけると、とても心地良い。暑い日差しに照らされて茹で蛸状態だった身体が心地よく冷えていく。


「はるくん気持ちよさそう」

「あぁ、気持ちいい」


 もう少し奥まで入りたいところだが、そうすればおそらく、いいや、間違いなく俺は“向こう側”へと引きずり込まれてしまうだろう。


「俺はまだ向こうには行けないからな」

「………………」


 一夏は不思議そうに首を傾げると、向日葵のような笑みを浮かべて俺のことを再度抱きしめる。


「大丈夫だよ。よく分かんないけど、はるくんなら大丈夫」


 優しい彼女には何度も何度も救われてきた。

 だからこそ、今度は俺が彼女を救う番なのだ。


「ねえ、はるくん。明日のお祭り楽しみだね」

「あぁ。そうだな」


 りんご飴に綿菓子、飴細工にチョコバナナにかき氷、フランクフルトにたこ焼き、ジュースにいか焼きにお好み焼き、ーーー、


 次々とお祭りの屋台に並んでいるであろう食べ物の名前を連ねていく彼女は、食べ物以外に目がないらしい。


「花火や金魚掬い、射的、くじ引きなんかには興味ないのか?」


 今回一緒に行くお祭りは花火大会だ。花火が一番の見せ所になるだろう。


「そりゃ全部興味いっぱいだよ。でもね、できないでしょう?」

「………お菓子もそうだろ」

「ん〜、それははるくん次第じゃん」

「そうか」


 ぽちゃんぽちゃんと海水が俺の足を濡らす。


「花火は楽しめるだろ?」

「………そうだね。楽しめるよ」

「花火、いっつも君の病室で一緒に見てたよな」

「そうだったね。綺麗だった」

「あぁ」


 真っ暗な病室を大きな窓越しに照らす、人工の光とも自然の光とも違う鮮やかな炎。その光景に、俺はいつも目を輝かせていた。


「おっきな音に、はるくんいっつもびっくりしてたよね」

「あぁ。………大きな音は苦手だ」

「人混みもでしょ?」

「そうだな」


 大きな音、暗い場所、人混み、俺は何もかもが苦手だ。けれど、彼女とならばどこへでも行ける。どこへでも行きたいと思える。

 だから、俺はゆっくりと微笑んだ。


「俺は明日、ちゃんと心を決めるよ」

「………………正しい道を選んでね」

「あぁ。分かってる」


 明日、俺は究極の選択を迫られる。

 だから、今日たくさん幸せを詰め込む。


 ーーーぱしゃっ、


「きゃっ!やったな〜!!そらっ!」


 俺は彼女にバシャバシャと水をかける。自分が彼女にかけようとして失敗したことによって、水着がどんどん濡れていく。


「あははっ!」

「も〜、はるく〜ん!!」


 二人で笑い合って、そして帰路に着く。

 俺と彼女は手を握り合ってきた道を帰る。夕陽に照らされて橙色に染まった世界は、いつみても美しかった。

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