第2話

8月13日


 真夏の日差しが俺、如月晴の肌をジリジリと焼く。

 手に握ったソーダ味の棒アイスからぽたぽたと水色の滴が落ちていく。べたべたになりかけている手は、どこかで洗うしかないだろう。


「あ、暑い」


 汗を拭うとアイスが尚の事溶けていく。


「わあ!美味しそう」

「っ、………い、一夏」


 可愛らしく結い込んだツインテールにノースリーブのティーシャツ、青い短パンに底の厚いサンダル。血色の良い頬に向日葵のような笑みを浮かべて、榊原一夏は俺の握ったアイスをぱくっと頬張った。

 ぽたぽたと地面にアイスが落ち続ける。


「ん〜、美味しい!!」


 ぺろっとくちびるを舐め、彼女はご機嫌に笑う。


「で?なんでこんなとこにいるの?」

「それはこっちの台詞だ。………俺は駄菓子屋に行こうと思って」

「美紅ばあちゃんのところ?」

「そうだ」


 小さい頃に毎日のように通っていた駄菓子屋には、今は週に一回のペースで通っている。

 ラムネ、アイス、串菓子、その他夢のようなお菓子が揃っている駄菓子屋は、小さな頃の俺の目には天国のようにきらきらと輝いて映ったものだ。


「ふ〜ん、わたしにもなんか買ってよ!!」

「………分かった」


 近くの公園で手を洗って駄菓子屋に入店する。

 こじんまりとした駄菓子屋は身長180センチメートルを超える俺が入るととても小さく見える。


 ーーーりんりんっ、


 風鈴の涼やかな音と駄菓子から香る甘かったり辛かったりする香辛料の匂いは、高校生になった俺の心に遊び心をもたらす。欲しい駄菓子を小さなカゴに二個ずつぽいぽいと放り込むと、駄菓子同士がぶつかりあってカサカサと小気味の良い音を立てる。


「これほしい!!」

「もう買ってる」


 キャンディーを握った彼女に、俺は笑う。


「じゃー、これ!!」

「それも買ってる」

「うー、これ!」

「持ってる」

「あぐっ、じゃ、じゃあ、これ!!」

「だーめ、それは一夏には塩分が高すぎる」

「うにゅっ、………これは?」

「買ってる」


 俺のカゴの中は一夏の好きなものだけで埋められている。だから、彼女が欲しいと強請るものは全て既に購入しているのだ。


「はるくんの意地悪!!」

「じゃあ、これは全部俺のだな?」

「あぎゃぁぁぁ!!だめ!ダメなの!!それはわたしの!!」


 ぽんぽんと頭を撫でれば、彼女は照れ臭そうに笑う。


「これはわたしのだからね!!」

「あぁ、分かってる」


 彼女はそれをみて満足そうに頷いて店の外へと出ていった。

 後ろ姿を見つめて息を吐くと、俺は少し大きめの声を出す。


「ばあさん、会計を頼む!!」

「そんな大声出んさんくとも聞こえとるわいっ!!あたしを年寄り扱いするんじゃないよっ!!」

「はははっ、すみません」


 ばあさんこと美紅ばあちゃんはこの駄菓子屋の店主で、今年89歳になったそうだ。耳が遠くなって子供たちから会計を頼まれたことに気づきにくくなっている故に、最近俺は大きな声を出すようにしている。本人は嫌がっているが、気づかれなくて待ちぼうけを喰らいたくないから仕方がない。


「………一夏ちゃんが好きなお菓子ばかりだねぇ」

「一夏って他に好きなお菓子なかったっけ?」

「そこにある塩せんべい」


 ばあさんが指差したのは先ほど一夏が欲しいと強請って俺がダメだと言ったお菓子だった。けれど、アレは持病のある一夏には重た過ぎる。


「………だがアレは………、」

「あぁ、そうだね。食べちゃダメなお菓子だ」

「………買って帰るよ。ばあさん、俺のお代も足しといてくれ」


 中学の卒業の際、一夏がくれた黒色の革財布を出すと、俺は野口さんを3枚取り出した。


「1枚多いよ」

「おまけ。ばあさんもよく俺にくれてただろ?お返し」


 俺がにししっと笑うと、ばあさんは困ったように肩をすくめて奥へと帰っていく。


「屍にだけはなりなさんなよ。一夏ちゃんが悲しむ」

「あいよ」


 俺はお菓子が入ったナイロン袋を握りしめて彼女が待っているであろう入り口に向かう。


「おっかえりー」

「人に奢らせておいてからになんなんだ。そのどでかい態度は」

「えぇー、なんのことー?」


 わざとらしい彼女に苦笑して、俺はいつも二人で駄菓子を食べていた場所を指差す。彼女は顔を輝かせて頷いた。


「いく!」


 わしゃわしゃと頭を撫でると、ツインテールを守るようにして周囲よりも幼い印象を持つ彼女は苦笑する。


「どれから食べる?」

「半分こ!!どれからでも良いよ〜!!」


 俺は一夏が望むであろう順番を思い出しながら、彼女が食べるであろう順番にお菓子を頬張る。様々な種類を食べたい彼女は、そうするといつも喜んでいた。


「ねえ、ぶっちゃけ高校楽しい!?」

「う〜ん、まあまあかな。一夏がいないからつまらないけど」

「えぇ〜、やっぱりはるくんは寂しん坊だな〜。わたしがいないと寂しくて死んじゃうだなんてっ」

「そこまでは言っていない」


 苦笑してラムネを喉を鳴らして飲むと、彼女は羨ましそうに目を細めた。


「ん?いる?」

「もらうっ!!」


 彼女が美味しそうに喉を揺らしてラムネを飲む。

 ぽたぽたと溢れるラムネを見つめながら、俺はそっと空を見上げた。


「俺さー、結構頭いい学校に進学したじゃん」

「そうだね〜、はるくんにしては頑張った!」

「ひどっ。まあ、頭がいい一夏にしたらそんなものか」


 俺がしょんぼりすると、彼女はあたふたと慌てる。

 そんな姿を面白がって俺がわざとしょげているとも知らず、一夏は悩みに悩んだ末に頭を撫で撫でと触ってきた。


「ウソウソ、頑張ったね。はるくん」

「ん、」


 彼女の胸に頭を預けて、瞳を閉じる。


「体調は大丈夫?」

「うん!………はるくんは心配性だな〜」

「………そうかな」


 俺の彼女である橘一夏とは幼馴染だ。家が隣同士で、同じ母子家庭で、親同士も仲が良い。家族ぐるみの付き合いで、けれど、俺と一夏は普通の幼馴染ではなかった。


 理由は、一夏の持病だ。


 彼女はとても身体が弱かった。走ればすぐに倒れて、暑さや寒さに弱くて、よく発作を起こして救急車で病院へと運ばれていた。

 元気な時は一緒に冷暖房のきいた家の中でゲームやおままごとをして遊んだ。空調すらも管理された家でさえも、一緒に遊べばはしゃぎすぎて一夏は発作を起こしてしまった。だから、病院へのお見舞いついでに一緒に遊ぶことが多かった。カードゲームやボードゲーム、時には一緒に簡単なお勉強をした。


 小学校3年生の時、彼女は大きな手術を受けた。


 一夏の体調は劇的に良くなった。けれど、それでも食事制限や運動制限はかかったままで、思うように遊べなかった。彼女はそれが歯痒くて仕方がなかったようで、よく母親に隠れて俺の腕の中で泣いていた。

 泣き顔すら可愛いと思うようになり、一夏に対して『好き』という感情を抱くようになったのはおそらくこの頃からだったと思う。

 外で遊ばない故に焼けていない雪のような肌、丁寧に手入れされた長いチョコレート色の髪、くりっとした汚れを知らない少し色素の薄い茶色の瞳。

 俺にとっては彼女の全てが、手術痕さえも愛おしく思えた。


「ねえ、はるくん!これ!買ってくれたの!?」

「あぁ。おばさんには秘密だぞ?」

「うん!」


 隣から話しかけられて意識を戻した俺は、塩せんべいをきゃきゃっと見つめている彼女を愛おしく見つめながら、塩せんべいの封をを開ける。

 ふわっと塩の香りがするせんべいは、確かに昔よく一夏がこっそりと買って食べていたものだ。小学校の下校の道にある駄菓子屋で、俺と一夏は“親には秘密”という甘美な音に誘われて、よく買い食いをしていた。


「ねえ、海がしょっぱいって本当?」

「あぁ。本当だ」


 彼女はいつも俺に外の世界を訪ねてきた。小さな鳥籠の中で生きた彼女は、外の世界を知らない。本の中にある情報をかき集めて、かき集めて外を想像するしかない。


「明後日、海に行こうか」

「いいの!?」

「あぁ。………おばさんには秘密だぞ?」

「うん!」


 心底嬉しそうに笑った彼女は向日葵のようで、俺はくすっと笑って頭を撫でる。


「はるくんいっつもそればっかりっ!!」


 むすっと頬を膨らませる姿さえも愛らしい。


「じゃあ、水着用意しとけよ」

「うん!はるくんもだよ?」

「あぁ。分かった」


 にこにことはしゃぐ彼女は愛らしくて、俺は高校生になって水泳の授業をすっぽかしたせいでどこに行ったか分からなくなっている水着をどうしようか考えなくてはいけないということも忘れしまった。


「ねえ、はるくんはどんな駄菓子が好き?」

「一夏が食えるものがすき」


 間髪入れずに答えると、彼女が俺の服を引っ張ってくる。


「むうっ、そればっかり」


 感情豊かな一夏の表情がころころ変わるのがみていて楽しくて、俺はつんつんと彼女のほっぺたを突っつく。

 彼女は突っつく俺にムキー!としながらも、まんざらではない表情で楽しそうにジタバタと遊んでいた。俺はそんな彼女を見つめて、この時間が永遠に続けば良いのにと希う。けれど、時間はあっという間に過ぎていく。


 ーーーカーカー、


 橙色に染まった空に、漆黒の鳥が飛び去っていく。


「ねえ、明日も遊べる?」

「あぁ、もちろん」


 お決まりの台詞にお決まりの言葉を返すと、彼女は満足そうに笑った。その笑顔が眩しくて、俺はすっと目を細める。


「じゃあね」


 俺は彼女の言葉に笑い返すと、大量に買い込んだお菓子を持ってベンチから立ち上がってアパートへと帰るために足を動かすのだった。

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