第四章 追われるもの

 男は凡人であった。才能などなかった。音が降ってきたことなどなかった。歌詞が頭に浮かぶこともなかった。かと言って音楽理論を熟知しているのかと聞かれるとそうでもなかった。どこかの知らない誰かが自分の曲を考察しているのを見てなるほどと納得することも多かった。才能のない自分が音楽を作っていいのかと悩むことも何度かあった。才能に満ちた憧れの人を見て、絶望することもしばしばあった。だがそれと同時に自分さえ良ければそれでいいとも思った。考えるのが嫌で、下を見るのが嫌だった男はずっと作り続けていた。音楽以外何も見えていない、というよりは見ようとしていなかった。作れようが作れまいが男はただギターを持って、パソコンの前に座って、音楽をした。男のパソコンは没曲を含めれば数千を優に超える曲数で溢れかえっていた。一度だけ、男はその創作環境を人に共有したことがある。同じ曲を作る作曲者。特にという訳ではなく、仕事で関わった同業者で「ぜひ聞かせてください」と狭まれ仕方なく語ったのだ。それ以降誰にもその事実を語らなかったのは別に機会がなかった訳では無い。その一回で男は失望したからだ。天才だともてはやされた。一般人には真似できないと、努力の結晶だと。男は凡人ではなかったのだ。だがそれは男自身にとって容易に受け入れられることではなかった。乾いた雑巾を絞り続けるようなこの創作が、では無いのだと気付いた。その事が、男には酷く受け入れ難いことであった。制作環境を聞かれるのと同時に、なぜか活動の目標の話になった。同業者の彼は言った。

「やっぱり、やるからには1番になりたいですね。音楽全体とは言わずとも、ジャンルの中だけでも」

 理解し難い発言だった。嫌悪感まで抱いた。音楽を道具としてしか見てないのかと、心底その同業者を軽蔑した。男が言葉を失っていると、目の前の彼はまた口を開いた。

「でもそれだけじゃないです。ただ1番になっても意味がないんです。僕の中では」

男はただ静かに彼を見ていた。

「僕が音楽を始めたきっかけ、なんだかわかりますか」

「……いや」

「貴方です」

「……」

「僕はあなたの曲を聴いて、音楽を始めたんです。だから僕は……」

 と、彼はそこで少しだけ考えるような、言いよどむような素振りを見せた。男が何を言われるのかと身構える。

「だから僕は、貴方を超えたい。ずっと憧れだった貴方を。僕はずっと追っているんです。貴方の背中を」

 そう言われて初めて、この同業者に会ってからずっと感じていた気味の悪さの正体を知った。彼は男とは違う形で、確かに音楽に魅了されていた。そしてその原動力は自分だった。自分を天才だと崇めて、自分を超えたいと、それを目標に音楽をしていると、目の前で告げられた。自分をそんな風に特別扱いする彼が、男にはあまりに気持ち悪く見えた。そうして、男がそれ以降この同業者と関わることはなかったのであった。

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