第三章 見えぬもの

 彼らのいる頂上がやっと青年の視界に入ってから数年が経っていた。青年は、もはや青年ではなかった。流れに逆行するように進んだ音楽大学でさえ、男は満足に行かなかった。音楽に囚われていた。作る楽しみは忘れていなかった。だがどこか義務感もあった。というより、この山を降りてしまったあとが怖かったのだ。音楽以外、何も無かったから。少しの楽しみがあるだけの険しい道を進む辛さは、外に広がる暗闇への恐怖に比べれば大したことは無かった。男は何度も成功した。かつて何を取っても平凡だった男は、多くの人が認めるような功績をいくつも成し遂げていた。ただその本人だけが気づいていなかった。自分の努力に、才能に、成功に。作っても作ってもその度に自画自賛と自己嫌悪を繰り返した。きっと彼らがいなければ、男はその場に留まるか、もう少し下の方まで降りることを選んだだろう。次の一歩も怪しいような険しい道で、下ばかり見ながら歩いた。時々立ち止まって、いつまでも縮まらない頂上までの距離に嘆きながらただそこにいる一つだけ輝いているものを目指した。今度は下を見て、自分が上がってきた距離を誇るよりも先にすぐ下にいる者たちに煽られ意味もなく焦燥感に駆られる。もはや下で応援するものたちの声は、男には届いていなかった。一人一人の声など小さく、そもそも声に出すものも少ない中で、はるか上の方を進む男に彼らの声が届くはずもなかった。男は目的を見失いながらただ歩き続けた。それしか道がなかったから。登ることの楽しさなど忘れてしまいそうであった。ある時、男は街を歩いていた。いつも着けているイヤホンをたまたま家に忘れてしまい、男は街の喧騒に耳を傾けながら少しの妄想にふけっていた。そうして初めて気がついた。街中で流れている音楽は、自分のものだった。

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